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江田船山古墳・ムリテら三人が眠る奥津城


江田船山古墳
ムリテら三人が眠る奥津城


ついに、熊本県和水町(なごみ)の江田船山古墳にやって来ました!
教科書に出てくるし、当ブログの百済の前方後円墳にも出て来て、
現地に立ってみたいとずっと思っていました。


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円墳と思いきや、

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前方後円墳でした。
手前のカーブの辺りは周溝で、とてもきれいな形をしています。

環境、スゴイ。
こんなに手入れされた環境の古墳、初めてです。



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前方部から後円部を取ったのですが、入口が斜め!しかもくびれ部から入る。
この向きに、ちょいと驚いた。


そして、この鉄の扉を自由に開けることが出来るのです!!!(^o^)/

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鉄の扉を開ければ家形石棺。
蛍光灯がいくつかあるので、竹原古墳のように怖くはなかったです。( ´艸`)
う~ん。デカイ。

横口式ですね。つまり追葬が出来ると言うこと。
調査では5世紀後半~6世紀前半の三人分の副葬品が出土した、となっています。
それにしても、石室はどうなってるんだろう。
部屋を見回すと、壁や天井は現代の加工なんです。
羨道も見当たらないし。

説明板にはその記述がないので、もしかしたら石室は無しかな?
石棺の上に直接土を重ねた?

この古墳は明治6年(1873)に夢のお告げで発掘されました。
未盗掘でした。
出土品は例の調子で地元にはありません。(´・ω・`)




ただ、現場に写真があり、レプリカが資料館にあるので、理解しやすいです。
この日は資料館に行く時間はありませんでした。
副葬品の写真はウィキぺディアなどに掲載されています。

副葬品の鉄剣に銀で象眼されていて、ムリテに与えたということが分かっています。(異説あり)

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で、副葬品には金の素敵なイヤリングもさることながら、三環鈴が出ています♪

外側には埴輪でなく、石人が置かれていました。


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これは横のの石人レプリカ公園。

で、何が知りたかったのかというと、この古墳の所在地、菊地川流域と百済の前方後円墳には縁があるので、現地を見たかったのです。

次の記事を自分でも読み直しました。
「百済の前方後円墳」
http://lunabura.exblog.jp/i189/



1 栄山江流域の前方後円墳の被葬者は副葬品から考えて「周防灘沿岸、佐賀平野東部、遠賀川流域、室見川流域、菊地川下流域などに出自をもつ複数の有力豪族と想定」される。
「韓半島南部に倭人が造った前方後円墳」―古代九州との国際交流― 朴天秀(慶北大学考古人類学科教授)より
このように、菊池川下流域からも百済に向かった武人がいたわけです。

百済で見つかった前方後円墳群は倭人が造ったもので、
築造年代は5世紀後半から6世紀前半。
江田船山古墳は「5世紀後半、6世紀初頭、それに6世紀前半の3つの時期」(熊本HPより)。
ぴったり重なっています。

百済の被葬者はゴホウラ貝など倭国のものを持って埋葬され、
百済で手に入れた金銀の威身具は故郷に送る。
そんな推測がなされています。

その黄金の威身具に包まれて江田船山古墳に埋葬されたムリテは
「典曹人」という身分で、行政事務の役人と考えられています。

任那四県を百済に譲渡した事件、また継体天皇と磐井の戦いが起きた時代です。
ムリテは朝鮮半島の情勢、また筑紫君・磐井をおびやかすヲホド王(継体天皇)の状況を
どのような思いで見ていたのでしょうか。



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右手に円墳。中央奥が江田船山古墳。
夏には祭もあるそうです。
市民に愛されてます。^^




江田船山古墳 熊本県和水町(なごみまち)









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by lunabura | 2014-05-05 22:06 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(2)
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Commented by 検索できました。 at 2015-09-04 23:45 x
ムリテの検索で来ました。
あの、ムリテは太刀を作っただけの人であり、被葬者ではないですよ。
太刀の銘文の続きを見ればムリテが人にあげるために作ったものであることが明らかです。 

此の刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、□恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。

現地の案内板の”被葬者ムリテ”とあるんですか?
Commented by lunabura at 2015-09-05 23:53
そうなんですか。
すっかり、勘違いしていました。
教えて下さってありがとうございます。
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