ひもろぎ逍遥

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今日は、みあれ祭だったんだね


数日前から、宗像大社の「みあれ祭」のキーワードで検索して、
このブログに来られる方が多かったのですが、今日、10月1日がお祭りの日だったんですね。

どんな記事を書いたのかな、と読み直しました。
2010年の祭なので、3年前になるんですね。

この日はすごくいい天気で、堤防沿いにずらりとカメラを持った人が並んでいたのが印象的でした。

祭の時間が近づくと、お巡りさんが来て、堤防から降りるようにと注意されていました。
「堤防に乗らなくても写真は撮れますよ」
と言ってね。

はるか遠くに船団が見えると、数十人が一斉に連写を始めて、びっくりした。
カシャカシャカシャという音が凄かった。
みんなアマチュアカメラマンなのに、装備がすごい…。

るなは、自分のカメラに連写モードがついていることも、知らず、
一本、一本、撮った。望遠もなく…。
三年経って覚えている事はそんなことだけ…(+_+)

自分で読みなおして、ブログに書いてて良かったなあと、あの日の祭りの感動を思い出しました。

何と言っても、姉姫様たちを待つ市杵島姫の神輿が一番心に残っています。
誰も気づいていなかったよ。
だって、写真を撮りに行ったのは るなだけだったもん。

それにしても、昔の記事は、写真、ちっちゃいね…。

長年、一度行きたいなと思っていたら、その年、良く見える場所を教えて下さる方があって、
早速、行動に移したのですが、やはりタイミングは大切ですね。
あれから、行くチャンスはありませんでしたから。

今フォルダを見直すと、百枚以上も撮ってた。
まだまだ、いいシーンがあるじゃん。

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懐かしいな。でも、望遠でないので、やっぱりピンボケか…。




過去記事はこちら

宗像大社(6)みあれ祭
市杵島姫が姉姫さまたちを海上までお迎えに
秋季大祭は大船団の海上神幸から始まった
http://lunabura.exblog.jp/15221733/




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by lunabura | 2013-10-01 21:30 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(6)
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Commented by ハコガメ at 2013-10-03 21:45 x
神奈備祭行って来ました。悠久の舞、素晴らしかったです!高宮祭場に着いたのが、5時20分頃でしたが既に先着の方々が5〜60人は並んでたと思います。祭場の中に入り6時を待つと下から厳かに雅楽の音色が聞こえて来ました。神職の方々や巫女さんが8人、それと悠久の舞を舞う巫女さんが4人、祝詞奏上から始まり悠久の舞から一連の神奈備祭の祭、素晴らしかったです。
始めての見学で祭場の手前の方が舞は良く見学出来ます。私は気を効かせて奥に詰めたので舞は少し観にくくなりました(T . T)

このブログのおかげで素晴らしい神奈備祭を知る事が出来て良かったです。
次回はみあれ祭の見学や沖ノ島の参拝なども希望しております。感謝!
Commented by lunabura at 2013-10-03 23:40
wao!
行って来られたんですね!
詳しく話して下さってありがとうございます。
思い出が蘇ってきました。
露天の夜の祭祀は素晴らしいですよね。
遠くから聞こえて来る雅楽に鳥肌が立った経験は今でも忘れられません。
みあれ祭も、是非拝観してください、
沖ノ島は女人禁制なので、大島までとなります。
大島はまだ行ってないんです (+_+)
今年の七夕は暑過ぎ…。
Commented by いくこ at 2014-01-23 15:08 x
こんにちは。はじめまして。いい記事を書いてくださってありがとうございます。実は、母方の先祖が宗像大社の宮司でした。NHK太平記で足利尊氏が弟の直義とその養子(尊氏の子)と戦い九州へ落ち延びた時、尊氏は宗像大社の宮司(私の母方の先祖)を頼りました。その日の放送で母の叔母(当時は未だ70歳ごろ)から連絡を貰い、私たちの先祖よ。と電話があり母の弟が神戸市に住んでいて勿論、宗像、近所の人から良い家の方なのですね。と連絡を貰ったそうです。昭和7年ごろ母の本家の宗像半之助という本家の当主が伏見宮さまを迎え入れ、阪神百貨店・レストラン街にある『アラスカ』の創始者が料理を担当。少し前にそのことを『アラスカ』さんに伝えました。
Commented by いくこ at 2014-01-23 15:11 x
宗像家の当主は戦国末期に家臣に裏切られて長門・長州の毛利氏を頼りました。明治時代・第1代目の総理の伊藤博文氏は同じ長州藩の宗像半之助氏を頼り大阪・住吉区にある宗像邸へ足を運んでいたと母が曾祖母から聴いたと申しており母の叔母からも伺っております。第二次世界大戦前後に 宗像半之助氏の娘が京都の東本願寺・大谷家へ嫁ぎました。その女性は母の叔母人見せてもらいました。東本願寺の大谷家は皇太后さまの妹さまも嫁がれ、お見合い話の世話役は伏見宮さまでしょう。宗像家の本家は皇太后さまの久爾家と親戚となったのです。古くは日本書紀にも宗像家は(胸形氏)として登場、天武天皇の2番目の妃・尼子妃と言われております。奈良そごう発掘の際、判明した長屋王は尼子妃の孫にあたります。長屋王は、私の想像ですが歴史上で架空の人物とされてしまった『聖徳太子』かもしれません。聖徳太子と長屋王はどちらも藤原氏の陰謀で自宅を全焼しました。すると、古代のヤマト朝廷は九州。女王卑弥呼=天照大神若しくはその子孫は九州にあった火山の噴火でヤマト朝廷は畿内(関西)へ移動したことになりますね。
Commented by いくこ at 2014-01-23 15:40 x
江戸時代、肥後熊本藩の細川氏が宗像大社の修繕・改修を担当。昭和になってからは出光興産が宗像大社の修繕・改修を担当したと九州出身の女性から聞かされました。主人の伯父は四国の細川氏(士族)の人でその人の妻で主人の母の姉からお見合い話がきました。細川氏より宗像大社を江戸時代ずっと改修してもらったと『歴史と旅』という書物を読んでいた為、主人の伯父・細川家と私の母方の宗像家の縁を感じてお見合いを引き受けることになりました。主人の伯父の子どもたちは勤勉で勉強熱心。主人と主人の兄、主人の従弟や従妹たちはその影響を受けています。生活はごく平凡で、旧・皇族や華族のような暮らしぶりではありません。『歴史と旅』という書物を本屋で読んでなければ主人との結婚はなかったと思います。
ちなみに宗像家の家紋は『柏』です。遣唐使・遣隋使の頃に莫大な富を築いたようですが戦国時代にまさか、家臣に裏切られるとは・・。
Commented by lunabura at 2014-01-23 20:07
いくこさん、はじめまして。
滔々たる歴史のお話ありがとうございます。
また、何かありましたら、お聞かせ下さい (^-^)
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