2014年 09月 12日
(6)山惣・ピラミッドの正体は…(´・ω・`)
やまそう
ピラミッドの正体は…(´・ω・`)
この旅の目的は、壱岐真根子の遺体が重すぎて埋葬されたのが武雄市ということなので、
亡くなった場所はその付近にあるだろう。
そこには竹内宿禰がいただろう。
それが宿禰の居城ではないか。
そんな予想から、現地を確認する調査旅行でした。
壱岐真根子を埋葬したのは伏尸神社(ふしし)で、「伏尸」は「伏屍」の省略字です。
「死」の字が神社の名前にはふさわしくないので、省かれているのでしょうが、
「尸」だけでも、「しかばね」と読みます。
これは人が横たわっているのを上から見た象形文字なんですね。
古代は殯(もがり)をするのが基本なので、
遺体を壱岐まで運ぼうとしたという話さえも不自然な挙動です。
そして、資料には後世の人の解釈が混じってしまい、
調べれば調べるほど真実に近づくのが困難となりました。
解釈が資料ごとに違うのは、壱岐真根子が竹内宿禰の代わりに自害したという話が不自然で、
誰もが説明がつかないからだと思います。
ネットで検索すると、壱岐真根子は「横辺田(福母)」で死んだという話が出てきて、
それが大町町に所在していることが判明しました。
大町町に尋ねると、「大町町史」の資料をメールで送って来られました。
そこに、いきなり核心が書かれていたのです。
山惣(やまそう) 武内宿禰が居所を定めたところ。宿禰は度々ここに来て石崎大明神を祭ったといわれている。また、甘美(あまし)内(うちの)真手(すく)命(ね)にそしられて、追捕使に追われた時、壱岐の直(あだい)(真根子)が身代りになって自害した所。
竹内宿禰の居館が「山惣」という所にあった。
しかも、真根子が自害した所だと書いてある。
(ただし、もう一か所の伝承がありました。これは次回)
早速、ネットで地図を見ると、山惣あたりにピラミッドがある!!!?
いや、方墳?
発掘されて、木が切られて地面が露出している???
かなりテンションが上がったのですが、現地で仰天。(@_@;)
なんと、そこには鉄塔が立っていて、土台が方墳の形に削り取られていたのでありました。(><)
が~~~ん。
ね、ピラミッドか、方墳に見えるでしょ!
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