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ひもろぎ逍遥

謎の欠史八代(2)綏靖天皇の母は奈留多姫?イスケヨリ姫?


謎の欠史八代(2)

綏靖天皇の母は奈留多姫?イスケヨリ姫?


自分が方向音痴だと自覚したるなは、現地に立たないと歴史が理解出来ない理由が分かり、
再び糸島市の産宮神社に舞い戻ってきました。
(といっても、ブログ上です^^)

謎の欠史八代(2)綏靖天皇の母は奈留多姫?イスケヨリ姫?_c0222861_2243131.jpg

まずは糸島市の産宮神社の奈留多姫は綏靖天皇の母という伝承から。

産宮神社
祭神
1.奈留多姫命 (ナルタヒメノミコト)
2.ウガヤフキアヘズ尊
3.玉依姫命

社伝によれば、「奈留多姫は懐妊に当たり、大いに胎教を重んじ、玉依姫命、豊玉姫命両神の前にて、「月満ちて生まれん子は端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓いて、出産に臨んで苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、以後、「産宮」と称えて安産守護の神と祭る、とある。(略)

考察[編集]古事記、日本書紀によると「綏靖天皇の母親」は「媛鞴五十鈴媛命(ホトタタライススキヒメミコト)」であり、記紀によれば「大和国」で結婚し子を産んでいる。では、この伊都国の地に祭られる奈留多姫命とは誰か?
(ウィキペディア)


奈留多姫の子が綏靖天皇なので、夫君は神武天皇になります。
神武天皇の母・玉依姫や叔母の豊玉姫に安産を祈ったお話当宮に伝わっています。
そこで、推定した系図がこれ。

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引用文の考察の部分にあるように、記紀とは名前が違っていますね。

綏靖天皇の名前は神渟名河耳命(かむぬなかわみみ)

「欠史」というからには、訳は簡単(-。-)y-゜゜゜、と思ったら、何だ、結構長いじゃないの。

欠史八代と名付けた学者は誰だあ?

ということで、まずは『古事記』を訳してみます。
(言いつつ、『古事記の神々』のストックを拾い出す…)

神武天皇には二人の后がいるから、神武天皇(イワレビコ)から訳さないと分からないみたい…。

后 アヒラ姫
イワレビコノ命が、まだ日向(ひむか)に居られた時に、アタのオバシの君(きみ)の妹、アヒラ姫を妻としました。その二人の間に生まれた御子はタギシミミノ命キスミミノ命です。

大后 イスケヨリ姫
しかし、更に大后(おおきさき)にふさわしい美人を捜す事になりました。その時、大久米(おおくめ)の命が申し上げました。

「この近くに良い娘がいます。この娘を神の子と言います。何故かと言うと、三島のミゾクイの娘でセヤダタラ姫という人がとても美しい方で、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)が見染めたそうです。

その姫が川の上に作った厠(かわや)に行って、用を足していると、大物主神は、赤く塗った丹塗りの矢になって、川から流れて来て、その人のホト(女陰)を突きました。その姫は驚いて、逃げてイススキ(狼狽し)ました。

その矢を床の所に置くと、たちまちに麗しい男になって、セヤダタラ姫を妻にしました。こうして生まれたた子供の名前はホトタタライススキヒメの命と言い、また、ヒメタタライスケヨリ姫とも言います。(これはホトという言葉を嫌って後に名前を改めました。)こう言う事で神の御子と言うのです。」

七乙女
 ある日、七人の乙女たちが高佐士野(たかさじの)で野遊びをしている中に、イスケヨリ姫がいました。

大久米の命がイスケヨリ姫を見つけて、歌を作ってイワレビコの命に言いました。
  「倭(やまと)の高佐士野を 七人の乙女たちが通って行きます。
   あなたは誰と共寝をしますか。」

この時、イスケヨリ姫は一番前に立っていました。イワレビコノ命はその乙女たちをご覧になって、
(イスケヨリ姫は一番前に立っている人だろう)と思って、歌で返事をされました。
  
