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ひもろぎ逍遥

別所神社(2)「皇居の辺」なる清浄の地


別所神社(2)

「皇居の辺」なる清浄の地


さて、私が当社に参拝した理由は『福岡県神社誌』にこんな縁起が載っていたからでした。
(訳します)

由緒
斉明天皇七年創立。
明治五年十一月三日村社に被定。
当社は朝倉橘の広庭の宮に遷幸された時、朝倉社の木を伐り宮殿を造られたので神怒り祟られて殿を壊された云々と日本書紀に出ている。

この時、皇太子中大兄皇子は先帝の罪を償われて皇居の辺なる清浄の地を占って陰神伊弉冊尊(いざなみ)を別けてここに勧請されたので、社号を別所神社と称し、事解男、速玉男の二神を合祭して三座とする。

いにしえ社頭の繁栄の時は当村の八並という所に神幸をされ神楽を奏して厳重に祭祀を執り行った。
この縁起の「皇居の辺なる清浄の地」に驚いたのです。
すなわち、当社は橘広庭宮の一角、もしくはそのそばにあるという事になります。

広庭宮の所在地はいまだに特定されていないのですが、
ここに手掛かりが書かれていたので、現地を調べるためにこの宮に訪れたのです。

ちょうど氏子さんが消毒の手を休めておられたので、話を聞くことが出来ました。

「拝殿の柱の礎石は蓮の花で、珍しいんですよ」
見ると、確かに蓮の花です。

別所神社(2)「皇居の辺」なる清浄の地_c0222861_18229.jpg

「言われないと見過ごす所でした」
境内の説明板にもこう書いてありました。

 
また、拝殿の柱の礎石は、非常に珍しい蓮華模様が彫られており、これは朝闇寺(廃寺)より持ってきたものではないかといわれている。
この礎石は朝闇廃寺から持って来た可能性があるんですね。
全体の土台が石積みなので珍しいなとは思ったのですが、
教えて貰わなかったら気付かなかったです。

「神殿の右手に神木があったんですが、近年の台風で倒れたんです。
幸いに外に倒れたんですよ」
「それはよかったですね」
猪野天正皇大神宮では杉が神殿に倒れたのを思い出しました。
あの時の台風はすごかった。

別所神社(2)「皇居の辺」なる清浄の地_c0222861_1823093.jpg

(木立の向こうの切り株)

「昔は鬱蒼として涼しかったのですが、すっかり明るくなりました」
明るい境内からは想像つきません。

「昔は神幸が南の宮野幼稚園の所まで行われていましたよ。石があります」
地図を見ると真っ直ぐの道がついています。

神幸が行われるお旅所というのも大事な地点です。
幼稚園や小学校などは古代のイヤシロチに造られたケースがあるので、興味が引かれます。

そして宮の場所の話をしました。
「ここは橘広庭宮のそばにあるようなのですが」
「広庭宮ならありますよ」
「え?広庭宮が伝わっているのですか?」
「はい」
「どこですか」
「万徳寺の横の川を渡って左に曲がって一軒目を右に曲がってまっすぐ行った所です」
「あの川の向こうですか」
さっき道を探してアチコチ迷ったので、万徳寺の場所は分かっていました。
思いがけず目的の場所を聞くことが出来ました。
早速、予定を変更して現地に向かう事にしました。

そして、そこに思いがけないものを見たのです。
(つづく)




斉明天皇七年(661) 
5月9日 朝倉に遷幸。
5月11日 斉明帝、中大兄皇子 福成神社にて戦勝祈願。
○月○日 斉明帝、藤原鎌足に命じて宮野神社を創建する。
○月○日 中大兄皇子 天皇の病気平癒のために別所神社を創建する。
7月24日 崩御。68歳。
8月1日 遺骸を橘広庭宮から木の丸殿に移す。中大兄皇子は12日間服喪。御陵山。恵蘇八幡宮







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by lunabura | 2014-05-16 18:57 | (ハ行)神社 | Comments(0)

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