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ひもろぎ逍遥

宇佐・安心院トレッキング(6)香春神社 謎の神々たち 

宇佐・安心院トレッキング(6)  
香春神社 
謎の神々たち

香春神社(かわら)は集落の中にありました。
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私は日傘も帽子も忘れて車を飛び出しました。

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石段は遥か上の方まで続いています。
たぶん、この石段の長さはブログの最長記録を更新。
でも、ところどころでフラットになるので、それほど険しくはありませんでした。

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境内に出ました。正面の建物は廻廊のようになっていて、
まるで平安時代のような雰囲気です。

森の上の方、左寄りに白っぽく見えるのが二の岳のようです。
ということは、かつてはこの正面には一の岳が聳えていたんでしょうね。

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拝殿もかなり大きい宮です。
御祭神は
第一座 辛国息長大姫大自命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
第二座 忍骨命(おしぼねのみこと)
第三座 豊比賣命(とよひめのみこと)
です。

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神殿の作りも豪奢です。

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左右に控えるのは隋神というのでしょうか、二体の木彫の像は時代が違います。
こんな隋神が置かれた神社はこれまでに、糸島市の宇美八幡宮しか出会っていません。

一の鳥居のそばにあった由緒書には
古代の多くの謎を解く手掛かりがたくさん書かれていました。
まずは書き写しましょう。カタカナは平仮名に直します。

縣社 香春神社御由緒(略)
1.祭神及び創立
第一座 辛国息長大姫大自命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
    神代に唐の経営渡らせ給ひ、崇神天皇の御代に御帰国、
香春一の岳に鎮まり給ふ。

第二座 忍骨命(おしぼねのみこと)
   天照大神の第一皇子にして、二の岳に鎮り給ふ。

第三座 豊比賣命(とよひめのみこと)
    神武天皇の外祖母住吉大明神の御母にして三の岳に鎮り給ふ。

当神社は前記三柱の神を奉斎せる神社にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、角神霊を香春岳山頂三か所に奉祀せんが、元明天皇の和銅2年に一の岳南麓に一社を築き、三神を合祀し、香春宮と尊称せらる。
延喜式神名張に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり。明治4年9月、郷社に列せられ、香春神社と改称。明治6年7月15日県社に列せられ、今日に至る。
                             香春神社

いかがですか?研究する方のために、今日は訳をしませんでした。
古文が苦手な方も、大体分かると思います。

香春岳を理解するのに重要な宮が当社です。
これまで、町誌などを読んで祭神を調べたりしたのですが、
神社がずばり、その神の謂われを書いてあるので驚きました。

これを見て、かなりの謎が解けそうなのですが、今回はメモだけ書いておこうと思います。
古い神から見て行きましょう。

第二座 忍骨命
この神は英彦山に降臨した神として、福岡では知られています。
普通は忍穂耳命と書きます。
天孫降臨の神として最初に指名されたのですが、その子ニニギノ命に譲っています。

忍骨命が英彦山と香春岳に深く関わることを伝える文があります。
「香春神社縁起」によると(略)
忍骨命の和魂は南山(彦山)に鎮まり、荒魂は二の岳(香春岳)に示現した。
(木村晴彦「香春・英彦山の歴史と民俗」)

忍骨命の荒魂(あらみたま)が二の岳に現れたということです。
和魂(にぎみたま)が「彦山」とありますが、「彦山」とは「英彦山」のことです。

この縁起から英彦山と香春岳はセットで捉えられているのが分かります。
宇佐八幡宮で教えていただいたのですが、英彦山でも銅が採れたそうです。
この二山には「銅山」という共通点がありました。

忍骨耳が天孫降臨をニニギノ命に譲った事情を古事記から見てみましょう。
次はブログ『古事記の神々』で訳した「天の忍穂耳の命」の一部です。
天照大御神は、
「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の
長五百秋(ながいおあき)の水穂(みずほ)の国は
私の御子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が治める国である。」
と命じて言われ、天忍穂耳命が天降りされました。

天忍穂耳命は天の浮橋にお立ちになったのですが、
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国はひどく騒いでいるなあ。」
と言って、戻って来て天照大神にその事を申し上げました。

そこで、高御産巣日神と天照大神は命じて、天の安河の河原に八百万の神を集めて、
思金(おもいかね)の神に考えさせて、言われました。

「この葦原の中つ国は私の御子が治める国で、私が委ねて与えた国である。
しかし、この国にはすばしこい荒ぶる国つ神どもが大勢いると思われる。
そこで、どの神かを使わして、帰順させてほしい。」と。