「まあそうだな。一番前に立っている可愛い人と共寝をしよう。」
そこで、大久米の命はイワレビコノ命のお気持ちをイスケヨリ姫に伝えました。

イスケヨリ姫はその大久米の命が目の周りに入れ墨をして鋭い目に見えるのを見て、(変わってるなあ)と思って、歌にして、返事をしました。
  「つばめ、せきれい、ちどり、ほおじろ。それにあなた。
  どうしてそんなに縁取りのくっきりとした目なの。」

それを聞いて、大久米命も歌を返しました。
  「ただ、あなたに会いたいと、探し求めて、大きな目になりました。」

その歌の意を汲み取った乙女は「お仕えしましょう。」と言って、お后になる事を承知しました。

イスケヨリ姫の家は狭韋河(さいがわ)のほとりにありました。イワレビコノ命はイスケヨリ姫の家にお出ましになって、一夜、共寝をなさいました。
(その川を狭韋河と言う訳は、その川辺に山百合の花がたくさん咲いていたからです。サイとは山百合の花の事です。)

のちに、イスケヨリ姫が入内された時に、イワレビコノ命が歌を詠まれました。
    「葦がいっぱい生えている所の、粗末な小屋で、
     菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、私とそなたと一緒に寝たなあ。」
こうして、生まれた御子の名前は、日子八井命(ヒコヤイノ命)。
次に神八井耳命(カムヤイミミノ命)、
次に神沼河耳命(カムヌナカワミミノ命)の三人でした。

 神倭(カムヤマト)イワレビコの天皇の崩御の年は137歳。御陵は畝火山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあります。 
(つづく)

こうして、イスケヨリ姫はイワレビコ命と結ばれて、のちの綏靖天皇を出産します。
で、イスケヨリ姫の名前って、製鉄の暗号が込められた名前で本名ではないですね。
奈留多姫と同一人物と、るなは考えます。

さて、二人の恋の仲立ちをした大久米命の目が安曇目。
縁取りのくっきりとした目。
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系図を見ると、神武天皇を安曇族がしっかりとサポートしている理由がよく分かります。
神武天皇は安曇の血が四分の三入っているので、安曇の子と言っても過言ではないです。

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今回の部分の系図を描いて見ました。
さて、第五男の神沼河耳命はどうやって後継ぎになるのでしょうか。
次回、続きを読みましょう。




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Commented by 愛読者 at 2014-01-09 20:43 x
『書紀』の神武歌謡に「宇陀の高城に鴫罠張る鴫待つや鴫は障らず、くじら障る(鯨が掛る)・・」と言うものがあります。
奈良吉野の宇陀は山の中、到底「鯨」はかかりません。
困った学者は「鯨はイノシシだ」とか「クチ、つまり鷹のこと」なんて言っていますが苦しい言い訳です。
ところが糸島には「宇田・宇田川原」の地名があり、古代今津湾沿いで、かつ玄海はクジラの漁場。時に「クジラの乗っ込み」といって浜にクジラが打ち上げられます。
そして「鴫」とは「海鵜」だと思われますが、糸島の海岸地域は海鵜の繁殖地です。
つまり神武の出身地は糸島宇田近辺の可能性が高くなります。そしてなんと「産宮神社」は宇田川原の地(現在の地名はその横の波多江)にあります!
奈留多姫命の夫が神武だという現地伝承は、真実かもしれませんね。
(これ前にも言いましたっけ?)
Commented by lunabura at 2014-01-09 21:09
愛読者さん、こんばんは。
え?そうなんですか。あの歌はそういう背景ですか。
糸島に宇田があるとは。
そこが産宮神社の近くに!
いよいよ面白くなりましたね。

犀川は京都郡(?)にあるので、そちらに妻問して、
伊都に迎えたのかも知れませんね。
by lunabura | 2014-01-08 22:54 | 謎の欠史八代 | Comments(2)

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