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宇佐神宮6・呉橋と大善寺 暗号をどう解けというんじゃい

宇佐・安心院トレッキング(16)

宇佐神宮6 

 呉橋と大善寺 
暗号をどう解けというんじゃい
  

上宮参拝の後、下宮を参拝して、今回のテーマの一つ、呉橋へ行きました。

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よ~く見て下さい。これは社ではありません。橋です。
しかも開かずの橋。十年に一度、勅使を迎える時にだけ開くそうです。

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ちょいと横から。川面が見えます。この呉橋は県の重要文化財です。
宇佐神宮HPには
「鎌倉時代より以前からある西参道の屋根が着いた神橋です。
昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名があります」
と書かれています。

出ました!「呉の国」の人が架けた?
呉の国といえば、二つあります。紀元前と紀元後。どっちだろう。

ちょっと、ウィキペディアで確認しておきましょう。

呉(春秋)
(ご、拼音:wú、紀元前585年頃 - 紀元前473年)は、中国の春秋時代に存在した君国の一つ。現在の蘇州周辺を支配した。君主の姓は姫。元の国号は句呉,勾吳。

呉の成立については詳しいことはわかっていないが、司馬遷の『史記』「呉太伯世家」によると、以下のような伝説が載っている。

周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子・季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていた。長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き、現地の有力者の推挙でその首長に推戴されたという。
後に季歴は兄の太白・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施した。当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉(後に寿夢が呉と改称)と称し、その後、太伯が亡くなり、子がないために首長の座は虞仲が後を継いだという。


呉(三国)
(ご、拼音:Wú、222年 - 280年)は、中国の三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)。孫呉、東呉とも呼ばれる。

222年というのは、それまで魏に対して称臣していた孫権が黄武と言う新しい元号を使い始め、魏からの独立を宣言した年である。正式には呉の建国としては孫権が皇帝に即位した229年を採る場合もある。しかし孫権が勢力を張ったのは父孫堅・兄孫策が築いたものを受け継いでのことであり、この項では孫堅の代から説明する。


紀元後の方は魏蜀の三国で、神功皇后や卑弥呼の時代です。
神功皇后の時代なら、竹内宿禰たちの土木工事の話などが伝わっている時代なので、
橋を作る事もできたでしょう。
これほどの装飾はなくても、当時の船を造る技術で作れたと思われます。

「呉の国」という表現は、まだ日本人に同化する時代の話なんでしょうね。

さて、呉の民といえば安曇族です。
安曇族が三国時代の呉人とすると時代が合いません。
紀元前の呉なのでしょう。そうすると太伯の時代となります。

紀元前の呉と紀元後の呉って同じなのでしょうか?
にわか勉強なので、わけが分かんない~。

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今回のポイントは「呉橋は勅使道に架かっていて、創建は倭の時代」ということです。
(のちに倭国と日本国の並立時代がやってくる)

呉橋(くれはし)には屋根がついていますね。勅使は右の鳥居から橋を渡るのでしょう。
私が建っている所は一般人の通れる橋で、神橋といいます。
川は寄藻川といいます。

で?何なのだ?これが何を意味する?

るなの頭はこの辺りで思考停止するのですが、
この呉橋の特殊性に気づいてツアーを組んだ古川清久氏はメンバーにどうしても見せたいものがありました。

それは呉橋のすぐ近くの大善寺です。
大善寺?
久留米市の人は「え?」て思うでしょ。
大善寺玉垂宮と同じ字のお寺が宇佐神宮の隣にあったのです。

私たちは迂回して川の上流に出ました。

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ここは「大善寺橋」の上です。
川の向こうに長い屋根の建造物が見えますが、それが先程の「呉橋」です。
この橋は白龍山大善寺の前に架かっています。

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これが白龍山大善寺の正面です。


古川氏は久留米市の「大善寺玉垂宮」の前に架かる橋「傘橋」も、
「傘」という字から、貴人しか通れない橋を意味していると言います。

宇佐と久留米の相似はいったい何を暗示している?

薦神社の呉橋と勅使道。
宇佐神宮の呉橋と勅使道と大善寺。
大善寺玉垂宮と傘橋。

この三つの橋は貴人しか通れない特別な橋。

U~NN.うまく書けない。
人の発見を、何で るなが苦労して解説しているんだい。 (-_-;)


勅使道というのは天皇の使いが通る道。
奈良・平安時代なら天皇の所在地は近畿なので出発点は近畿だけど、
呉の国の人が生きていた時代は倭の時代だから、勅使の出発点は近畿ではない。

そうすると、
出発点は同じキーワードを持つ大善寺玉垂宮だということでしょうか?
あるいは大善寺玉垂宮は通過点?
つまり、天皇あるいは王は筑紫の方にいた。

そんな理解でよろしいのでしょうか。

これについてしばらく考えていたのですが、まさか。
るなの仮説とつながってる?

