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ひもろぎ逍遥

謎の欠史八代(5)第七代 孝霊天皇・ヤマトトモモソ姫が出て来た


謎の欠史八代(5)
第七代 孝霊天皇

ヤマトトモモソ姫が出て来た


『古事記』に書かれた考霊天皇は前回より少し長いですね。
でも、重要な名前が出て来るので、がんばろうっと。

大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとに)は黒田の廬戸宮(いほど)で天下を治めました。この天皇が十市県主(とおちのあがたぬし)の祖・大目(おおめ)の娘、細姫命(くわしひめ)を娶って生まれた御子は大倭根子日子国玖琉命(ねこひこくにくる)の一柱です。

また春日の千千速真若姫(ちちはやまわか)を娶って生まれた御子は千千速姫命

またオホヤマトクニアレ姫を娶って生まれた御子はヤマトトモモソ姫命次に日子刺肩別命。次にヒコイサセリビコ命(別名大吉備津日子命)。次に倭飛羽矢若屋姫(やまととびはやわかや)の四柱。

また、そのアレヒメ命の妹、蠅イロド(はえいろど)を娶って生まれた御子は日子寤間命(ひこさめま)、若日子建吉備津日子命の二柱。

この天皇の御子たちは合わせて八柱です。(男王5、女王3)
その中で、大倭根子日子国玖琉命が後を継ぎました。

大吉備津日子命と若建吉備津日子命は、二人で一緒に針間の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいべ・祭祀の甕)を据えて、針間を国の入口として吉備国を平定されました。

こうして、この大吉備津日子命は吉備の上つ道臣の祖となりました。
若日子建吉備津日子命は吉備の下つ道臣、笠臣の祖となりました。

日子寤間命は針間の牛鹿臣の祖となりました。
日子刺肩別命は高志の利波臣、豊国の国前臣、五百原君、角鹿の海直の祖です。
天皇の御年は106歳。御陵は片岡の馬坂の上にあります。
『古事記』


あっ、あの有名なヤマトトモモソ姫命が出て来た!
『日本書紀』では「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめ)と
長くなってしまっています。「トトトヒ」ってね。


ヤマトトモモソ姫といえば、箸墓の被葬者候補でしたよね。
前回、「三輪山の麓にある」って驚いた前方後円墳です。

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また、シンクロだにゃ。 (+_+)
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それにしても、欠史八代・七代目天皇の娘というので、まだ紀元前の話かと思っていたのですが…。
箸墓って3世紀(一応)ではないですか?
前方後円墳だもん。古墳時代だよ。
時代が数百年飛んだ… (-_-;)

ウィキペディアで「卑弥呼」を調べると、ヤマトトモモソ姫説がありました。

倭迹迹日百襲媛命説
倭迹迹日百襲媛命の墓と伝えられる、箸墓古墳(奈良県桜井市)
孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命または倭迹迹姫命、『古事記』の夜麻登登母母曾毘賣命。近年、卑弥呼と同一人物として推定される候補の中では最有力の説となってきている。
(略)
この箸墓古墳の後円部の大きさは直径約160メートルであり、「魏志倭人伝」の「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」と言う記述に一致している。
ウィキペディアより


滅茶苦茶やん。 自由奔放ですな。
卑弥呼ですか?
卑弥呼に大勢兄弟がいたっけ?
孝元天皇と兄弟になるんですか?
卑弥呼の父は孝霊天皇となるのですが、いいのでしょうか。

ヤマトトモモソ姫と卑弥呼じゃ、時代が違い過ぎませんか?
しかも、前方後円墳の「後円部」だけを測って「疑似倭人伝と一致している」とは?

なんだか、すごい矛盾に出くわしましたが、これも、順番に訳したから分かったことですね。


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第七代 孝霊天皇
さて、本来のターゲットに戻りましょう。
ターゲットは大倭根子日子賦斗邇命ですが、真鍋大覚の説を読んでみましょう。
『玄海灘の海上気象』昭和47年刊より

p132
ところで、伊都国で製鉄に直接関与し得るものは、爾支(にき)と柄渠觚である。
この二者の名前を兼備した古代の帝王は
孝霊帝(BC290~213)大倭根子日子賦斗邇命(記)大日本根子彦太瓊天皇(紀)、
孝元帝(BC214~156)大倭根子日子国玖琉命(記)大日本根子彦国牽天皇(紀)である。

「爾支(にき)と柄渠觚」とは魏志倭人伝に出て来る伊都国の官と副官のことです。
(読み方など論争されていますが、私には分かりませんよ。聞いてもダメっす)

真鍋は孝霊帝を紀元前3世紀頃の帝王とみています。
驚いたのは、伊都国の官と副を代々兼備した王として、
7代孝霊天皇と8代孝元天皇の名を挙げている点です。

るな的には、この二帝が伊都国の帝王として具体的に書かれている点に興味を持ちました。
まさか、「魏志倭人伝」と「記紀」に接点が生まれてこようとは。
今から少しずつその世界観を覗いて行きましょう。

先程のウィキペディアのように、孝霊天皇を卑弥呼の父とするより、
真鍋の方がナチュラルな感じがします。

これに関してはきっと多くの方からの異論が出てくるでしょうから、
反論が楽しみでもあります。






           日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)
10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇


 ◆ ◆ ◆ 語り部 ◆ ◆ ◆
◆ 2014年2月1日 (土)13:30~16:30
 タイトル:「神功皇后伝――倭国大連合と高良玉垂神――」
           第45回 太宰府・久留米合同地名研究会
           会場:えーる・ピア久留米(久留米市生涯学習センター)
                   
◆ 2014年2月15日(土)13:30~16:30
タイトル:「神功皇后伝承を歩く ――足跡をたどる旅のガイド――」
           第17回 玄海地名研究会
           会場:福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社内 別館 文華学院 2階
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Commented by fukufukuman at 2019-02-02 11:33 x
はら、春秋歴を忘れてませんか?持統天皇より前は全て春秋歴をつかってますので、ヤマトトモモソ姫は、卑弥呼の時代ですよ。久留米の孝霊天皇は、黒田や四国にも拠点を作りながら、吉備を攻略したんですよ。有明海ちかくの山門で孝元、開化天皇の祭奉王のヤマトトモモソ姫は、崇神天皇と共に畿内移り、大市に引越しています。三輪の物部神話は、イスラエル民族のダン族に係わります。ダン族の紋章は、蛇です。ダン族の切れっぱしの秘密を明かされたヤマトトモモソ姫は、何らかの事件に巻き込まれたんですよ。母親がアレイ姫ですから、歴史の伝承者です。宇佐八幡や元伊勢海部系系図に出てくる、日女命と同一人物です。
by lunabura | 2014-01-15 21:14 | 謎の欠史八代 | Comments(1)

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