(こういう事情で、天の菩比(あめのほひ)の神、天の若日子(わかひこ)、
雉(きじ)で、名前が鳴女、建御雷の神、
と次々に使者が派遣されて、ようやく出雲の国は降伏しました。)

そこで、天照大御神と高木の神の命令で、
太子(ひつぎのみこ)の天の忍穂耳命に言われました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告がありました。
だから、以前にその国を与えた通りにして、天降りして治めなさいませ。」
と。

すると太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。
名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひこひこほ)のニニギノ命です。
この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と
結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)、
次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。
だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」
と言われました。

こうして、天の忍穂耳の命の天降りは次男のニニギノ命に譲られました。

地元に立ってこれを読むと、急に歴史がリアルに見えて来ました。
「騒がしい国」とはこの古遠賀湾周辺のことですね~。
「豊葦原の」とありますが、この辺りの川は葦が今でもよく繁っています。

ニニギノ命の降臨地といえば馬見山。(サイドバー馬見神社)
この地における宇宙観が少しずつ明らかになってきました。
詳しくは別の機会で掘り下げましょう。

第三座 豊比賣命 
神武天皇の外祖母住吉大明神の御母にして三の岳に鎮り給ふ。

この文の切れ目が分かりません。
「神武天皇の外祖母 すなわち 住吉大明神の御母」と解釈していいのでしょうか。
そうすると、豊比賣は神武天皇の母方の祖母ということになります。
この解釈が合っていれば、大変な情報です。

少し話が逸れますが、宇佐八幡宮の「比売神」は謎の神です。
宇佐を理解する事はこの女神を明らかにする事でもあると言って過言ではありません。

宇佐が謎めいているのは比売神とは誰か、分からないからです。
比売神=三女神=宗像三女神と普通は言いますが、
多分、歴史を探究するフクオカの人たちは、何故か首をかしげます。
この感覚は説明できないけど、不思議な現象なのです。

当社の豊比賣と同じなのか、違うのか。
それは大事な問題になります。

縁起に戻りましょう。
「豊比賣」が「神武天皇の外祖母」で「住吉神の母」とすれば誰が該当する?

母方を調べて行けばいいんですよね。
神武天皇の母は玉依姫。その母は「海神・豊玉彦の后」です。
その后の名前が豊比賣ということになります。

そして、その子供が住吉神ということになります。
豊玉彦は安曇族です。
豊比賣は住吉族だったのでしょうか。
住吉の神は現人神社に祀られています。(サイドバー 現人神社)

もしかしたら、安曇族の豊玉彦と住吉族の豊比賣が結ばれた?
まさかの、展開です。
(皆さん、検証してくださいな)

三年前に安曇族と住吉族の神話における深い関わりに気づいてから、
いよいよこの謎に取り掛かりたいと思っていた矢先でした。

まさか、香春神社にそのヒントがあるとは思ってもいませんでした。
系図とか書いたりして、先々もっと調べましょう。
次に行きます。

第一座 辛国息長大姫大自命 (からくにおきながおおひめおおじのみこと)
    神代に唐の経営渡らせ給ひ、崇神天皇の御代に御帰国、
香春一の岳に鎮まり給ふ。

この姫は崇神天皇の御代ということなので、ラストになりました。
「大自命」とありますが、「自」の字が判別しにくく、調査中に
「大目命」「大白命」「大日命」と、いろいろ出て来ました。
「自」一つで意味がずいぶん変わります。
神社が「自」としていることで間違いないと思いますが、まだ気がかりが残っています。

前掲書(木村晴彦)にこう書かれているんです。(一部分かりやすく改変)
香春神社の「縁起」に、
韓地における大姫命の霊は、実に白石の玉と示し給う。
しこうして、この三山は、白石幽妙の神縁なり。
けだし、上古より、この山に臨座あり。
然る後、彼の土に渡り経営終る故、また帰座か。

この白石とは、まさに一の岳で採掘されつくしたものなのです。

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この「山王石」は一の岳から昭和14年、6月30日午後三時に
一の岳の山頂から落下して来て、そのまま鎮座しているのだそうです。

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これはその周囲に置かれた白い大理石。
キラキラしていて綺麗でしょ。一の岳はこの白い石で出て来た山だったのです。
航空写真でも真っ白に写るからすぐに分かります。

