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高良御子神社(4)九躰皇子の父は?


高良御子神社(4)

九躰皇子の父は?



斯礼賀志ノ命神(シレガシ)
朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)
暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)  
渕志ノ命神(フチシ)
谿上ノ命神(タニガミ)、
那男美ノ命神(ナオミ)
坂本ノ命神(サカモト)  
安志奇ノ命神(アシキ)  
安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)


この皇子たちの名が書かれていた境内の由緒書をもう一度読んでみましょう。

「起建」
高良御子神社祭神は高良玉垂命の御子にて命に九躰の皇子あり、人皇二十代允恭天皇の御宇(412~453)、高良の神の御託宣(おぼしめし)により阿志岐山上に九躰の社を、大宮司孝成造立す。(古宝殿)
 四八代称徳天皇神護景雲二年(768年)阿志岐山上(古宝殿)より現在地へ遷宮された。
(後略) 平成八年春弥生 山川区郷土研究会


九躰皇子は「高良玉垂命の御子」と書かれています。
「阿志岐山上に社を」、と託宣を下されたのは「高良の神」です。

「高良玉垂命」と「高良の神」が別神である件については久留米地名研究会で話しました。
このブログでも、また拙著『神功皇后伝承を歩く上』でも書いています。

不思議に立て続けに出会った志式神社神楽と高良大社絵巻縁起。
これを突き合わせると、「玉をつかさどって与える神」(玉垂命)とは海神のことでした。

「玉垂命」とは「安曇磯良神と、その奉斎する海神」。
「玉垂」の「玉」とは干珠満珠。
それを求めたのが「高良の神」=「竹内宿禰」となる事を紹介しました。

その後、「高良玉垂命」と「高良の神」は混同されていきます。
そして時代が変遷し、『高良玉垂宮神秘書』になると、高良大菩薩という仏名で
物部保連(やすつら)、住吉の底筒男神の名が出てきます。

『高良玉垂宮神秘書』では九躰皇子の母は神功皇后。
父は仲哀天皇と高良大菩薩となっています。
この場合の高良大菩薩は底筒男神、すなわち住吉神、そして物部保連です。

以上が、このブログで調べた状況です。


さて、当社の縁起に戻りましょう。
九躰皇子を祀るようにという神託があったのが412~453年頃のことです。

この時代、つまり五世紀の人は高良玉垂命を誰だと考えていたのか、
これをまず理解しなくてはなりません。

1 海神(綿津見の三神)と安曇磯良
2 竹内宿禰
3 物部保連あるいは住吉神

この三人の誰か。
これを知る方法はあるのでしょうか。



まず、社殿に遺されたシンボル。それは「竹」でした。

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これは本殿の裏にある彫り物。中央に竹が緑で彩色されています。


c0222861_23394194.jpg


こちらは本殿正面、両の柱に笹竹が掲げられています。
写真を見直していた時、初めはいったい何だろうと思いました。
竹の葉は一日でチリチリに枯れるので、祭日の夕方にはこうなったのでしょう。
竹が祀られている社殿を見るのは初めてです。

結果、「高良御子神社」のシンボルは「竹」。
そうすると、「竹内宿禰」の一族だということを暗示していると思われます。


一般に武内宿禰と書かれる名を、私は「竹内宿禰」と書いています。
ガイドブックの時も、書き分けが大変でした。

『日本書紀』なら武内宿禰。『古事記』なら建内宿禰。
そして、各神社の書き方。
そのうえ綾杉説の竹内宿禰なんですから。

でも、原型に遡ることは、シンボルを理解しやすくさせてくれます。
「竹」の笛。音楽。
これが竹内一族の側面なんですね。


当社に「竹」が残されているということは、九躰皇子の父は「竹内宿禰」だと暗示していると思われます。
また、皇子という表記は帝の子という主張も見られます。

「たけしうちすくね」という実名の伝わらない人物は王朝の帝だったのでしょうか。
もしかしたら、その名は「シキハム」だったのかも知れない。
それは織幡宮(祭神武内宿禰)を「シキハムさま」と呼んでいることから推測しています。

(つづく)








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by lunabura | 2014-03-19 23:41 | 高良御子神社 | Trackback | Comments(8)
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Commented by うさぎ at 2014-03-21 03:36 x
私事ながら
此処を読ませて戴く縁に成ったのが、阿部氏(阿部ってバレちゃいますがww)の末裔らしいってことに行き着いたところからなのですが 調べてもまったくわからなくて、終いには東北の話まで…orz ww
毎回勉強させて戴いています!
Commented by lunabura at 2014-03-21 20:50
うさぎさん、こんばんは。
阿部氏なんですね。
宮地嶽神社の宮司さんが、安曇族は安部氏で、ほか「あ」が付いている姓はみな安曇族だとおっしゃっていました。
そして、磐井の一族でもあります。
これで、多くの謎が解け始めました。

そして、この高良御子神社もかつては安曇氏が祀っていたという記録があります。
だから、うさぎさんが阿部氏の話を書かれて、とても驚いています ^^
Commented by うさぎ at 2014-03-22 03:40 x
曾祖父が全て把握していたようで、関係のある神社には名前を彫られていて助かりました
古来は東北からきた、系譜を3つに分けて久山に(一番古い一つは火事で)と云う眉唾ものの言葉しか遺していないので怪しいのですが(苦笑)
磐井と云うと隣のとなり位が長者原ですww

そういえば!本を買わせていただきましたよ!!晩酌の友に読ませてもらってます(><

Commented by lunabura at 2014-03-22 22:36
ありがとうございます^^
ところで、東北からきたというお話し、とても興味があります。
久山の黒殿神社は阿部氏だから、関係あるのではないですか?
ガイドブックにも出ています。
Commented by うさぎ at 2014-03-23 00:08 x
こんばんは
あまり深くもないのですが 東北については、東北からきたので、先祖を奉るものは東北の木を使えと伝わっています(そういえば 宇美の方に古い親族が居るのも調べだしたきっかけです)
東北と云うと、回りが星の地名ばかりなので個人的に千葉氏では?なんて思っているのですが浄土宗なんですよね(苦笑)
久山の阿部氏、竹内について、戦前に尋ねて来た方が居たなあと家のじいさんが云ってるのですが 寺ごと燃えたのでなんとも云えない現状です(苦笑)

まとまってもいないことを長々と申し訳ないです
Commented by lunabura at 2014-03-23 22:58
貴重なお話ですよね。
ところで、東北には星の地名ばかりって、どんなのがあるのですか?
よろしかったら、教えてくださいませ。
Commented by うさぎ at 2014-03-24 01:09 x
星越→細越 星野→細野 酷似した地名はなかなかあるようで星がなまって細になったのでは、なんて云われたりしますよね 青森の喜良→綺羅星 は割と成る程とは思ったのですが どうでしょうか
青森の三内円山遺跡にある柱跡は、星信仰のあとではないかとも云われてますね
Commented by lunabura at 2014-03-24 23:21
そうですか。
星越、星野 綺羅、どれも素敵な地名ですね。
三内円山遺跡の星信仰。有り得ますね。
福岡では見られなくなった絢爛豪華な星空。
東北の方のブログでは今でも見られてすばらしいですね。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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