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八幡の謎(4)八幡とは星占なり


八幡の謎(4)

八幡とは星占なり


前回、文中の「風姓呂氏」が伏羲と女媧の時代~春秋時代を指していることを確認しました。
それを踏まえて真鍋大覚のつづきを読みましょう。p68

占星術は春秋の頃、すでに王室で主に君子の運命をはかる方策であった。晉代(265~420)続いて魏代(220~265)には毎晩の星座をみて、くる日くる日のなすべき仕事を案じていた。

倭人は(占星術を)唐代(618~975)には辰方(しょうほう)、宋代(960~1179)には正法(しょうぼう)とよんだ。貴族のいわゆる方違え(かたたがえ)なる訪問の道順、旅程にはすべて辰位(=星)によって選んだのである。

称徳帝(718~770)と弓削道鏡(712~772)の真意を糺す(ただす)べく和気清麻呂(733~799)は宇佐八幡宮に下向した。葛城一言主(ひとことぬし)は星占の祈祷を特に濫用して、事あるごとに平城京を譎詐権謀(きっさけんぼう)の渦中に入れ、多くの氏族をたがいに殺戮させていた。

その頃の宇佐は、日本における世界教の中枢的存在として日本の国運を太宰府の背景のもとに客観的に展望していた。

昭和16年(1941)大東亜戦争の可非をめぐって羅馬(ローマ)法王に特使を派遣する提案が下された事実は、まさに天平の昔によく対応するところである。


紀元前3000年以上前の「伏羲と女媧」の絵には定規とコンパスと星座が描かれていましたね。
古代中国では占星術は王室で使われ、倭人はそれを辰法、正法と呼んだそうです。
日本の貴族の方違えが星占いで決められていたとは想像もしませんでした。

宇佐八幡宮に和気清麻呂が来たのは、弓削道鏡の件のためですが、
文脈からは、その当時、平城京でも占星術が行われていたという事になります。
葛城一言主が星占いをしていたというので、「一言主大神」をネットで調べたら、
賀茂氏なのですね。八咫烏。

賀茂氏といえば、製鉄の技術を持っていましたが、製作するのは主に農具などでした。
その賀茂氏が、占星術の知識もあって、平城京で濫用していたというのですから、チョー驚きです。

奈良では渡来人たちが各地に集落を作ってバランスを保っていたのでしょうが、
互いに殺戮させていたとは。
何だか、小説のネタになりそうな…、新情報です。

その頃の宇佐もまた占星術が行われていて、国際性を失わずにいたと解釈できますね。
昭和になって、大東亜戦争の可非をめぐってローマ法王に特使を派遣する提案を下した件が、
奈良時代と対応するというのですから、
宇佐が特別な立場を保ち続けた背景を垣間見る思いです。



次は「磯城星(しきのほし)ヘラクレス座 ラス アルゲーチ星」
の所に出て来る文です。   『儺の国の星・拾遺』p69

八幡とは星占(からまに)、すなわち辰方(しょうほう)のことであった。
(略)
八幡の神術は人類の歴史と共にはじまり、八百万の星の数だけあったはずであるが、今はその全容を知る人はない。そして、八幡信仰の発祥や由来を唯物弁証法的に解明する学者はいない。


ずばり、八幡とは占星術のことだと言います。
宇佐が謎めいて見えるのも、このような背景があったのを、
私たちはどこか深い所で感知していたのでしょうか。
それは日本人の集合意識の深みで感知するような感覚です。

この話を読んで、ああ、そうだったのかと、どこか腑に落ちるのが不思議です。
皆さんも、そうではありませんか?



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(宇佐神宮)


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これは宇佐神宮の境内にある弥勒神宮寺あとです。
写真に写っている説明板を写します。

弥勒神宮寺の成立
宇佐神宮関係の史料によれば、725年に八幡神を現在の小椋山に遷した時、東方の日足の地に弥勒禅院を建てたことが記されています。
(略)

八幡神の成立
八幡神は応神天皇のことであり、西暦571年に宇佐の地に現れたと伝えられています。朝廷が編纂した「続日本紀」にはじめて登場した737年以降、八幡神は中央政府との関係を急速に深めていきました。

そして、740年に聖武天皇が進めた東大寺大仏建立に協力する託宣(おつげ)を行うなどの功績があったことから、国家神としての地位を持つようになりました。

やがて八幡神の託宣は朝廷から庶民にいたるまで広く信頼されるようになり、769年の道鏡事件でも大きな影響力を示しました。


この託宣を占星術の結果と読み替えると、なるほど、よく当たるはずだと思っちゃいました。


(つづく)




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by lunabura | 2015-05-12 22:44 | 八幡の謎 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 桜もち at 2013-10-09 20:36 x
るなさん、こんばんは。

『陰陽道』とは!
賀茂氏、道鏡、大宰府…吉備真備ですねー。

賀茂氏ですかぁ~。やはり「八尋熊鰐…」の系図を理解しないといけないようですね~。う~難題。

次は『誰』の名前が挙がるのか…楽しみにしてます!
Commented by lunabura at 2013-10-09 20:55
桜もちさん、私はあまり理解できない (涙)
奈良時代はさっぱり…。
でも、誰かのヒントになるかと…。
この応用、頼みまする。
Commented by 桜もち at 2013-10-09 23:23 x
ひょっとして、真鍋氏は『道真公と暦』について言及されてはいませんか?

賀茂氏に批判的なのは、真鍋氏が『大宰府の陰陽師』の末裔だからだと思うのですが…その主な理由が「吉備真備と暦」にあるのかな。と思っただけで確証はまだないです…。すみません。

私においては、日本の神々も古代氏族の関係も、さっぱり?なので、系図の件に関しては御意見を拝聴したいくらいです…(涙)
Commented by lunabura at 2013-10-09 23:36
道真公についての記述はあります。
サイドバーの検索欄に「道真」を入力すると私のブログないの記述が出て来ます。
20件ほど書いてます。
記憶に強く残るのは、出目・袴着天満宮のところと、
どこか忘れましたが、陰暦を守ろうとした話。
あいまいなので、サイドバーから検索してくださいませ。

「吉備真備と暦」というのもあるのですか?

古代氏族は霧の中です。(-_-;)
Commented by 桜もち at 2013-10-13 22:28 x
るなさん、こんばんは。

ありがとうございます!
「道真公」の記事、拝読させて頂きました。
古代妄想に少し確信が持てました。「高木の神…」はちょっと意外でしたが。

吉備真備は、遣唐留学生で帰国時に『大衍暦』を持ち帰ったとされています。
Commented by lunabura at 2013-10-13 23:39
唐の時代の暦を持って帰ったんですね。
暦が手に入るとは、なんだかすごいことですよね。

高木の神は、よう分かりません。(+_+)
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