2014年 08月 11日
薄野神社(一ツ目神社)(3)鹿毛馬神籠石と比較した
薄野神社(一ツ目神社)(3)
鹿毛馬神籠石と比較した
「馬蹄形で囲まれた傾斜の緩い谷と二本の小川」
この一ツ目水源と同じキーワードを持つのが「鹿毛馬神籠石」。かけのうまこうごいし。
福岡県飯塚市にある神籠石だが、これを城と考えるのは無理だと思う。
桜もちさんも言われるように、こんな城を設計する軍師は敵方のまわし者だ。
では、何か。
その緩やかな傾斜に流れる水路の状況から、
葦を燃やして取りだす褐鉄鉱の選別の場所と私は想定した。
遠賀川に生える大量の葦を刈り取って、目の前の川を利用して運び込み、
奥の方で葦を燃やし、水を流しながら灰とスズ鉄に選別する作業場と推定。
想像はしても、一般人の私にそれを証明する方法はないだろうと思っていた。
が、熊本の山鹿市の薄野神社が天目一箇神(あめのまなこひとつ)を祀り、
その裏の水源の原で砂鉄を選別するために人工川が存在するのを知って、
両者が同じ構造だと証明できれば、鹿毛馬神籠石の鉄の選別所の証明につながると考えた。
神護石が囲む谷では「鉄穴(かんな)流し」が行われたいたのではないか。
ウィキぺディアで確認しておこう。
鉄穴流しによる砂鉄採集方法この砂鉄が褐鉄鉱に変わったのが鹿毛馬神籠石だと考えていた。
鉄穴流しは山中に含まれる山砂鉄を効率よく採集する方法として宝暦年間からおこなわれた。鉄穴流しは大きく分けて「採集」と「洗鉄」という2つのプロセスを経ることで砂鉄の純度を上げた後に収集する。
まず、適当な地質の山を選び、その付近に水路を引く。そして花崗岩などの風化した、砂鉄を多く含む岩石を切り崩し、引いておいた水路に切り崩した岩石を流し込む。砂鉄を多く含む岩石は水路を流れるうちに破砕され、土砂と砂鉄に分離し洗場に流される。洗場では、一時、砂溜りに破砕された岩石を堆積し、順次、大池、中池、乙池、洗樋と下流に流していく。
その際、各池では水を加えてかき混ぜ軽い土砂を比重の差で砂鉄と分ける。この方法を比重選鉱法という。このような比重選鉱法を用いながら下流へ破砕物を流し、砂鉄と土砂を分離し砂鉄純度を高めながら下流に流していくことで、最終的には80%以上の砂鉄純度になる。これが鉄穴流しのプロセスである。
これは過去記事。
鹿毛馬神籠石へ行ったよ(1)http://lunabura.exblog.jp/20837850/
鹿毛馬神籠石(2)http://lunabura.exblog.jp/20845194/
鹿毛馬神籠石(3)http://lunabura.exblog.jp/20855095/
ということで、鹿毛馬神籠石と一ツ目水源をグーグルの映像で比較してみようと思い立った。
まずは、鹿毛馬神籠石のおさらい。
谷を正面から見るために、南北軸を回転させている。
赤ラインで示した土手周辺に二本の暗渠が存在する。
神籠石は谷を囲んでいる意図が感じられる。
これは、グーグルから切り取った鹿毛馬神籠石の南北軸そのままの画像。
谷は西に向いている。
200mの基準線から、土手の辺りのはばは50m弱というのがわかる。
次は一ツ目水源と薄野神社を含む画像。
縮尺が分かるように、同じ200mの基準の大きさで切り取った。
一ツ目水源の池は中央より上の小さな方。
その右手の谷奥が草原あたり。直径100mに満たない敷地だ。
一ツ目水源の敷地と鹿毛馬神籠石の土手辺りを比較すると、両者はほぼ同じスケールだ。
一ツ目水源には鉄穴流しの作業場があるので、
同様の施設である鹿毛馬神籠石もまた鉄穴流しの作業場を囲んだ物といえよう。
神籠石の多くが川の側に立地しているのは葦の運搬のためだ。
川の葦を現場で処理する施設なのだ。
阿志岐神籠石などに建物の跡が見つからないのは当然だと思う。
城ではないのだから。
神籠石がすべて鉄穴流しの作業場だというのではないだろう。
一つずつ確認しないと結論は出せない。
が、少なくとも、九州王朝の城ではない。
九州王朝を支えた製鉄の施設だ。
両者の施設を比較してそんな結論が出た。
この鉄穴流しの技術は江戸時代に最高峰を迎えて途絶えた。
この技法の欠点は大量の土砂が下流域を汚染すること。
それを克服したのが、福津市の渡半島の「金山たたら精錬所跡」
http://lunabura.exblog.jp/16450288/
金山たたら製錬所跡 福岡県福津市津屋崎町渡
江戸中期以降・出雲よりたたら製鉄技術を導入
さて、この土砂による下流域の汚染で思い出す神話があった。
それは「アマテラスとスサノヲ」のお話。
(つづく)
いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村