2014年 01月 24日
若八幡宮 神功皇后が立ち寄った
若八幡宮
宮若市沼口195
神功皇后が立ち寄った
神功皇后のガイドブックの百社を選んだ後、どうしても伝承が確認できない神社がありました。
古い本に一行書かれていたのを調べ、参拝したのですが、宮の方は不在。
何度か電話をかけでも連絡がつかないので、別の神社にまで掛けました。
そこには石碑があったと教えていただいたので、再び電話をしてみても、
どうしても連絡が取れない。
未確認のまま本には出せないので、ついに断念。
図書館に行って、想定ルート上に伝承のある宮を調べる事にしました。
そして、『宮若町誌』についに伝承を見つけたのです。
それが、今日紹介する若八幡宮です。
昔、神功皇后が異国遠征のときにこの地に立ち寄った。そのゆかりの地に、保元二年(1157)九月二十四日、村人は力を合わせて神社を建立した。
こんな素朴な社伝に心ひかれます。
ただ、そこに存在する。
これこそ、「古代が、すぐ近くに息づいている」世界ですね。
神功皇后が通過しただけの神社は省いてもいいのではないか、と言われたのですが、
私にとってはそのような神社こそ宝です。
地図を広げて現地を探すと、何度もその前を車で通過している所だと分かりました。
山口川の向こう。
近くの目印は工場が散見されるくらい。
その川の向こうに鳥居と灯籠がありました。
まっすぐ200m。
それらしき杜(もり)。
落ち葉が参道を彩っています。
古木の間を通って境内に出ると、石垣の上に拝殿が見えました。
氏神様の宮のようです。
御祭神は応神天皇 神功皇后 武内宿禰 ほか。
八幡宮の三柱目が珍しく武内宿禰ですよ。
一目ぼれした古木。
名前が知りたい。
仲哀天皇と神功皇后が靡山(なびきやま)を見ながらゆるやかな勾配を下って来て、この川に出て来ました。
境内は川より少し高い地点。
境内からわずか見える山々の稜線に、とても心が解放されました。
皇后たちもきっと同じ景色を見たことでしょう。
ちょうど、この正面辺り、わずか一キロの所に竹原古墳があるのです。
あの装飾古墳。
馬を連れていた武人。ブーツを履いていたね。
仲哀天皇と神功皇后を迎えた時代から数百年たって、そこに眠る男。
歩いて15分。(川があるけどね)
どんな古代社会があったのでしょうか。
装飾古墳というものは何にもまして、驚きと真実を与えてくれます。
船に乗ってやって来た男。
もし、この武人がずうっと船に乗って来るとしたら山口川を遡って来なければなりません。
この川は遥か遠賀川に注ぎます。
ですから、玄界灘から岡の湊を通って来たことになります。
火を噴くドラゴンは夜空の星座だと、るなは確信しているんですがね。
竹原古墳(1)福岡県宮若市竹原 この優美な装飾壁画は通年公開!
http://lunabura.exblog.jp/15619249/
竹原古墳(2)日本の古墳に火を噴くドラゴンが何故描かれている?
http://lunabura.exblog.jp/15638086/
さて、仲哀天皇の一行は川を渡って、山口八幡宮に向かいます。
その後、いよいよ厳しい見坂峠を越えて福津市へ。
時は真冬。
車で走ると、途中、三か所ほど鳥居が見えます。
見坂峠のピーク付近とそれを挟んで前後二か所。
車が多いので止められないのですが、そこで一行は休息したのではないかと考えています。
若八幡宮
宮若市沼口195
「神功皇后伝承を歩く」 上巻 22 掲載神社
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