2013年 08月 19日
宇佐神宮5・隋神 高良神と阿蘇神
宇佐神宮5
隋神 高良神と阿蘇神
上宮の正面です。この門は一般の人は通れません。
その華やかな建築は日本の美を堪能させてくれます。
誰かが質問しました。
「ところで、高良の神は当宮には祀られていますか」
「はい、こちらに祀られています」
そう言って案内されたのが右手の隋神像でした。
威厳のある美しい神像です。
御顔を見ると、阿蘇の神に比べてずっと長老です。
こちらが阿蘇の神。正しい名称は分かりません。
しかし、こうして守護神となられたということは、二神は宇佐の下になったことを意味しています。
どんな事情があったのでしょうか。
宝物殿で伺ったことばを思い出しました。
「高良山は第二の宗廟で、守る人がいなくなったので、こちらでお守りしました」
必死でメモをしただけなので、その内容は分かりません。
初耳で、時代もいつの事が分からず、驚くばかりでした。
何が起こったのでしょうか。
阿蘇の神と高良の神。
九州王朝を連想させます。
鷹居神社の「松と鷹のモチーフ」が再び出て来ます。
こうなると、金の鷹が鷹居神社に飛んで行ったという話にも深い謎かけがありそうですね。
黒男神社
高良の隋神像の御顔を見た時、長老だったので、竹内宿禰のことかと思ったのですが、
実は、竹内宿禰は鳥居の外に祀られています。
黒男神社 御祭神 武内宿弥
武内宿弥は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、五代の天皇に二百四十余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもってお祀りされています。
八幡大神にご奉仕された神であり、古くから大鳥居の外に鎮座になって大神をお護りされています。長寿、忠誠、奉仕などの高いご神徳を授けられます。
(宇佐神宮Hpより)
大鳥居の外で大神を護っているという位置づけです。
この黒男神社の竹内宿禰と上宮の隋神は同神なのでしょうか。
さらに、その裏には仲哀天皇の祠があったそうですが、最近、神功皇后のおそばに祀られたそうです。
神功皇后の神殿の横には住吉神社があります。
これらの配置からは宇佐神宮の創建時の思想が伺えそうです。
ウィキペディアより
宗廟(そうびょう)とは、中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと。中国の歴代王朝においては、廟号が宗廟での祭祀の際に使われる。台湾の台中にある林氏宗廟や、世界遺産に登録されている朝鮮王朝の李氏宗廟が有名。
または日本に適用して、伊勢神宮・石清水八幡宮のこと(二所宗廟)。
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『筑後国風土記』逸文に昔「麁猛神」により多数の人命が失われた際、「筑紫君・肥君等占へて、今の筑紫君等が祖甕依姫(みかよりひめ)を祝と為して祭る」ことにより治まって、甕依姫は「筑紫の神」となったとあります。
これは『魏志倭人伝』の、「倭國乱れ、相攻伐すること歴年」とか、「更更相誅殺し、当時千余人を殺す」状況が俾弥呼・壱予によって治まったというのと一致します。
すると筑紫君・肥君等は、俾弥呼=九州王朝の系列となりますから、大和朝廷に征服された後、九州王朝の筑紫君の神=玉垂命、肥君の神=阿蘇の神が隋神として「門番」的な扱いとなったのもうなづけますね。
いよいよ『五と八の謎』に迫るのですね!
八幡縁起にある『龍女ヲ后妃ニ嫁申サン』の件について、るなさんの考察を伺えるかも!とワクワクしています。
あと!この二柱の隋神(善神王?)と、放生会神事とは関連はあるのでしょうか?
桜もちさんの「鷹居神社」と鷹の話を聞きたかったんですよ~。
それに、引用された八幡縁起も初耳で…。何も知らないんです。
たしかに、二柱の隋神は放生会の隼人の乱と関係ないのかなと、思案中です。
時代がよく分からないんです。
謎解きは壁にぶつかってるので、みなさんいろいろ教えてくださいませ。
但し、放生会の起源の地、中心地は「飛鳥」ではなく、宇佐八幡、あるいは筥崎宮、元宮の大分八幡宮で「筑紫」ですから、「京に近き諸国」とある「京」とは大宰府と考えられます。
そして、大宝2年(702)8月の薩摩・多褹の叛乱に際し、「薩摩の隼人を征する時、(筑紫)大宰の所部の神九処を祷み祈る」とあり、この神九処中に宇佐八幡等があったことは疑えません。
従って、そもそも筑紫の神事だった放生会が、隼人の慰霊のために720年頃改めて盛大に催されたと考えるべきでしょう。
なお、大分八幡が筥崎宮、宇佐八幡の元宮だった時代は、天武よりはるか以前ですので、筑紫での放生会の真の始まり時期は、仁王経が渡来した九州年号「仁王」時代(623~634)(『園城寺伝記』による)か、九州年号「金光」時代(570~575)ではなかったかと思っています。
「慰霊」とか「隋神に祀る」といっても、どちらも「祟り」を恐れてのことですから。
確かに、放生会そのものは早くに始まっていて、大々的になったのが隼人の乱からというのはアリですよね。
その中で「京に近き諸国」とある「京」は宇佐の北部の旧「京都」郡(みやこ)の可能性はありませんか?