るなの仮説は「三女神を祀っていた水沼の君が宗像の君となった」というもの。
つまり、水沼の君の三女神と宗像の三女神は同じ神。

大善寺玉垂宮は水沼の君の都にあります。
水沼の君の三女神と宇佐神宮の三女神もつながってる?

これ、やばくないっすか?


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地図 宇佐神宮の呉橋 大善寺


地図 久留米市大善寺玉垂宮と 傘橋




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by lunabura | 2013-08-21 22:24 | 神社(ウ) | Trackback | Comments(8)
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Commented by 愛読者 at 2013-08-21 23:58 x
時代的・地理的には「三女神を祀っていた宗像の君が水沼の君となった(水沼の君の祖である)」という順序があたっていると思います。
Commented by lunabura at 2013-08-22 20:41
愛読者さん、こんばんは。
福岡や福津市では、宗像族って何処に居たんだろうという感想を何度か耳にしました。
宮地嶽神社は宗像大社より古いと言われていました。
それやこれやでの、アプローチです。

もちろん異なる意見は大歓迎です。
自由に論を述べる場にしたいと思いますので、よろしくお願いします。
(^-^)
Commented by 愛読者 at 2013-08-22 23:56 x
宮地嶽神社は本来「磐座(洞窟)」信仰がもとで、縄文時代にまで遡れますからそうかもしれませんね。同じ磐座の「沖ノ島」のほうが宗像の元宮(そもそもの宗像海人族の聖地)でしょうから。
高良の神は縄文の神「高木の神」を追い出して、三潴や高良山に来たとされるのでそのあとの時代かと思ったんです。
そういう縄文の神の上に、後代の神が乗っかって現在の神社の姿があるので、とても複雑です。
でも神社や祭神の複雑なルーツを考えるのは「パズル」のようで面白いですよね。
Commented by lunabura at 2013-08-23 21:10
沖ノ島は確かに縄文以前から人が住んでいた遺構がありますね。
漁労で季節ごとに滞在するタイプではないかという話です。

沖ノ島の南東部の海底にラセン階段のついた柱が取材されています。
宗像の氏子さんは全く把握していなかったと言われました。

仲津宮の大島は何故か天の川と七夕の祭が中心です。

しかも、昔は大島までは陸続きだったという話もあります。

おっしゃる通り、古い信仰は複雑なので、周囲から攻めて行く手法を取っています。
とりあえず、筑紫の姫神というテーマでいったんまとめたいと思いますので、
また御意見をお願いします。
Commented by TMスタジオ at 2016-05-27 09:27 x
ブログを拝見させていただきました。
薦神社の呉橋と勅使道。
宇佐神宮の呉橋と勅使道と大善寺。
大善寺玉垂宮と傘橋。
の関係は面白いですね。
ちなみに玉垂命は藤大臣、高良大明神
高良大明神こうらだいみょうじん

あまり知られていませんが
宇佐神宮本殿の二の殿の姫大神さまの
両わきを阿蘇大明神と高良大明神で守られています。
これに関する資料があまりないのですが
宇佐神宮そばに住む者として久留米の高良大明神を詳しく調べたいと思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=R3OkPHBUg58

Commented by lunabura at 2016-05-27 22:58
TMスタジオさんはじめまして。

阿蘇と高良は門番として鎮座されているのを見ましたが、
二の殿の中でも祀られているのですか?

藤=阿部
阿部相丞は宮地嶽の神。
宮地嶽は安曇族。

玉垂命は安曇磯良と解釈しています^^

宇佐を考えると、いつも気が遠くなりそうです(^^;
Commented by at 2017-02-11 15:15 x
こんにちは。クナ国の民が、自分達は句呉の末裔と自称していたのが思い起こされますね。句呉のトーテムのナマズ。しかもその文化圏が阿蘇や宗像に分布している不思議。太伯がいたとこも蘇州だし…太伯の姓である姫だって、もしかしたら比女大神に関連しているかもしれない…なんて考えてます。あ、ちなみに…飯塚には鯰田って地名があり、飯塚市内の熊野神社では「蜘蛛か熊のようなもの(全く違うじゃん)」が封印された大岩がありますね。これって、クマソやクナ国を比喩してるんじゃ…
Commented by lunabura at 2017-02-11 22:25
興味深いお話しですね^^
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