2014年 11月 08日
「蔵司」現地説明会
「蔵司」現地説明会
くらつかさ
2014年10月25日、大宰府跡・蔵司地区の現地説明会に行きました。
正面の森の中に大型建物跡が見つかっています。
写真の中央左手に見える生垣は当時の塀の位置を示すために造られています。
さらに、説明板の奥にもう一つの土手があり、蔵司は二重の塀で守られていたことが分かります。
右手は大宰府政庁です。蔵司と政庁は隣接しています。
前回、ここで焼けた矢じりなどが見つかった件を報告しましたが、
その時はこの森の中は立ち入り禁止だったので、ようやく入れる機会を得て、ワクワクです。
太宰府政庁跡 速報・出土した大量の鉄器を見て来ました
ここは最強の風水地だよ~。
http://lunabura.exblog.jp/15569107/
少し早く着いたので、人が少ない間に撮影することができました。
丘陵地帯の一番高い所のようです。そこが広々と整地されています。
いきなり柱座(はしらざ)を持つ礎石。円形の柱座は二センチほどの高さです。
江戸時代には133個あったことが確認されています。
礎石の下には根石(ねいし)が嵌め込まれています。
南北に5石×東西に10石あり、南北4間×東西9間の建物となります。
周囲には溝が掘られて、瓦が沢山落下している状態です。
その瓦かなどから、8世紀前半~中頃の建物と考えられています。
これは法隆寺伝法堂。このような建物が建っていたと推定されました。
説明の人の後ろに四角と丸の穴。
これは上記の建物の下にあった掘立柱建物の跡だそうです。
掘立柱の大きさは直径50センチもありました。
この穴からは焼けた鉄類は出ていないのですが、
その上の土から焼けた鉄類が出ています。
瓦の推定時期は老司二式?(8世紀瓦葺き?)(よく聞き取れなかった)
大宰府の一期頃の建物で七世紀後半~八世紀初頭に遡る可能性が高いそうです。
まずは掘立柱建物が造られて、少しずれた所に基壇を作って
二面廂構造の瓦葺き建物(法隆寺伝法堂のスタイル)が建てられたもよう。
焼けた鉄の矢尻などはまだ束ねられた状態で、そこら全体から出土していますが、
建物の下からは出土していないそうです。
ですから、蔵司の建物には武器を置かれず、
その南辺りに武器庫があった可能性があるようです。
説明の人が立っている場所は建物がある所。
奥の大木の後ろあたりから焼けた鉄の矢じりなどが見つかっています。
丘陵をぐるりと回って裏側から撮影しました。古代に自然の地形を整地しているそうです。
このポイントはそれがよく分かりますね。森の向こうは大宰府政庁です^^
現地説明会は面白いですね。
この日はさらに近辺を逍遥しました。
地図 蔵司
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