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マテラとアテラ


マテラとアテラ

麻氐良と阿氐良は星の名

「麻氐良」以外にも「阿氐良」という名前が真鍋大覚によって記録されていました。
どちらも星の名です。

Zvanos(ツワノス)を右方(まてら 麻氐良)星、あるいは一葉(ひとつば)星と言う。Polaris(ポラリス)を左方(あてら 阿氐良)星、あるいは大葉星と言う。なお北斗七星を駒場星という。(p84)
龍座のツバーンはかつての北極星で、ポラリスは現代の北極星でした。
このツバーンを右の星という意味で「麻氐良星」と呼び、
ポラリスを左の星を「阿氐良星」と呼んだそうです。

そうしたら、麻氐良山に対応する阿氐良山ってあるのかな?

麻氐良山(294.9m)は、斉明帝(655~661)の行宮、朝倉橘広庭宮の南東・巽(たつみ)の方向に聳える。縄文の昔は有明の網引がここまで寄せていた。

その時代は4234~4689年前のことであって、Zvanos(ツワノス)がエジブト民族と同じく北極の座を人民に示す存在として信仰を集めていた西暦紀元前2087・3年前の時代である。

筑前上座の佐田川をへだてて西北の方に宮地嶽(338・9米)が立つ、昔は左手等(あてら)山と言った。

天智帝(662~671)の頃はすでにZvanos(ツワノス)は北極の座から退いてPolaris(ポラリス)が居座った。これが麻氐良の神域の古木老樹を伐採して、その祟(たたり)が現れたと土地の古老は語る。(p84)


●麻氐良山は、斉明帝の行宮、朝倉橘広庭宮の南東・巽の方向に聳える。
言い換えれば広庭宮の場所は麻氐良の北西にあるということになります。
やはり前々回推測した辺り(石碑の近く)が該当します。
また、縄文時代には有明海がここまで湾入していて、波が打ち寄せていたようです。

●筑前上座の佐田川をへだてて西北の方に宮地嶽(338・9米)が立つ、昔は左手等(あてら)山と言った。
麻氐良がツバーンならポラリスは宮地嶽。宮地嶽は広庭宮の北にもありますが、
「佐田川をへだてて北西」とあります。
佐田川は寺内ダムから流れ出る川です。
神功皇后が羽白熊鷲と戦ったあと下って来た川です。

この川を挟んで左にあるのですから、阿志岐山(宮地岳)が該当します。
直線でも20キロ以上離れていますよ!

麻氐良山と阿志岐山を見て北の二つの星のイメージが持てる場所って何処になるんでしょうか。
地図を見ると、一目瞭然。

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高良山から耳納連山にかけてから見た景色と思われます。
何度もこのエリアは出てきますね。

肥前松浦名護屋の沖に馬渡島(まだら)(237・9米)と加唐島(かから)(123・4米)が相並ぶ。Zvanos(ツワノス)の別名を右陀星(まだら)、Polaris(ポラリス)の別名を嘉賀星(かがら)という。縄文の胡人は両星が大地の歳差によって所をかえる宿命を心得ていたのである。(p85)
唐津にある二つの島「マダラ」と「カカラ」もまたツバーンとポラリスの名だそうです。

やっぱり星の話は楽しいですね。





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by lunabura | 2014-05-24 22:19 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)
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