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吉武高木遺跡(1)魏志倭人伝から消えた王国


吉武高木遺跡(1)
魏志倭人伝から消えた王国


「ねえ、マーサ。吉武高木遺跡、行ったことある?」
「あるよ。行く?」
「簡単に行けるなら行きたいんだけど」
「帰り道よ。行きましょ」

ということで、伊都国歴史博物館を後にして日向峠を越えて福岡市に出ました。
その途中で見かけたのが、例の破壊中の金武古墳群です。

この日向峠は意外に急勾配で、道も折れ曲がっています。
峠を降りて、まもなくして左折、町中を走って右折すると
広い田園地帯のど真ん中に出ました。
「この辺なんだけど」と記憶を探るマーサ。

ナビをずっと見ていた私は
「あれ?ここ、もう遺跡のど真ん中にいるよ。確かに何もないわ」
と言いながら見まわしました。
教育委員会に尋ねた時の話通りだ。

「前ね、どうしてもここが分からなくて、思いあまって教育委員会に電話したの。
そうしたら、行っても何もないですよって言われたのよ。
でも、何もなくても地形が見たかったから、
で、出土物はどこで見られますかって聞いたら、福岡市の博物館にあるって。
でも、改装中なので今は見られませんって言われた」
その時は縁がなかったんですね。

(るなさん、平気であちこち電話しているようですが、実は何日も調べて、
どうにもならなくなったときに、電話してるんですよ)
一応、シャイなんです ( ´艸`)



で、現地で見えたのが衝撃的な山!

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ガガ~ン。今立っている所は、飯盛山の真東だったんです。
あれは、この遺跡の人たちには神の山です。
朝な夕なこの山を見て暮らしたはずです。
夕陽が毎日位置を変えながら沈み、やがては星々が輝き出すのを見た。

この山の向こうに糸島があります。
右の方に行くと海があり、周船寺に行く事ができます。
前回の神武天皇の家族たちが祀られている宮々はすぐ向こうなのです。

ここは消えた王国。
日本で最古の三種の神器がセットで出土したクニなのですが、
何故か、魏志倭人伝にはその名が出て来ないのです。

魏氏倭人伝では伊都国の隣は奴国。
その間にあって、これほど栄えていたのに名前が消失している。
遺跡もその時代のものは見つかっていない。

「伊都国から陸行1日」と書かれてもよいはずの弥生集落。
卑弥呼の時代には既に国が滅亡していた?
奴国に吸収されたという説もあります。

時代は2200年~2100年前と説明板に書かれていたので、紀元前1~2世紀。
弥生時代前期末から中期初頭だそうです。

現地説明板に写真がありました。

c0222861_22143537.jpg

出土品です。
剣も矛も銅製。これは実用品ですよね、
鏡は銅鏡でつまみが二つもある多鈕細文鏡。朝鮮半島でよく見られます。
勾玉は北陸産。

気をつけなければならない点は、これらが一つの墓から出たのではない事。

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一つだけ三種の神器のセットを持ったリーダー的な人物がいて、
他は一人に一本ずつ添えられていたという点です。
るなとしては、厳格な家父長的な、男性社会を想像してしまいました。
古代日本って母系制なんで、ちょっと雰囲気が違うように見えます。


c0222861_22152221.jpg

福岡市埋蔵文化センターで、撮っていた復元模型。
これが、この吉武高木遺跡のものだとは。ようやく繋がりましたよ。
こんな大型の建物があったんですね。(こんな高床式ではないと言う説もあるとか)
紀元前の話です。」

いったいどんな人たちが住んでいたのでしょうか。

思い出すのは、志賀島で聞いた鹿さんの言葉。
志賀島から見える糸島~福岡を指さして、

「天孫族は武器を持って来たといいます。
彼らは吉武高木遺跡で国を作り、それから東征して行ったと思います。
だから、空っぽになったんです」
そうか、そんな発想もあるのだ。

武器だらけの吉武高木遺跡。
ここに天孫族のクニがあったとすれば、山を越えて伊都国の姫たちと、
あるいは海人族の姫たちと結ばれたと考えることも可能だ。

ニニギの命は糸島の西に上陸して、こちらに拡大したのか。
あるいはここを拠点として西に拡大したのか。

なにしろ、周船寺の湊はどうしても手に入れたい湊だったろう。
戦って侵略しようとしたり、縁結びで平和に和合したり。
そんな事があったかもしれない。

そして、もう一つのアイデアがKさんからメールで。
  「伊都・伊親・伊蘇・五十・イソ・イト
  製鉄するための燃料
  この国に樹木を植えた者
  五十猛
  スサノウノの子
  日向峠
  飯盛神社
  早良の王
  いい流れですね。」
この暗号めいた文を並べて行くと、吉武高木遺跡には五十猛がからんでいる?

