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宮野神社(2)小山は古墳だった


宮野神社(2)
小山は古墳だった

さて、前回の宮野神社を書いたあと、二つの情報が入ってきました。

一つは筑後国造さんからのコメント。
「金毘羅神社の小山は古墳です。
遺跡地図では、中宮野神社内古墳となっており、横穴式石室の円墳のようです。
一部石材が露出していますよ。」

神殿の右手の小山は古墳だったんですね!


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古墳には石段が付いていました。
石材が露出していたなんて…。
見たかったです。




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もしかしたら、祠の前の石は天井石?

横穴式石室ということなら、6~7世紀かなあ。
ウィキペディアで「横穴式石室」を調べました。一部分だけ抜き出します。

日本での横穴式石室
●日本列島でも横穴式石室や横穴系墓室は、4世紀後半から北九州で造られ、それが九州全域に拡がり、東の方へ伝わった。

●6世紀になってからは横穴式石室が全国各地にひろがった。朝鮮半島で一般化されつつあった横穴石室が日本の各地にひろがるには約1世紀近くの時間がかかった。

●646年(大化2)薄葬令が公布された。この令によって、古墳の築造が細かく規制された。石室をつくることが許されたのは貴族階級であり、一般庶民には石室をつくることは許されず、地に埋めることが規定されている。

この宮野神社が創建されたのは661年です。
社伝では「この宮野神社は、藤原氏祖先の墓といわれ、天孫降臨のとき天照大神に従った「天児屋根命」を祀ってある。」とあるので、古墳も近い年代になります。

橘朝倉宮が建設される時には、風水に叶った適地が検討されたはずで、
朝倉の情報を提供した豪族がいたはずです。

それが誰なのか推測する時、古墳の被葬者が関わった可能性もあり、
中臣氏の祖先がもともと当地に居住していた可能性もでてきます。

何だかワクワクですね。



そして、もう一つの情報はくじらさんから。
「久留米市に藤原鎌足の子孫がいる」ということでした。

バラバラの情報のが、朝倉市の宮野神社という一点で急に膨らみを生じてきました。

想像もしなかった古代のフクオカの姿が垣間見られて楽しいです。




さて、この日、宮野神社から別所神社へ向かいました。
徒歩でもすぐに着く所にあります。

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農道です。向こうのとんがり樹の辺りが別所神社。



c0222861_21223251.jpg


振り返れば先程の宮野神社の杜が見えています。
両社は直線距離で130m。

実はこの日は別所神社の方に先に行ったのですが、消毒があっていたので
遠慮して宮野神社を先に参拝したのです。
宮野神社では別所神社の消毒のモーター音が聞こえていましたよ。
それほど近いんです。

モーター音が止まるのを待って、車で移動しました。
そこにも斉明天皇に関わる縁起がありました。
次回は別所神社へ。



斉明天皇七年(661) 
5月9日 朝倉に遷幸。
○月○日 斉明帝、藤原鎌足に命じて宮野神社を創建する。
○月○日 中大兄皇子 天皇の病気平癒のために別所神社を創建する。
7月24日 崩御。68歳。
8月1日 遺骸を橘広庭宮から木の丸殿に移す。中大兄皇子は12日間服喪。御陵山。恵蘇八幡宮


恵蘇八幡宮(1)と木の丸殿 筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
中大兄皇子はここで喪に服した
http://lunabura.exblog.jp/15159645/



宮野神社と別所神社





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by lunabura | 2014-05-12 21:23 | (マ行)神社 | Trackback | Comments(0)
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