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筑紫舞を見て来たよ・九州王朝の宮廷舞だった


筑紫舞を見て来たよ
九州王朝の宮廷舞だった


今日は宮地嶽神社の筑紫舞を見て来ました。
筑紫舞は毎年10月22日に奉納されていて、今年で30年を迎えたそうです。

菊村検校によって、宮地嶽古墳の中で舞われた舞。
筑紫舞を受け継いだ西山村光寿斎。
そしてその謎解きを依頼された古田武彦。

その古墳の舞を目撃した光少年。

私はその光少年に筑紫舞の存在を教えられたのですが、
絶えたかに思われた筑紫舞が宮地嶽神社そのものに伝えられていたことを
知った驚きと喜びは如何ばかりか。

20曲はあるという演目が、毎年少しずつ奉納されています。

見れば明らかなのですが、これは宮廷舞です。
宮地嶽古墳の被葬者に捧げる舞。
被葬者は安曇族であり、磐井の君の末裔である勝村・勝頼。

思えば私はこのブログで神功皇后の足跡を3年、辿ったのですが、
それは皇后を支えた氏族たちが明らかにする旅でもありました。

秘められた宮、小山田斎宮(古賀市)や斎宮(久山町)、
また宮処となった香椎宮(福岡市)など、
いったい誰が提供したのだろうかと推理する日々でした。

どう考えても、古代の福岡市から東の方にかけて、
こんな場所を知っているのは安曇族しかいない、と思っていたのですが、
船原古墳(古賀市)から金銅製の馬具が出土すると、
やはり、ここまで川を遡れるのは安曇族しかいないだろうと推理しました。

そして、まさか、宮地嶽神社もまた安曇族だったとは。


私の漠然とした推論は、神社の伝承を知って、形になってきました。

しかし、通説と違う結論を世に問うには傍証が必要だ。

そうして神社の周辺を探査するうちに、磐井の乱後の九州王朝のようすが見えて来ました。

八女を中心にしていた九州王朝の広さは想像以上に広く、安心院にも及んでいました。

磐井の君は各地の豪族と通婚して領土の安泰に努めたもようで、
この宮地嶽神社の周辺はその子・葛子の一族が治めていました。
葛子の子たちが勝村・勝頼です。

それを知って筑紫舞を見ると、ここに宮廷舞が伝えられた理由がはっきりと見えて来ました。

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今日は今から写真の整理です。^^








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by lunabura | 2013-10-22 20:13 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(3)
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Commented by 愛読者 at 2013-10-23 15:47 x
初代西山村光寿斎さんは、今年2月に亡くなられたとのこと。ご冥福お祈りします。
安曇の君と宗像の君の関係やいかん?ちょっと関心を持っています。
案外日本の古代史に大きな影響があるかも・・・
Commented by lunabura at 2013-10-23 23:09
そうですね。御冥福を祈りたいと思います。
宮地嶽神社では、二代目の方でしょうか、例年指導されている姿がみられます。
安曇と宗像の地理的な感覚というのは、地元ならではの空気感というのでしょうか。
宗像から宮地岳が見えないので、長を埋葬しても、そののち、一日以上かけで見知らぬ山に祀りに行くのは困難だろうというのが私にとって最初の疑問でした。
宮地嶽神社は磐井の末裔を祀り続けているということですので、皆さんにもその謎を解いていただければと思います。
愛読者さんからかつて依頼があった、古墳の中での聞き取りの内容についても、直接確認が出来ました。
どうぞ、これからはご自由に引用してください。
Commented by lunabura at 2013-10-30 19:41
エゾリスさん!
筑紫舞。たしかに夜もあっていました。
パンフレットを見たら、前夜祭 「宵宮」があってた …
知らなんだ (+_+)

あのろうそくの明かりの中での舞…
おっしゃるとおり、きっと幻想的…。
夜の方が参拝しやすい方もいらっしゃるでしょうね。
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