地名そのものが残っていますので。この「京都」がどのようになっていったのか、未調査ですが、謎解きの鍵を持っているようで、注目している場所です。
それこそ、桜もちさんが詳しいみたいですが。
いずれにしろ、愛読者さん、ありがとうございます。
私がコメントした『鷹居社』の話とは『ドロボー扱い』の話ですか?
だとすれば『彦山流記』にある八幡の話です。同様の話が『八幡宇佐託宣集』にもあるようです。
『龍女…』は、最近読み返した『宇佐八幡と古代神鏡の謎(田村円澄 著)』の巻末にある『八幡宮御縁起』からの引用です。他の縁起からの抜粋要約のようです。確か『八幡愚童訓』だったような…。
宇佐や彦山の縁起を書籍等からコピーしたものが何処かにある筈なので確認してみます。
詳細説明、有難うございます!
私は、養老四年(720)の隼人の乱は『豊前の民』が『隼人』と呼ばれていた民を煽って起きた乱ではないかと考えています。
つまり『豊前の民+隼人』VS『宇佐+豊前の民』なので、この乱以後『放生会』は盛大になったのではと。『神鏡奉納神事』は阿蘇神、『舞奉納神事』は高良神に由来するのかなと思ったもので。
しかし『放生会』の原形は『磐井の乱』での犠牲者への供養ではなかったかと思っています。←これについては根拠はないです。
お忙しいところ恐縮です…。
前述の『八幡宮御縁起』にある『龍女…』の件は、『八幡愚童訓』と『六郷開山仁聞大菩薩本紀』にありましたが、『善神王』の件は、どの縁起からの抜粋なのか判りませんでした。
『愚童訓』と『六郷山』は『日本思想大系20 寺社縁起(岩波書店刊行)』に全文記載があります。ヒメ神についての主張が異なるので…参考迄に。
『旱珠・満珠と磯良』の件に明るい、るなさんなら真実を導きだして下さると期待しています!
私の知能では『愚童訓』読破・解読も無理なので…(涙)
『日本思想体系』か…。大変そうですね。 (・.・;)
ちょっと意外だったのは、この旅では豊玉姫に出会わなかったことです。
周防灘には伝承が多いと思ったのに。
もっと北部に信仰圏があるのかな。
玉依姫伝承は安心院にあったのです。
比売神はまだ三女神とは断定できないのですが、複合か上書きか、
古層を知りたいなと思っています。
そのことが原因で豊の民は二分したのではないかと。『豊の国』とは宇佐除く旧豊前国で、旧豊後国にいた勢力との和睦で出来た国が『宇佐』ではないかと思っています。
『豊の国』は豊玉姫一族を祭祀していたという確信?はあるのですが…豊玉姫に関しては未だ具体的な伝承を見つけられないのです。恐るべし、八幡信仰!
皆様のコメントに私は???ばかりですが、楽しみながら少しづつ知識をつけたいと思います。
それと時間が勿体無いですから、返事は無理しなくて結構です。
その代わりこのブログを充実させて下さい。(笑)
二段階の上書きですか! これは仮説を伺いたいですね!!
たしかに豊の国って、豊前と豊後では地理的にひとくくりにどうして出来るのだろうと謎に思っていたのです。
そんな疑問をふと思い出しました。
素朴な疑問って大事なメッセージみたいですね。
宇佐神宮は広いので、一日はかかりそうですね。
私も、次回は菱形池と遥拝所を見たいです。
皆様のコメントは私にとっても難しいのです。
でもいろんな観点からの意見が伺えて幸せです。
風早宮の地形、すごかったでしょ。あの形が神功皇后伝承地にいくつも出て来ます。
日天宮は参道への目印が一本の松 (+_+) 説明不可能なんです。
磐座はいっそのこと、佐賀の巨石パークがお勧めです。風土記に出て来るものなんです。
これからもよろしくお願いします (^-^)
まず、彦山流記にある『スサノオの子』の妃は、筑紫の宇佐嶋から来た二女神で、後代の市杵嶋姫[亦名 佐手依姫(海部氏系図)]とあわせ『宗像三女神』となり、『スサノオの子』は許斐山に移ったのち『大己貴』になったのかな、と。
つまり『二女神』の時代と『三女神』となった時代(金光七年)とは、宇佐に八幡を創祀した時代とは違う、宇佐八幡が宗像三女神とされるようになったのは後世の彦山修験の影響だと思うのですが…。
宇佐のヒメ神は、あくまで『龍女』だと思っています。
市杵島姫はどうも後付けのように思えてなりません。
国東半島の奈多宮にもその痕跡を見つけました。
やはり接点は英彦山ですか。
なんとなく見えて来ましたね。
神功皇后は実在しなかったという意見もありますが、これだけ伝承が残っているのは私は実在を信じてます。またいきなりUFOを見たことがあるだとかシンクロニシティーだとかバッチリ!私の考えと共通しています。このブログが多くの方々に認められるように微力ながら応援いたします。
待ってます !