ひもろぎ逍遥

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やがて土蜘蛛は大和に東遷した。


やがて土蜘蛛は大和に東遷した

今日は真鍋の本から「筑紫と土蜘蛛」について。

土蜘蛛
(1)筑紫は土蜘蛛の故郷である。やがて土蜘蛛は大和に東遷した。 

(2)「つくみ」とは「つくどり」即ち夜の間も眼光炯炯(けいけい)として目を輝かす梟や木菟(みみづく)の類をいう。元来地中海のEtruria(エトルリア)人の子孫であり、後にはTroia(トロヤ)人 Phoenicia(フェニキア)人、更には Persia(ペルシア)人などの総称たる土蜘蛛であった。金工の術に長じたところの西域出身の異邦人であった。「つくみ」とは鉄を熔かす爐(ろ)の火口(ほくち)の形容であった。仕事が終るまで昼夜の別なく、赤く燃え熾(さか)る炎の中味を覗く窓であった。

筑紫にはかなり昔から異邦人たちが住んでいた。
真鍋の本にはあちこちに、こんな感じで、さらりと名前が出てきます。

これを公開セミナーで解説するにはまだ力不足ですが、
当日、皆さんの研究用として上の文は資料に出しておきます。

これを見て、思い出して独り笑いしたのは、昨年のF教授の話。
日本人のルーツを調査するのに、何故か、九州は「はずす」んですって。\(◎o◎)/!

どうやらその理由が、九州人は他と違うって。
それがピンとこなかったのですが、このあとの質問が盛り上がりました!

そんなことを思い出したんですね。

九州人は土蜘蛛の血が濃い?

土蜘蛛で思い出すのは田油津姫。
神功皇后に滅ぼされた姫。

やはり手足が長い人種で、金工の術にすぐれていた。
田油津姫と夏羽と神夏磯媛は土蜘蛛ということになるのですが、
景行、仲哀、神功と、代々攻められてばかりです。

羽白熊鷲もエトルリア人だと推測したのですが、(金星のところで)
景行天皇もまた金工の術にすぐれていた氏族だと書いてありました。

何だか、内輪もめみたいだな…と感じていたのですが、
ガイドブックではさらりと匂わせる程度にしています。

(1)筑紫は土蜘蛛の故郷である。やがて土蜘蛛は大和に東遷した。

これみて、あ~あ、やっぱり、そうなんだと思いました。
これって、神武天皇のことですよね。
そうそう、他にも氏族たちがいた。

地中海のEtruria(エトルリア)人 … 羽白熊鷲・田油津姫
Troia(トロヤ)人 … 豊人
Phoenicia(フェニキア)人 … 道真(菅原氏)
Persia(ペルシア)人 … 現人(あらひと) 住吉
木菟(みみづく) … 平群氏… 月氏ササン
以上は当ブログで、推測した人たちです。

筑紫は土蜘蛛たちがそれぞれ集落を作っていて、その一部が東遷した。
残った人たちも異邦人すなわち土蜘蛛ばかり。
だから、九州は日本人のルーツ調査のターゲットからはずされる?

縄文人か弥生人か、頭蓋骨の角度を調べて「入れ歯」を作られるO先生。
九州には第三の人種があって、中東の角度を使ってあげないといけない人があるとか。
これ、土蜘蛛ってこと…になる?

あは、今日はワイン飲んでます~

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北部九州

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by lunabura | 2014-11-16 22:29 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(16)
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Commented at 2014-11-17 00:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by くじら at 2014-11-17 00:57 x
真鍋氏が伝える古伝からは、いつも清冽なインスピレーションを頂いています。土蜘蛛伝承は、わたしの理解の範囲内では、玖珠、津江、天ヶ瀬、女山、小城に色濃く息づいていると感じています。恐らく彼らは、坑道を掘り、鉱物資源を採掘する技を持つ集団だったのでしょう。狭い坑道を這って進退する姿が、蜘蛛そっくりだったのではないかと思われます。
神武の一党が熊野から奈良盆地へ侵入する際に、土蜘蛛を退治、または、味方につけたりしているところからすると、それ以前にすでにそこで鉱物資源採取を行なっていたことになります。恐らく饒速日命を頭に抱く物部氏が引き連れていったか、さらに古い時代の出雲勢力が、土蜘蛛衆を支配していたのかもしれません。出雲族に遅れをとった大和族が、支配権を争奪する戦いが、古代の戦いの一面を表しているような気がしてなりません。

