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高良御子神社(6)ここも安曇族が祀っていた


高良御子神社(6)

ここも安曇族が祀っていた

まさか、ここでも安曇族に出会うとは。

それは『ふるさとの民話と伝説』(校区郷土研究会 会長豊福廣見編著)に
書かれていました。

1 高良御子神社祭神名のナゾ 井上 農夫
(前略)
 原始時代の海ジプシイ(漂泊民族)「わだつみ族」の族長安曇氏(あづみし)の氏人が、戦国時代の末期まで、この神社を守っていた。徳川時代になって、所在地の阿志岐村が高良山の神領から分離すると、高良神社の末社の地位から独立して、阿志岐村の鎮守社となった。
 この社の古い由緒は判らなくなってしまった。(後略)


たぶん数年前なら見逃していたでしょう。
安曇族。
戦国時代の末期までここを守っていたといいます。

高良玉垂命を竹内宿禰と決定したのは江戸時代でしたが、
その前まで安曇族が祀っていたということは、
この頃までは玉垂命が安曇の祖として祀られていた可能性が高いと思われます。

この安曇族を「海ジプシイ」と表現したのは、言い得て妙。
「くぐつ」とも呼ばれていたのがこの漂泊の民です。

「くぐ」とは「かやつり草」のことで、
これで編んだ籠を「くぐつ籠(こ)」と言ったそうです。
それに釣った魚やワカメを入れていました。
のちに「くぐつ籠」に、人形を入れて漂泊したことから、
漂泊する民は「くぐつ」と呼ばれるようになったそうです。

その人形(にんぎょう)とは神の人形で、それで呪術をしたり祓ったり、劇をしたり、
また、人形(ひとがた)として穢れを移したりしたといいます。


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傀儡子(くぐつ)  国指定 重要文化財 小犬丸 八幡古表神社

画像出典 吉富町 HP
http://www.town.yoshitomi.lg.jp/p/1/9/2/27/3/1/
物部膽咋とか、大伴武以が出ていますよ。
ガイドブックでもおなじみの人たちです。


「くぐつ舞」
それが、かの「筑紫舞」でもありました。

調べれば調べるほど、安曇族は倭(九州王朝)と繋がっていきます。
そして、竹内宿禰もまた九州王朝の礎(いしずえ)に繋がっていく予感がするのです。
そこには道真公も被さってくる。
竹と梅。そして松。
これは九州の古代王朝のシンボルでしょうか。

るなの心の古代の海では、
この高良山麓と宮地嶽神社(福津市)が竿さす小舟で繋がり始めています。
どちらも、安曇族、そして、磐井一族。
そして謎の竹内宿禰。

当社を安曇族がかつて祀っていながら、
いつ頃から竹のシンボルが掲げられるようになったのか、
その分岐点が分かれば、大きな飛躍が待っているようにも思えます。


地名の可能性はないか
さて、九躰皇子の話に戻りましょう。
初めてこの九人の名に出会った時、
  2 朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)
  3 暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ・別名ユウヒトヨサカ) 
の二人の名に注目しました。
それは小郡市で聞いた「朝日山と夕日山」という言葉を思い出させたからです。

遠い記憶なので、間違っているのかもしれませんが、
小郡の平野で誰かが「朝日山と夕日山がある」と言ったのです。

朝日山は鳥栖に地名が現存しています。
夕日山は城山(じょんやま=花立山)だったかと記憶しているのですが、
心当たりの人に尋ねても、分かりませんでした。
思い込みだったのかも、知れないのですが、誰か知っていたら教えてください。

人の名前には地名が付くケースがあるのですが、
もし、「朝日」と「夕日」がその地名を指しているとすると、
もう一人、「安志奇」もまた地名の可能性があります。
この地そのものが阿志岐村です。

そして、阿志岐山城と名前が変えられてしまった大野城市の宮地岳の神籠石の記事で、
大宰府のアシキ氏が「中つ海」を巡行する船を司っていて、
その湊に阿志岐という地名が付いているのではという話になったのを思い出します。

荒船神社(3)蘆木氏は太宰府に直属していた
http://lunabura.exblog.jp/18419337/



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有明海の大きな干満の差を利用して船を漕ぐために、
船出の時間は月の満ち欠けに合わせて変化します。
多分毎日50分ほどずれていく。
船の通る時間を見ていると、空を見なくても川面を見ながら、
月の満ち欠けが分かったと真鍋大覚が伝えた話のエリアがここでもあるわけです。



宮地岳(大野城市)の麓から高良山~耳納連山がよく見えます。
そして、この阿志岐の高良御子神社からも宮地岳が見えると、くじらさんが教えてくれました。

九躰皇子の父は自分の子供たちに勢力範囲を治めさせた可能性はないかと考えています。
朝日山、夕日山、阿志岐、そして安楽寺(大宰府)
  8 安志奇ノ命神(アシキ)  
  9 安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)


その支配する地域がこの高良御子神社から、また元宮の阿志岐山の頂上から
一望できたのではないでしょうか。


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この景色を思い出すたびに、そんな思いがするのです。
うっすらと宝満山が見えています。

(つづく)





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by lunabura | 2014-03-23 21:31 | 高良御子神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by くじら at 2014-03-30 07:09 x
王子宮の豊福正美総代から伺ったところによると、かつては、浮羽から八女までが阿志岐だったとのこと。古筑紫海(中つ海)があった時代の話かと思われますが、葛城氏の勢力範囲が示されていて、興味深いですね。まだ訪れていませんが、付近の古民家敷地内には、蘇我石川宿禰の墓があるとも。阿志岐は高良社 小祝 安曇氏の管轄下にあり、最高祀官 大祝 鏡山氏(物部氏)は、草野町に在住なされています。核心に迫りつつありますね。。
Commented by lunabura at 2014-03-30 23:31
ああ、なるほどですね。
このコメントで、次の記事の謎が解けました。 (^-^)
ありがとうございます。

そうそう。メールの返事まだでしたね。
今、大詰めです。
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