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高良御子神社(3)坂本神社


高良御子神社(3)

坂本神社



もう少し、境内の神々を確認することにしました。

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一の鳥居には「王子宮」と書かれていますが、二の鳥居には「坂本神社」と書かれています。

これについて境内には由緒書がありました。

東坂本社 櫛岩窓命
西坂本社 豊岩窓命
注=両祭神は、太玉命の御子で「殿(みかど)」を守衛(まも)る神、即ち高良参道入口の守護神である。


これって、何だかすごい事、書いてませんか?
「殿(みかど)」と書いていますよ。
東西の坂本神社は高良参道入口の守護神とあります。

これを素直に読めば、高良山には「みかど」が住んでいたという事になります。

「高良参道の入口」と書いてあるので、最初は現在の参道をイメージしたのですが、
そうではないのが「高良御子神社由来記」で分かりました。

「阿志岐村は古代高良の三口(登口)の一つで(耳納・阿志岐・高良内)、其の内でも高良大社の北側に位置し、尤も(もっとも)重要な所であった。
大宰府を立って筑後川を渡り、野口を過ぎ、神米畷(くまめなわち)を通り、栗林をすぎて、阿志岐坂を登り、高良社へ至る古道である。


この栗林の所に両坂本神社があったと書かれています。
栗林はJR御井駅付近に当たります。

また、神代(くましろ)の渡しには神代家がいてそこを固めていたそうです。
今は神代橋がある所でしょうか。

地図



こうして、航空写真を見ると、阿志岐が北の門だったのがよく分かります。
(写真と普通地図とクリックで変化します)


境内の説明板、さらに書き写します。(中略)
神社調帳 (明治八年)(1875)高良大社臓
祭神 櫛岩窓命 
末社 素盞嗚社 祭神 素盞嗚命
同  佐田社  祭神 猿田彦命
同  八柱社  祭神 高良玉垂命・外七柱
注=八柱社は元治二年(1865)建立

祭神 豊岩窓命
末社 隼鷹天神社 祭神 高皇産霊神
同  石川宿弥社 祭神 不詳
注=境内に佐屋神大明神の石碑あり。

明治四十三年九月二十六日 郡役所の勧誘により、王子山596-1 高良御子神社境内に、全末社とも移転遷座す。
現在、王子宮境内に祭祀してある坂本神社の社殿は一つだが、正面祭壇上に素木の厨子が二つ並んでいる。それが東西坂本本社のご神体である。 中央に不明のご神体一柱あり。(後略)


両坂本神社は明治43年に当宮に遷宮したのが分かりました。
これを見ていると、末社の方に大変興味をそそられます。

櫛岩窓命の東坂本神社の方の佐田社は当社ではサルタヒコですが、
安心院の佐田神社は武内宿禰だったことを思い出します。
そして、当末社には高良玉垂命も祀られています。

一方、豊岩窓命の西坂本神社の方にはあの隼鷹天神社があります。
祭神 高皇産霊神(たかみむずび)。
そう、高良の神によって、高良山の麓に追いやられた高木の神です。
のちに仲哀天皇に祟りました。(御勢大霊石神社・隼鷹神社・高樹神社参照)

それと並ぶ神社が石川宿弥社。祭神は不詳となっていますが、
竹内宿禰の第三子・蘇我の石河宿禰を連想してしまいます。

これらは末社ということなので、栗林地区の人々に密着した神々ということでしょう。
古代の様子を探るのに何か手掛かりを示してくれそうな祭神の組み合わせでした。



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これは王子宮の本殿の右手の社殿です。

これが両坂本神社の社殿と思われるのですが、未確認です。
参拝された方、確認して教えてください。

さあ、これで周囲の状況が少し分かりました。
いよいよ本題に取り掛かる時が来たようです。

(つづく)






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by lunabura | 2014-03-18 22:41 | 高良御子神社 | Trackback | Comments(0)
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