この白き神山を神格化して「大白命」とされた可能性が捨てきれないのです。

そして、もう一つ、「唐」「韓」「辛」の示す「カラ」の国。
特定されていないそうですが、異国に行って戻って来た女神とツヌガアラシトの話が重なって来ます。
(まだこれは紹介していませんね)

しかも、この周囲には現人神社がいくつもあるのです。
平安時代だったでしょうか、秦姓が多かったとも。
神功皇后伝承に出て来るキーワードがいくつも重なっています。

これらについては後日ゆっくり考察したいと思います。

ということで、今日は駆け足で祭神を調べました。

さてこの日、結局予定の2時間は4時間以上かかり、
るなは集合時間に遅刻してしまったのでありました (+_+)

地図 香春神社




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Commented by 愛読者 at 2013-08-07 10:56 x
宇佐八幡宮の「比売神」は多分「高良玉垂命」だと思います。
何故なら『太宰管内志』に「高良山と申す處に玉垂の姫はますなり」、『筑後国神名帳』に「玉垂姫神」とあるように玉垂命は「比売神」とされていること。
また、『高良玉垂宮神秘書』に「高良、九州ノコソウヒウ(宗廟)タルカ、天平勝宝元年己丑ノ年、宇佐八幡ノ御社造立アリテヨリ、高良、御マヽコタルニヨリ、九州ソウヒウノ御ツカサヲ ユツリ玉フ也」即ち「高良山は宇佐八幡に九州宗廟の地位を引き継いだ」とあり、その時宇佐の祭神に「高良玉垂命」が「比売神」として引き継がれた可能性があるからです。
或は、そもそも玉垂命も宇佐の祭神であったのが、地位を譲った=取って代わられた際に「高良」の名前は消され「比売神」とされた可能性も高いと思います。
従前の信者にとって、祭神を消し、神殿や神像その他を破棄することは最も畏怖すべき、また「たたる」(神罰を受ける)行為なので、名前だけ変え新たな祭神たちと一緒に祀り続けられたのではないでしょうか。
いずれも推測ですが、どうでしょう。
Commented by 愛読者 at 2013-08-07 11:22 x
もう一つ、「糸島市の宇美八幡宮」同様の2体の木彫の隋神は、神功皇后を助けて戦った勝村大神(藤の高麿)、勝頼大神(藤の助麿)でないでしょうか。
宇美八幡宮は当然ですが、宮地嶽神社の祭神も、勝村大神、息長足比売命(神功皇后)、勝頼大神ですよね。
そして、「辛国息長大姫大自命」って「辛国=韓国」、「大姫大自命」という大仰な修飾語を簡略化すれば、「姫命=比売命」ですので結局「韓国ゆかりの息長足比売命=神功皇后」となります。
「2体の隋神像」から神功皇后も勝村・勝頼も香春神社の祭神だったのではないかと推測されます。
Commented by lunabura at 2013-08-07 21:04
愛読者さん、こんばんは。大いに示唆に満ちた御考えをありがとうございます。
前者のコメントで思い出したのが、宇佐宮の権禰宜さんが、高良大社から宇佐に権利が移った話をされたことです。
その時、いったい何が起こったのでしょうか。
「高良玉垂命」に関しては、「玉垂姫神」とは別神とは捉えられませんか?
それでも、高良玉垂宮の兄が大善寺玉垂宮なので、高良姫神とは大善寺玉垂宮ー水沼ー三女神ということで、やはり三女神となりそうですね。
水沼が宇佐の隣の安心院に来ている事が明らかになったので、すべてが繋がりました。
この先、報告する予定ですが、かなり先になりそうです。
Commented by lunabura at 2013-08-07 21:13
「辛国息長大姫大自命」=神功皇后説は古くからあるようですね。
私は今のところ、そうではないのではと思っています。
ただ、御指摘のように、ここには糸島の宇美八幡宮と通じる点があるのに気づきました。
安心院の佐田神社では、その観をさらに強くしました。
(二体の隋神像は二組の隋神像というのが正しい表現でした。
誤解を招く表現で申し訳ありません。
それでも、二組は製作者が違う像ですので、左右の二体として考えてよいと思われます)
ママコ(継子)という表現も気になります。

Commented by 福岡産まれです at 2023-06-11 18:40 x
香春神社興味深いですね。私は香春岳と連なる三つの山でオリオン座の真ん中の三つの星を連想してます。きっと大事な山だったと思っています。
by lunabura | 2013-08-03 22:51 | (カ行)神社 | Comments(5)

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