ひもろぎ逍遥

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入り陽の贈り物 光の道


入り陽の贈り物

光の道


先日、第8回金印シンポジウムを聞きに行ったのですが、
講演者の一人、宮地嶽神社の浄見宮司が、当日10月18日は
夕陽が宮地嶽神社の元宮の正面の相島(あいのしま)に沈む日だと言われました。

10月18日。
思いがけない日付でした。
元宮は西を向いていて、相島にまっすぐ向かう参道が、いかにも日没ラインを思わせ、
くるま座さんが先年、野宿して確認しようとしたラインだったのです。

その時は春分・秋分ラインを想定したのですが、
あいにく曇ってしまって、収穫がなかったという経緯がありました。

だから、神社の方でその日付を眼目に置いてあったのを知って驚きました。
この日没の日から遷座祭へと流れていく大事な日だったのです。


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19日、太陽は左手から相島に向かって斜めに降りて行き、
島の向こうのもやに隠れて行きました。

秋分より一カ月後、そして春分より一カ月前。
年に二回太陽が相島に沈んでいきます。

参道が赤く照らされて、人々の影が長くなる頃、
相島からはこちらの本殿の金色の屋根が輝いて見えたことでしょう。

この正面に積石塚があるのです。
宮地嶽古墳の巨石も相島から運ばれました。

そこには玉依姫と豊玉姫が姉妹一緒に祀られています。
これは珍しいことです。
豊玉姫はそこで山幸彦と出会った。
安曇の人々に取って格別な島が相島です。

さて、神社の石段から100m先では、地面を1m掘れば砂地だということで、
古代は海がすぐそこまで迫り、
光の道が直接、島と元宮を繋ぐ光景が見られたことでしょう。

この日、隣に座り合わせた男性に、
正面の参道は昭和14年に造られたものだと教えていただきました。

かつては神輿は石段を降りるとすぐ左の路地を通り、川沿いに下っていったそうです。
ですから、参道を貫く入り陽は昭和以降の光景です。

男性との話題は宮地嶽古墳になりました。
「宮地嶽神社は徳善でしょう」
「いいえ。徳善は100年ほど時代が違います。
この古墳では磐井の孫の勝村・勝頼兄弟が1000年以上も祀られてきているのです」
と答えました。

神社に生まれた人は人生を祭祀に捧げます。
1500年も祀り続けている所に、ある日学者が来て、その墓は隣町の人の物だ、
と言われたらどんな気分がするでしょうか。

この頃はそんな話も伝えるようにしています。

私は決心していました。
来年からは磐井の末裔たちの話をする、と。
特に、八女の人たちには伝えたい。
磐井の末裔たちは戦いました。

筑紫君葛子は決して命乞いのために屯倉を差し出してはいない。
父の筑紫君磐井亡きあと、武装蜂起して戦ったのです。

『日本書紀』が捏造した歴史―ではない真実を伝えよう。

そんな思いで参拝しました。
そして願わくは、まずは宮司にお伝えしたい、と。

何と、その願いがかなって、願ったその日に宮司に会えました。
この日、竹のロウソクを自ら点火してあった所に通りかかったのです。

私は沢山話をしました。
磐井の子供たちのこと、そして葛子の子供たちのこと。
古墳で舞われた筑紫舞にはもう一人の目撃者がいたこと。
出土したガラス板は決して素材ではないこと。
そこにガラス板がある理由は百済王子を守った鞍橋君の活躍があったから。

そんなお話をしました。
会えたタイミング。
これこそが今日のタイトルの「入り陽の贈り物」だったのです。


安曇磯良の名は正史から消えてしまっています。
一方で、同時代に生きた竹内宿禰はあらゆる氏族のルーツに持ち上げられ、
系図が不自然な場所に書かれています。

これらを比較すると見えてくるものがありました。
ここに「倭」と「日本」の原点があったのです。

竹内宿禰。
安曇磯良。
そして神功皇后。

これらを理解すると、磐井から末裔たちの時代も見えてきました。

九州の真実の歴史の構築。
その基本的なテーマを押さえることが出来た5年間は不思議な日々でした。

もうすぐ、ブログ5周年になります。
まだまだ小学5年生。
あと二日で6年生です。

こんなキャリアの浅い私が歴史の本を何冊も出せるのも、不思議な事件です。

皆さんもいつも一緒に古代を逍遥してくださってありがとうございます。


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by lunabura | 2014-10-23 19:59 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(6)
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Commented at 2014-10-24 00:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ぱら at 2014-10-24 00:37 x
るなさんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

香灯明祈願祭行かれたのですか?神々の海道まつりと言うのですってね。私も先日 宮地嶽神社にて御遷座記念祭奉納の筑紫舞を拝見しに参りました。始まる迄は暴風雨警報のなかどうなる事かと空を仰いでおりましたが、古神舞の秋風の辞 秋風起こって白雲飛び、、、となる頃から風が強くなり一題終わる頃雨が止み 演舞台の水切りが始まり外での奉納となりました。降っては止みがくり返されるも最後まで外での奉納でした。雨風加えて寒さお装束や楽器も濡れご苦労は如何ばかりかと、、
終わって宮司さんのお話も聞くことができました。日本の神社の役割が認められ筑紫舞をご披露にアメリカに招かれたそうです。そして倭と日本にも少し触れておられました。
戦後この国の精神性の根本を恐れことごとく壊して行ったアメリカに認められると云う事かと思った次第でした。
22日はお山の古墳の方に入り陽があたる日だと教えてくださる人がいました。葬る方を祀るということの大切さを入り陽で顕す。自然と八百万の神と共にあるこの国のかたち
私たちの祖先が大切にしてきたものは何と誇らしいものなのかと思った秋の日でした。私にも贈り物をしてくださったようです。
Commented by nonkei7332 at 2014-10-24 09:24
LUNA さん こんにちは
秋の一日 みなさん それぞれが 古の民の魂に触れておられたんでしょうね
私も 「ここは中国?」と錯覚しそうになる 「天満宮」と「宝満宮」を 訪れていました。
六年生 ですか ? 走り続けて来られたんですね !
お疲れさまでした 。 そして ありがとうございました。
私は 一年生に成ったばかりですが とても 心強い です
これからも どんどん 走り続けてください
迷子にならないように ついて行きますからね!
Commented by lunabura at 2014-10-24 21:10
非公開さん、ありがとうございます。
思いがけない観点からのお話で、
そんな役割もあるんだなあと、自分なりに捉え直しています。
勇気百倍です。
といっても、すご~く地味な作業を続ける勇気なんですが(^_^;)
Commented by lunabura at 2014-10-24 21:14
ぱらさん、行かれたのですね。
私は今年は仕事と重なりました。
古墳にも陽が当たる日があるとは、初耳でした。
今度は見たいです。
「神々の海道まつり」というんですね。これも初耳です。
そう、あの参道、夢の中で海の精霊たちがぎっしりと並んで参拝するのを見たことを思い出しました。
海の精霊たちとはタコ入道とか、海藻びっしりっとか、妖怪と言われそうな神々でしたが ^^
Commented by lunabura at 2014-10-24 21:17
天満宮も、歴史的な学びをした後の姿はまた別の次元なんでしょうね。
走りっぱなしでは何ですので、今振り返りの時期を迎えています。
列伝とか、皆さんにお伝えすることは準備が大変ですが、やりがいがあります。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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