2013年 08月 13日
宇佐神宮1 大尾神社・和気清麻呂が託宣を受けた聖地
宇佐神宮1 大尾神社
和気清麻呂が託宣を受けた聖地
いよいよ中心的な宮、宇佐神宮です。
ずいぶん久し振りで、かつて印象深かった北斗七星を掘った石や菱型池を
楽しみにしていたのですが、今回はどちらも見る時間はありませんでした。
それどころか、全く記憶のない境内のようすに、
るなは別次元の宇佐神宮を記憶しているのかと戸惑うほどでした。
本殿を見てようやく、やっぱりここに来ていたと安心しました。
今回は摂社がメインです。
読者の方も、いつもとは違う宇佐神宮に出会えるかも…。
最初に行ったのは大尾神社です。「おお」と読みます(@_@)
参道から左に入って行きます。
摂社と言えども、参道の広さと長さに驚かされます。
田んぼの中に続く参道。山に向かっています。
その駒犬や灯籠の大きさは並々ならぬ信仰を伺わせます。
少し石段を上った地点で、メンバーに遅れが出てUターンを決定。
気温がうなぎのぼりで、体力温存を優先せねばならない状況でした。
こうして今、宇佐神宮のHPを見ると、私たちは境内の一番左にいました。
位置的には護皇神社の前の四つ角にいます。
護皇神社の由緒
御祭神 和気清麻呂
銅鏡事件の際、八幡大神様の神託を受けて国の危機を救った和気清麻呂をお祀りしています。(宇佐神宮公式HP)
その上方にある大尾神社の由緒は次の通り。
大尾神社の由緒
御祭神 八幡大神
天平勝宝元年(749)八幡大神は比売大神とともに奈良に行幸、天平勝宝7年(755)
伊予の宇和に移り、10年後奈多宮を経由して宇佐に御帰還になりました。
その時、宇佐三山の一つ大尾山の頂上に御鎮座するとの託宣があったので、天平神護元年(765)に造営し、八幡大神様はここに約15年御鎮座されました。
この間の神護景雲3年(769)7月11日、和気清麻呂公が弓削道鏡の事件に際して勅使として参拝され、八幡大神様より国体擁護の御神教を授かった聖地です。
(宇佐神宮公式HP)
和気清麻呂が神託を受けた場所ということです。
託宣により、15年間、鎮座されたというのも不思議な話ですが、
当地は聖地として重要な場所だったのが分かります。
ここに鎮座する前に、八幡大神と比売大神は奈良へのご神幸があり、
その期間、天平勝宝4年(752)に奈良の大仏の開眼供養会が催されています。
伊予を経て帰還される時、奈多宮を経由しています。
再びの奈多宮。
宇佐から見たら、前回の鷹居神社の方がずっと近いのに、何故遠い国東半島を経由したのか。
そこにある古代遺跡。
これらが、次の摂社で出会った共時性を解く手がかりになるのではないか…。
そんな予感がしてきました。
宇佐神宮
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