2014年 01月 23日
謎の欠史八代(9)開化天皇2 佐保姫もでてきた
謎の欠史八代(9)
開化天皇2
佐保姫もでてきた
さて、続きを訳していたのですが、『古事記』は崇神天皇ではなく、
日子坐王(ひこいます)の系譜を語り始めます。
崇神天皇と日子坐王は異母兄弟です。
ところが、日子坐王には子供が11人。
系譜はさらにその子供たちの流れを辿って行きます。
その中に、有名な佐保姫が出て来ました。
そして、最後には息長帯姫命へ至る系譜を並べていきます。
ざっと見て100人以上の名前が出て来ます。
これを全部書き写すとなると、数日はかかりそう。(´・ω・`)
あきらめます。
系図でも分かるように、「日子坐王」には「日子」の字が当てられています。
崇神天皇にも「御真木入日子印恵命」という名前の中に「日子」があります。
もしかしたら、日子坐王が皇太子だったのかも、とふと思いました。
王は丸邇臣(わに)の系譜になります。
百人近い名前を費やして神功皇后へ糸をつなぐ編集は
丸邇氏から天皇が出るはずだったことを伝えたかったようにも見えます。
開化天皇は丸邇氏と縁を持ちつつ、ウチ家のイカガシコメとも縁を持ちます。
系図を見ていると、この時代、ウチ家(竹内宿禰の実家)と丸邇氏が二大豪族として
天皇家を支えていたように見えて来ました。
天皇を取り合ったと言う方が実態に近いのかも知れません。
皇太子が入れ替わった可能性がありますね。
丸邇氏の本貫地はどこでしょうか。どなたか教えてください。
系図からは北陸のイメージが感じられます。
『古事記』には息長帯姫と竹内宿禰の系譜にこだわりがあるのが分かりました。
この二人に関しては特別扱いの印象が強いです。
それでは、せっかくだから中断した所まで。(『古事記』)
御真木入日子印恵の兄、ヒコユムスミ王の子、大筒木垂根王(おおつつきたりね)。次に讃岐垂根王。この二王の娘は五柱です。
日子坐王(ひこいます)、山代のエナツ姫(亦の名・苅幡戸辨・かりはたとべ)を娶って生まれた子は大俣王。小俣王。志夫美宿禰王。(三柱)
また、春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘、沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)を娶って生まれた子は沙本毘古(さほびこ)王。ヲサホ王、沙本姫命(亦の名サハヂ姫)。この沙本姫命は伊久米天皇の后となりました。
(後略)
系図を書くと、いろんな情報や矛盾が見えて来て面白いんですけどね。
時間がかかり過ぎ。
また、必要になったら書く事にしましょう。
神功皇后と竹内宿禰の特別扱いは、『唐書』辺りの、倭人のセリフにも出て来ました。
神功皇后を15代と中国で説明していた話、紹介しましたね。
さて、欠史八代に取り組んだ本来の目的は雷神社に書かれていた異国の襲来の時代について
調べるものでした。
やはり、それは書物からは伺えませんでした。
「欠史八代」についてのメモ
欠史八代について分かったのは、
①近畿においては実際に欠史八代であった。ウィキペディアの編者が説明しているように、古墳との繋がりも不自然だった。伝承でも、考古学上も、近畿に2代~9代の存在は認めがたい。
②「卑弥呼=ヤマトトモモソ姫説」は時代が数百年違っている。ヤマトトモモソ姫は欠史八代の中に出て来る姫である。
③北部九州においては、欠史八代の伝承が見られる。考古学的にも、該当する時代の遺跡がある。
④欠史八代という名称そのものが実態を表していない。
特に、8代、9代の歴史は『古事記』には長々と書かれていた。(るなが根負けした (+_+))
そんな事が今回の印象です。
今回、るなは言いましょう。
「欠史八代」とは「筑紫八代」である。
言っちゃった ( ´艸`)
孝元天皇の宮
さて、八代・孝元天皇を祭神とするのは高良下宮社(久留米市)です。
サイドバーから入れますが、孝元天皇について、真鍋の説を紐解いているのは
「出目・袴着天満宮」の方です。
真鍋は孝元天皇=伊覩国王説でした。
仲哀天皇が神功皇后と共に伊都国に行って、高良山にもやってきた目的として、
伊都国の坩堝の材料として高良山の温石を求めたと言います。
今まで、孝元天皇が高良下宮社に祀られている理由が分からなかったのですが、
仲哀天皇が伊都国の技術者を連れて来て、採掘・加工のために定住させたとすれば、
その技術者たちが自分たちの祭神を当地に祀ったと考えられて、説明が上手く行きます。
うむ。
これで高良下宮社の祭神たち、揃い踏みですね。
二月には久留米でお話しますよ (^-^)
日本書紀 古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)若倭根子日子大毘毘命(
10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇
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二番目の妃として沙本之大闇見戸売を娶り、三番目の妃として息長水依比売
を娶りというように近畿北部の諸豪族と血縁で結ばれてから、丹波・但馬・
丹後・美濃の土蜘蛛を平定して廻っているように見受けられます。初めから
近畿に居たわけではなく、外から来られたようにも見えます。
日子坐王の母は丸邇臣の祖・日子国意祁都命の妹ですから、和邇氏の本願地
は、日子坐王が生まれた所と考えたくなります。日子坐王は、どこで生まれた
のでしょうか?
全く記憶から消えていました。
公開日記、やはり書いておいてよかったです。
日子坐王のこと、書いてくださてありがとうございます。
西側中腹に日子坐命墓はあります。
大きな自然石が岩目に沿って3つに分かれ手前の岩は祭壇みたいになっています。
春分の日近く夕暮れ頃になると不思議な現象が起こります。
ひもろぎが岩に現れあたかも生きている様に躍動します。
風の強い日が見頃かと思います。因みに今年は4時10分頃から5時頃まで見られました。