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妻垣神社(足一騰宮)2  「足一騰」の謎 1

宇佐・安心院トレッキング(25) 

妻垣神社(足一騰宮)2
 「足一騰」の謎 1

お待たせ!
『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』の二冊から、
宇佐・八幡・足一騰・隼人など関連するキーワードを拾い出してまとめるため、
読破というか、斜め読みというか、とにかく目を通しました。

多くの謎を秘めた八幡信仰の真の姿をなんとか浮かび上がらせてみたいと思います。
これで、皆さんの疑問も解けるといいですね。

さて、今回は「足一騰」についてです。

「足一騰」という言葉は「片足 一つ 騰げる」と読み換えるとイメージが湧くと思います。
いわゆる片膝立てる座り方ですね。

また、夜空の北斗七星を一本足で廻るもの(神)としてイメージしてみてください。
北斗七星は北極星を中心にして時計と反対回りに回ります。

北極星は現代はポラリスですが、昔は何もない時代があり、さらにその昔はツバーンが北極星でした。

北斗七星を斗極ともいいます。

c0222861_1949158.jpg

これは今夜(9月7日)の20時頃の北斗七星とボラリス。
北斗七星が逆さまなので、足一つには見えませんね。
北斗七星はこのあと海に少し沈んで行きます。
それを北斗の水汲みといいます。福岡の玄界灘~響灘だけで見える現象です。

それでは文章を写します。
例の如く分かりやすく改変しますが、出来るだけ原文に近い状態にしています。

斗極を足一騰星(あしひとつあがりのほし)という。同じ名の宮は神武帝前七(前776)年にみえる。宇佐の氏族はこの頃からすでに北辰妙見の信仰をいだき、いずれは天の中枢にポラリスがくるものとみていたのである。

四星を合わせて星の数と配列を八旗(やつはた)と書き、八幡と訓じたものと見える。
即ちその祖先は胡人であった。

Hatti(ハッティ)なる氏族を倭人が他(よそ)ながら氏族の総称なるman(マン)と重ねて八幡の名を作ったかも知れない。よく亀卜の術に長じていたから「ふとまに」なる古語をそのまま八卦に合わせてつけられた名とも考えられる。

石を希語(ギリシア語)でlithos(リソス)という。またの名をPetraという。石上(いそのかみ)は磁針作成の達人であり、やがて舟操(ふなひ)きの八幡の氏族と結束する。

幟(のぼりはた)を希語でmpautyera(パウチェラ)という。倭人はこれを巧妙に翻訳して八幡と書きかえた。ここに八幡信仰と宇佐神宮が結託することになった。

旗には別にsymaia(シマイア)があった。これが注連縄(しめなわ)の一つの語源になったものと思われる。Symaia(シマイア)は「たかばた」、昔の「ひめこそ」と同じで四角の凧(たかはた)に長い総(ふさ)をつけた形であtって、月の八の日にこれを挙げて風信をきく器であった。  『儺の国の星・拾遺』p96)
 


今回はここまで。少しずつ見て行きましょう。

斗極足一騰星(あしひとつあがりのほし)という。同じ名の宮は神武帝前七(前776)年にみえる。宇佐の氏族はこの頃からすでに北辰妙見の信仰をいだき、いずれは天の中枢にポラリスがくるものとみていたのである。

北斗七星をかつては「足一騰星」とも呼んでいたのですが、
「同じ名の宮」って、ここ安心院の「足一騰宮」のことですね!!

c0222861_1951449.jpg

(拝殿)

神武天皇の時代の北極星はツバーンだったと思われますが、
この宇佐の氏族はいずれポラリスが北極星になるのを知っていたといいます。

四星を合わせて星の数と配列を八旗(やつはた)と書き、八幡と訓じたものと見える。
即ちその祖先は胡人であった。

「星の数と配列を八旗と書き」というのがよく分からないのですが、
北斗七星の四角の部分から旗をイメージしたのでしょうか。
「胡人」は真鍋本によく出て来るのですが、「中東の民」と解釈しています。

八幡の氏族は中東から来たということになります。

Hatti(ハッティ)なる氏族を倭人が他(よそ)ながら氏族の総称なるman(マン)と重ねて八幡の名を作ったかも知れない。よく亀卜の術に長じていたから「ふとまに」なる古語をそのまま八卦に合わせてつけられた名とも考えられる。


「八」がついた理由について、「ハッティ」を倭人が付けた呼び方かもしれないし、
八卦から来たのかもしれないということですね。
八幡の氏族は亀卜の術に長けていました。フトマニの「マニ」は亀のことです。

石を希語(ギリシア語)でlithos(リソス)という。またの名をPetraという。石上(いそのかみ)は磁針作成の達人であり、やがて舟操(ふなひ)きの八幡の氏族と結束する。

「石上」とは冶金の達人のことで、磁石の小さな針も作っていて、
船に取り付けることで、船乗りの八幡の氏族と冶金の民が結びついたといいます。

旗には別にsymaia(シマイア)があった。これが注連縄(しめなわ)の一つの語源になったものと思われる。Symaia(シマイア)は「たかばた」、昔の「ひめこそ」と同じで、四角の凧(たかはた)に長い総(ふさ)をつけた形であって、月の八の日にこれを挙げて風信をきく器であった。 


旗は天候の予想に使われていて、毎月八の日に挙げた風習から、
神社に幡が靡くようになり、幡に付けた房(ふさ)が注連縄に変わって行ったといいます。

(つづく)




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by lunabura | 2013-09-07 19:55 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(0)
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