ひもろぎ逍遥

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三女神社3  幻の水沼井

宇佐・安心院トレッキング(22)

三女神社3

幻の水沼井

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水沼井への道は細々と森の中へと続きました。

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そして、ピークに来た時、再び鳥居が。
この時、扁額が裏側になっているのに気付きながら、さらに奥に進むと、長~い下りの石段が。

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時間を気にして、どんどん進むと、あれれ?
普通の道に出てしまいました。

下っては行けなかったんだ。
そう気づいてUターンし始めた時、るなを呼ぶ声が。
マーサが心配して呼びに来てくれていました。


再び長い石段を上って鳥居に戻ったけど、水沼井は見つかりませんでした。
時間がもうない。

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鳥居の所から脇を見ると開けた公園らしきところが樹木の間から見えています。
そこにあったのかな…。
気になりながら、戻る事にしました。


こりゃあ、リベンジ編だな…。
幻のままでは終わらせたくない。

(古川さん、このブログ見たら、どこにあるのか教えてくださいね)

水沼(みぬま)を三潴(みずま)という地名に残す大善寺玉垂宮では
泉を見つけていませんが、
三女神の降臨を伝える赤司八幡神社には渟名井(ぬない・益影の井)が残っています。
が、枯れています。

ここ、三女神社には、「三女神と水沼氏と水沼井」が揃っている。
なんとも魅力的な場所です。
いつか、必ずその泉に手を触れたい。

満月の夜なら月を宿し、月のない夜には北極星を宿す神秘の神事。
神の禊までも介添えをするという水沼。
筑紫の君はここに水沼を置いて、神域を守らせたのでしょう。

ここは宇佐神宮の比売神のルーツを考えるのに大切な場所でした。


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あとで気づいたのですが、当社は川のそばの丘でした。

水沼の君たちが周防灘から川を遡って来たとしたら、川のそばの丘の上に湧き出す水を見つけ、
ここを聖地として、故郷の祭祀をした場所だということになります。


宿泊はその丘の上にある家族村だったのですが、
そこからは安心院盆地の全体を見下ろす事ができました。
きっと家族村からワイナリーにかけて、筑紫の君の聖域が形成された事でしょう。
縄文から弥生にかけての遺跡が残されているかもしれませんね。


境内にはその原始的な祭祀の手掛かりがいくらか残っていました。
もう一度境内に戻りましょう。
(つづく)

月の神事については大善寺玉垂宮に。
星の神事については赤司八幡神社に載せています。





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by lunabura | 2013-09-01 20:22 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(14)
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Commented at 2013-09-15 05:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2013-09-15 21:28
非公開さん、安心院に行ってくださったんですね ♪
早速拝見しましたが、川の対岸になっているので、もしかしたら別の水沼井かもしれませんね。
水沼井は二つある?
しかし、この水沼井も重要な発見!
(地元の人には当たり前かも知れないけど…(#^.^#))
またもや面白くなりました。
教えて下さってありがとうございます。
今朝のオリオン、素敵な写真ですね ♪
Commented at 2013-09-22 12:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2013-09-22 12:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2013-09-22 12:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2013-09-22 21:45
非公開さん、はじめまして (^-^)
記事がお役に立てて嬉しいです。
私自身はまだ水沼井が確認できていなくて、残念なんですよ。

別の方から、ヤフーかグーグルマップで
33.44105,131.355709
に水沼社があるとの情報を頂いています。
ただ、これは川を挟んでいるので、探しているものとは違うかも知れないと思っています。
非公開さんの東南方向の井戸がこれでしょうか?
いずれにしろ、確認できたのなら、よかったですね。

神さまの計らいとは本当に不思議ですね。
お役に立ててありがたいです。
Commented by ハコガメ at 2013-09-23 10:31 x
「儺の国の星」と続編それぞれ3冊ずつありました。古い書籍でしたので再版はまだなのではと思います。
このブログを通じて眞鍋大覚を知りました。私も那珂川は近くなのでブラブラしますが、古代の空気を感じさせる大好きな町です。

今日も好天なのでどっか出かけます!


Commented by lunabura at 2013-09-23 23:00
那珂川町はもっと知りたいですね。
太宰府との関わりなんかも面白そうだし。(*^_^*)
Commented by はな at 2013-10-10 23:35 x
わかりました!ここでした。
鉄が取れていたから、大和政権がほおっておかなかったのかもですね。
うちの先祖がここに来た時は、鉄はもう製鉄して鍛治場に運んでた時代かもしれないけど、知りたいですね。
ところで、戦後の写真を見てると、この神社の東50mのとこに、何か建造物の影がありますよ。
ここは、佐田神社よりうんと上等の場所ですから、何にもなかったとは、思えませんね。
Commented by はな at 2013-10-11 09:50 x
間、間、間違えました。ここが三女神社の話かと思ってた。てっきりなくなっちゃったのかと。ちゃんとした神社があって安心しました。
Commented by lunabura at 2013-10-11 21:14
はなさん、こんばんは。
お探しの神社は見つかりましたか?
鉄は多分延べ板になって運び込まれて、御先祖さまが刀にしたんでしょうね。
Commented by はな at 2013-10-12 11:25 x
私の思い込みで、先祖は長野の山奥から京都に出てきた人、って考えてたら、なんと、後醍醐天皇の頃にリストラにあった公家さんだったの。その次男が19歳で安心院公によばれて宇佐に下った時、父親が宇佐神宮と代々の跡取りにって刀2本を持たせた。てっきり宇佐神宮の出雲系の神様に捧げたと思ってたら、公家さんならヤマト系の神様ですよね。しかし下った先は九州。どっから見ても出雲系の土地。そこに若くて心細さもいっぱいだったろうに、根をおろしてささやかに真面目に働いてきた先祖が、しのばれます。京都に残った長男の家系も有名だったらしいけど、名前が明治まで残ったのは、深い田舎で権力に仕えた方だった。
仏壇の中にも手がかりはあって、父もおじいさんも、名前から次男ってわかったので、直系ではなかったです。
ただ、おじいさんは八幡製鉄の開業に配下を連れてかかわったとの話を、兄が思い出してしてたけど、直系はどこで何してるか。
お金は残せなくても名は残せたご先祖でした。

不遇に苦労した一族ほど、先祖や家系を拠り所に大切にするというのは、旧約聖書の双子の兄弟にも通じて、興味深かったですよ。
今度は父の生まれたところを探します。供養です。
Commented by lunabura at 2013-10-12 23:06
はなさん、こんばんは。
かなり、ルーツが判明したのですね。
刀を二本持たせたとか、いい話ですね。
宇佐神宮の宝物館にも、刀はいくつか展示されていましたよ。

結果を教えて下さってありがとう。
Commented by ニューバランス at 2013-11-14 14:23 x
ニューバランス 1300
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