何か手掛かりに近くに神社はないか。
そこで、はたと、飯盛山の飯盛神社はどうだ?
とHPから祭神を調べました。

「天孫降臨の砌に天太玉命(アマノフトタマノミコト)が伊弉冉尊(イザナミノミコト)を奉齋するを起源とします。
上宮に伊弉冉尊、中宮に五十猛尊を奉齋し飯盛三所権現宮と称し
上・中・下宮・神宮寺を設けていました」

なるほど、中宮に五十猛尊が祀られているんだ。

面白いことになってきました。

ここは地図を見ると、室見川の中上流域にあたります。
そこにこれほどの平原があった。
思うのは、あの破壊されている金武古墳群。

真砂土を採取しているという話でしたが、
真砂土というのは樹木が茂っている間は地盤がしっかりしているのですが、
伐採してしまうと、簡単に地崩れを起こしてしまうそうです。

今は青々と茂る山々も、製鉄の為に伐採された時代があるとすると、
山津波が起こってここは洪水原になったはず。
そんな災害があって、消滅した可能性もあるのかもしれない。

山でさえ簡単に消失するのは、古賀市の三上山が二山消えたり、
田川市の香春岳の一の岳が消えたりと、信じられない光景を見て来ました。
福岡市西区からは今は見えない地点ですが、興味を持って監視するべき場所だと思います。


そして、ボロボロの地図を見ていた時、思いがけない書き込みが。
「平群」
へぐり。
そう、ここは和名抄を調べていて「へぐり」と想定した地だったのです。

(つづく)

<このはなさくや姫の里 13>
シリーズは下の「♯」からどうぞ。


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by lunabura | 2013-12-29 22:19 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(6)
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Commented by 愛読者 at 2013-12-30 02:36 x
天孫降臨(紀元前2世紀ごろ)の初代、瓊瓊杵尊の陵墓は、『日本書紀』神代巻では、「因りて筑紫の日向の可愛(此を埃と云ふ。)之山陵に葬る」とあります。可愛とは川合の意味で、日向川と室見川の合流地、すなわち「吉武高木」付近を指すと思われます。。
一方『古事記』では瓊瓊杵尊の子「日子穗穗手見命は、高千穗宮に、伍佰捌拾歳坐します。御陵は、即ち其の高千穗山の西なり(高千穂は高祖連山「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」)と、高祖連峰の西「糸島地域」で580年統治したとあります。これは「襲名」で、2倍年歴なら290年間代々の王が糸島地域を王都としたことになります。
つまり初代は室見川周辺、後代は糸島地域で統治した、そして3世紀前後卑弥呼の時代になり、須玖・岡本遺跡にみられるように再び博多湾岸が王都となった、これが邪馬壹国の始まりではないでしょうか。当っているかどうか、わかりませんが、少なくともこの仮説は遺跡の状況(年代)とよく合うと思います。
Commented at 2013-12-30 22:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2013-12-30 22:50
愛読者さん、こんばんは。 (^-^)
>初代は室見川周辺、後代は糸島地域で統治した
なるほどですね。
そうすると、すっきりですね。

>3世紀前後卑弥呼の時代になり、須玖・岡本遺跡にみられるように再び博多湾岸が王都となった、これが邪馬壹国の始まりではないでしょうか。
これは、須玖岡本が邪馬壹国という説と取ってよろしいですか?
その場合、奴国と、狗奴国の場所はどこに比定してありますか?

狭いコメント欄なので、説明しにくいと思いますが、よろしくお願いします。
あるいは、メールで詳しく説明いただければ、こちらに掲載しなおします。
Commented by lunabura at 2013-12-30 22:56
非公開さん、はじめまして (^-^)
そうですか、五十猛ワールドなんですね。

コケムスメ神社は知りませんでした。
『福岡県神社誌』には掲載されていませんでした! (+_+)
いったいどういうことなんでしょう。
住所、字でも分かれば教えてください。

早良平群…ややこしくなってきました。
Commented at 2014-01-03 22:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2014-01-04 00:37
非公開さん、ネットで確認できました。
ありがとうございます。
これからも、思い出してはボチボチと書き込んで下さいね。 
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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