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ひもろぎ逍遥

(9)武雄の大楠



武雄の大楠


武雄市内の黒尾神社と淀姫神社が500mしか離れていない…。
歩いて数分だ…。

そう考えた時、それぞれの祭神・山下影媛と豊姫が姑・嫁の関係になることに
思いが至りました。

豊姫わずか22歳。
竹内宿禰の母の山下影媛がまだ健在だとしたら、二人が会った可能性があるんだ…。

何度も書いていますが、
竹内宿禰が最初から白髭の老人だった訳ではないんですね。

次の時代、応神天皇の時代に、弟の甘美内宿禰が竹内宿禰を陥れようとしたということは、
甘美内(うましうち)宿禰も年齢的に差がないのです。

甘美内宿禰は『古事記』の方では、叔父の代に当たるのですから、
実は竹内宿禰よりもっと年上だったのかも知れない。

こうなると、竹内宿禰を当時200歳とするなら、甘美内宿禰も200歳前後。
こんな歳で兄弟争いは、あり得ないでしょう。

ぎらぎらとした野望を持つなら壮年の時代の事件になります。

竹内宿禰が豊姫を娶った歳も40代頃だったのではないでしょうか。
そうすると、母も60代にはなっていなかったかも知れませんね。

こう考えていくと、山下影媛が老いながらも健在で武雄に住んでいたとすると、
竹内宿禰が神功皇后と豊姫の姉妹を武雄温泉に連れて行ったけれど、
豊姫が病に臥して動けなくなってしまったので、
母方に預けることにしたのかも知れません。

これが若き妻を守る一番良い手段です。

竹内宿禰はその前に杵島の大町町に出城を作っています。
松浦郡との交通の要衝を守るためです。

景行天皇の時には土蜘蛛・八十女と戦い、
神功皇后の時には大鷹小鷹と戦って、守り抜いた湊です。


そんな竹内宿禰が父の武雄心を祀ったのが御船山でした。
(武雄市史下巻p250)

古代、この麓まで有明海が湾入し、神奈備と称えられただろう御船山は
現在も何処からも見える神の山です。


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その右手の中腹に大楠がありました。


(9)武雄の大楠_c0222861_17372893.jpg

逢いたかった。


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その神々しさに、息をのみます。



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根元の左手に登山道路の階段が見えています。
今は使用されていないようすですね。



かつてはここから御船山に登って行ったのでしょう。
竹内宿禰もこの道を登ったかもしれませんね。


母の黒尾神社から歩いて一時間の所にありました。




(9)武雄の大楠_c0222861_17385148.jpg

竹内宿禰が、この山に武雄心を祀ったのには、
どんな噂があろうとも、父は武雄心だ。
そんな思いがあったのかも知れません。



武雄の大楠 武雄神社近く




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Commented by きよし at 2021-06-17 23:39 x
親の武雄心も、武内宿禰(名称)だと解釈して見ていくと、年齢や、↑の叔父だという事も、見えていくと思います。
誰か、武雄心と健緒組命が同一人物だと思う方はいないのでしょうか…?
誰か、閲覧者の方で武内宿禰は名称だと思う方はいないのでしょうか…?
by lunabura | 2014-09-29 17:43 | 真根子と竹内宿禰 | Comments(1)

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