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鹿毛馬神籠石(3)


鹿毛馬神籠石(3)


それでは、発掘現場の写真を紹介します。
(「あつまれ!!古代山城」古代山城サミット実行委員会より)

この神籠石は「神籠石系山城」というタイトルがついています。

c0222861_231422.jpg

地形図です。
長い方の直径が約500m程度。外郭線の総延長は約2キロだそうです。
標高線を見てみると、フラットなのは石祠がある辺りほどで、
山に居館の存在を示す地形が見当たりません。

c0222861_232165.jpg

A地点の発掘のようすです。暗渠(あんきょ)が2本あります。
第2暗渠は土塁の下を通っています。第1暗渠は土塁の切れた所。

c0222861_23249100.jpg

現地では「水門跡」と表示されています。

c0222861_233814.jpg

これが暗渠のようす。きちんと蓋が造られています。
周囲は石コロが多いですね。意図的に集めれている印象です。


c0222861_2333418.jpg

土塁の中から出土した柱です。
柱を分析したら、土塁の建造の時代が分かるのでは?


以上、パンフレットからコピーしました。
桜もちさん、報告書に載っていたかもしれませんね。


ついでに、杷木神籠石(はきこうごいし)(朝倉市)について。
これは平地に水門が2か所あり、鹿毛馬神籠石のツイン版に見えます。
筑後川のすぐ横にあります!

筑後国造さんが、杷木神籠石の現場報告をしてあります。
「山歩き古墳巡り」杷木神籠石 ここにも被害が…
http://riki82.blog78.fc2.com/blog-entry-406.html

やはり同じように水が必要な施設だと思いますが…。

また、アラさんの話では、その対岸に石垣神籠石が発見されて、今は消滅しているとのことでした。
以上、推理のヒントにしてください ^^





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by lunabura | 2013-10-19 23:06 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(9)
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Commented by 筑後国造 at 2013-10-20 07:13 x
鹿毛馬神籠石へ行ってきました。
草ぼうぼうで、第二暗渠、水門部の列石、第一暗渠の奥の背後列石等は確認できませんでした。
時間を忘れ、1周しそうでしたので、4分の1ほどで断念。いずれ再挑戦です。ブログにもその内・・・
ところで、全体図にきょう塚古墳、まさご塚古墳、清水1号墳が記載されているではありませんか。今回の目的の一つに、周辺古墳の下見もありましたので・・・
珍しい石棺のあるきょう塚古墳やまさご塚古墳のそばの古賀の下古墳も想像できます。清水古墳群、椿山古墳群の位置関係確認のため、厳島神社にも参拝しました。森の中をさまよわずに済みそうです。
ところで、アラさんの話の対岸の石垣神籠石は私のブログに載せた、石垣高尾遺跡のことではないでしょうか?


Commented by 桜もち at 2013-10-20 21:44 x
るなさん、こんばんは。

多数の「神護石情報」、ありがとうございます!

写真がカラーで解りやすく感動しました。
杷木は…この辺りにあるのかな~のレベルだったので参考にさせて頂きます。

今、古い頴田町誌のコピーを見ながら、この「3個の塊」の正体は何?…と頭を抱えております。赤鉄鉱や黄鉄鉱の類いではないですよ…たぶん。(元上司が黄鉄鉱を文鎮代わりにしていたので見分けはつく方だと思うのですが…笑)
当時の担当者の勘違い?なのでしょうか…。鹿毛馬の謎が増えました…。(笑)
Commented by lunabura at 2013-10-20 23:35
筑後国造さん、もう行って来られたんですね!
暗渠などは、埋め戻されているのでしょうね。
周辺の古墳、全く気づきませんでした。
古墳の方を調べると、また何か分かりそうですね。
私のスズ鉄選別遺構説が合っていれば、かなり栄えたはず。
日若神社の伝承と組み合わせれば、かなり面白いことに。
(と、妄想は広がります)
石垣神籠石は石垣高尾遺跡のことだと思います。
報告書がネットに公開されているという話ですが、未確認です。
Commented by lunabura at 2013-10-20 23:42
桜もちさん、やはり写真付きの報告書は出ていないのですね。
私の仮説が合っていれば、発掘の観点も変わって、新しい調査が出来るのではないかな、と夢想しています。
庄内の歴史資料館が閉鎖されたすぐ後に見に行ったのが、今では残念だなと思います。
考古学的出土物は、中央集権でなく、各地で保管するのが大切だなとつくづく思います。
地元の歴史が埋もれてしまうからです。
遠賀川流域の皆さんに古代を取り戻してほしいです。
Commented by 桜もち at 2013-10-21 08:06 x
誤解を招いてしまったようですね…。すみません。

調査報告書に写真の添付はありましたよ、ただ、カラーではなく「白黒」の報告書なので同じ写真かは判りませんが…。
手持ちのコピーも「周辺遺跡位置図」と「総括」の頁をコピーしたものだけなので、第何版の調査報告書だったのか忘れましたけど…。
Commented by 愛読者 at 2013-10-21 09:56 x
杷木神籠石について、筑後国造さんが、ブログに「今回、草の繁茂と工事のため、肝心の神籠石を1個も見ていません」と書かれています。
わたしが言った時も「どこに石があるんだ~!草の下か、土に埋もれたのか?」といいながら、傘の先で土をつつきながら回りましたがわかりませんでした。やはり詳しい先導者が必要ですね。
それと杷木神籠石の対岸の地名は「筑後大石」で、南の山は「北山石」の名産地ですから、いかにも「神籠石」がありそうですね。
なお各地の神籠石・山城についての簡単な紹介がこちらにあります。
参考に。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou59/kai05903.html
Commented at 2013-10-21 14:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2013-10-21 23:02
桜もちさん、そうでしたか。勘違いしました。
カラーだと、情報量が全然ちがいますね。
また何かありましたら、教えてください。^^
Commented by lunabura at 2013-10-21 23:07
愛読者さん、紹介の文をざっと拝見しました。
みなさん、よく歩いてあるんですね~。
朝鮮式山城の場合は、都邑と山城がセットになっているそうですね。
これから、少しずつ実見していきたいと思います。
誤植、「言った」は「行った」で、「北山石」は「山北石」ですね。
了解しました。
ただ、当方ではどうしようもないので、このままにて。
山北の石としたら、興味深いです。
それにしても、詳しく調査されているんですね!
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