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宮野神社・斉明天皇が藤原鎌足に命じて造らせた宮


宮野神社

斉明天皇が藤原鎌足に命じて造らせた宮



ずっと気になっていることがありました。
斉明天皇の軌跡です。
朝倉には関連の神社がいくつかあったので、調べたいと思っていました。

福成神社(朝倉市)の近くに女官たちの宿舎の伝承があるなら、
徒歩圏内に朝倉の橘の広庭宮があるに違いないと考えてから何年も経っています。

観光マップを観光課から送っていただきましたが、
やはりオリジナル地図を作らないと辿りつけそうもありませんでした。


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まずは宮野神社へ。
境内は遠くからでも見えるのに参道がありません。
畑帰りの人に尋ねて教えてもらい、迂回して辿りつきました。
正面向かって左から境内に入るようになっています。


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一歩、境内に踏み込むとただならぬ宮の気配。
その重厚さ、そして「宮」野という名から、いきなり核心に来たのだろうかと
一瞬驚きました。


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朝倉はどの宮にも説明板があって、ありがたいです。

説明板から。
所在地 福岡県朝倉町大字宮野字中宮野1248
祭神 大己貴命 天児屋根命 吉祥女
祭神の組み合わせが不思議だな。



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宮野神社は大字宮野の氏神であり、毎年10月25日に祭礼が行われている、
この宮野神社は、藤原氏祖先の墓といわれ、天孫降臨のとき天照大神に従った「天児屋根命」を祀ってある。
藤原氏祖先の墓所だといます。どういう意味だろう。
誰かがここに埋葬されている?
祭神は天児屋根命です。

ネットで調べてみました。
岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 (wikipedia)



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斉明天皇6年(660年)、朝鮮半島の百済が唐と新羅の郡に亡ぼされ、日本朝廷に
救いを求めてきたので、天皇は翌7年(661年)百済救援のために筑紫に下られ、朝倉橘広庭宮を大本営とされ救援軍を半島に進められたのである。天皇は遠征軍の戦勝を祈願するため、藤原鎌足に命じて宮野神社を創建されたと伝えられている。
思いがけず藤原鎌足の名が出て来ました。
ここは斉明天皇が生存中に藤原鎌足に命じて創建した宮でした。
そうすると、天児屋根命は藤原鎌足の祖先神ということで、関連性があります。
もういちど、三祭神を見直しました。

祭神 大己貴命 天児屋根命 吉祥女
吉祥女が菅原道真夫人なら、道真公(845~903)なので、この時代には関係ありません。
そうすると、残るのは大己貴命
神功皇后の時にも祟り神として複数個所で祀った神の名が残りました。
大己貴神社(朝倉市)もそう遠くはありません。

斉明天皇は戦勝祈願に大己貴命を祀らせ、
その祭祀に当たった藤原氏の祭祀官が留まって祭祀を続けたのでしょうか。
その祭祀官のお墓?とか、ちょっと乱暴すぎるかな。
う~ん。なんで墓所だろう。


『福岡県神社誌』の方を見てみました。(訳します)

由緒 斉明天皇七年創立。明治五年十一月三日、村社に被定。当社は斉明天皇当所橘広庭の宮に御遷幸のみぎり、玉体守護神として天児屋根命及び大己貴命を勧請し、宮野神社とし、その後天慶年中に秋月対馬守春実吉祥女を合祭し、三座とした由、いにしえの繁栄の時は当村の内字落合という所に神幸神祭執行などが由来に書かれている。
これによると、天児屋根命と大己貴命は斉明天皇の守護神として祀られたとなっています。
すでに具合が悪かったのだろうか…。

合祀された吉祥女に関しては天慶年間が938~947年。
道真公の没した903年の後なので、やはり夫人なのかもしれません。


藤原鎌足がここに立った。
奈良にしか足跡がないと思い込んでいたので、驚いています。


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拝殿から一の鳥居を眺めました。
平坦な地が続き、麦畑が広がっています。
その向こうに筑後川が流れています。その洪水原は豊かな穀倉になりました。

この付近はすでに陸地化していたのでしょう。
ここは都の中心地ではないようですが、
祭祀が営みやすいように都の近くに祀られた可能性を秘めていました。



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境内の右手奥に小山がありました。


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金毘羅社と読めるようです。

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祭神は分からないけど、ウィキでは「大物主神」となっています。

そうすると、最初の祭祀はこちらなのでしょうか。
あるいは、神功皇后伝承地の場合、海人族たちの社がそっとあったりするので、
斉明天皇の龍船を漕いだ海人族かも、とも思ったり。

金毘羅さんを信奉する海人族は、何というのだろう。



さて、都の設計にあたって、目当ての神名備山でもないかと裏手を見ましたが、
ピンと来る山はありませんでした。

この近くにはもう一つ、斉明天皇伝承を持つ別所神社があります。
歩いてすぐの所でした。別所神社と言います。(つづく)



斉明天皇七年(661) 
5月9日 朝倉に遷幸。
○月○日 斉明帝、藤原鎌足に命じて宮野神社創建。
7月24日 崩御。68歳。


地図 宮野神社







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by lunabura | 2014-05-09 19:12 | (マ行)神社 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 筑後国造 at 2014-05-10 06:13 x
金毘羅神社の小山は古墳です。
遺跡地図では、中宮野神社内古墳となっており、横穴式石室の円墳のようです。一部石材が露出していますよ。
Commented by lunabura at 2014-05-11 22:15
筑後国造さん、こんばんは。
古墳だったんですか!
横穴式石室だったとは。

そうすると、中臣氏の祖先の某か、実際に埋葬されている可能性もあるんですね。
教えてくださってありがとうございます。
今日はチブサン古墳の横を何度も通りながら、行けなくて残念でした(・_・)
Commented by 西村 at 2014-07-26 22:46 x
甘木にこれほど由緒正しい神社があったということに驚きを隠せません。ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人から辿ってこのページに辿り着きました。生まれ故郷がこれほどの歴史の町と知りうれしいですね。
Commented by lunabura at 2014-07-26 23:31
甘木・朝倉はまだ世に知られていない歴史が沢山あるようですね。
景観も美しい姿を残しています。
また、遊びに来て下さい^^
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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