Commented by lunabura at 2014-11-17 21:39
非公開さん、こんばんは。
バラバラに書いていたものをまとめると、別次元になりますね。
イソラエビスの話、それを聞いて何が起こったのが分かる気がしてきました。
また、山幸海幸の話、なるほどと思いました。
公開したいくらいです^^
Commented by lunabura at 2014-11-17 21:44
くじらさん、具体的な話をシェアしてくださってありがとうございます。
な、なんと、真鍋、
葛城氏と同じ出に巨勢(こせ)氏があった。大陸では箕子(きし)、或は姑蘇(こそ)と記された家系に結ばれると説かれており、倭人伝の躬臣即ち今の千年川の南の嶺の奥ふかく出る鉱脈を掌握していた一族があった。(略)「くせ」とは久世(くぜ)、即ち巨勢氏の所領の古名で、筑後国がほぼこれにあたる。
と具体的に書いていますよ!
くじらさんの調査と符合します!
Commented by furutsuki at 2014-11-26 02:09 x
久世=巨勢 なんですか。目から鱗です。 京都にも久世があります。京都八坂神社の祇園祭の久世駒形稚児を出す綾戸國中神社というのが久世にありまして、山城(京都盆地)の排水はここから始まったという内容の社伝があります。戦国以前から久世郷全体の郷社だったようです。その國中神社の元宮が上久世の蔵王の杜(光福寺蔵王堂)でした。山城(京都盆地)附近一帯が湖水に覆われていたころ、素盞嗚尊が天降って水を切り流したと伝わっています。蔵王堂のわきに「たかはね井」という用水が流れていて、そこが乙訓郡ならびに山城国(京都)の排水干拓を始めた起点だそうです。すぐ南に弥生時代の鶏冠井遺跡があります。名前に「たかはね」が入っていることや「蔵王」であることが気になっていました。また、神主さんに訊いたところによると、京都盆地の排水にあたり、のちに大国主社も勧進して治水工事したそうです。巨勢氏といえば、初代の蔵人頭が巨勢氏でしたね。なんで蔵人と呼ばれていたのかも気になっています。
Commented by lunabura at 2014-11-30 23:51
furutsukiさん、こんばんは。
筑後国すなわち躬臣国を巨勢氏が所領して、
そこに国栖(葛生)の人たちが舟を操り、磯城(石で作った湊)を作っていたようです。
国栖は水の管理に長けていて、塩田も作っていたそうです。
少彦名が先祖だろう、と言われていたので、大国社があるのはうなずけます。
まだまだ理解に欠けていますが、こんな感じです。
Commented by furutsuki at 2014-12-03 23:28 x
関係しそうな話を書き足します。 
上久世蔵王から南へ1kmの中久世に嚴嶌神社があります。
また、蔵王堂には鳥居があり、蔵王権現を祀っています。
蔵王権現は、修験道の本尊で、釈迦如来、千手観音、
弥勒菩薩の三尊の合体したものとされています。
神仏習合では、大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊、
金山毘古命等とみなされるそうです。
上久世から桂川(かつらがわ)を挟んで対岸北側の嵯峨野
までの縦に長い一帯が葛野(かどの)と呼ばれています。
葛城鴨氏が最初拓いたので葛野というと伝わります。
Commented by lunabura at 2014-12-04 22:37
聞けば聞くほど、葛の人たちの活躍の場だなと思われます。
現地調査をしてみたいなあ。
Commented by furutsuki at 2014-12-05 01:15 x
葛野で、剣鉾が巡行する嵯峨祭として知られる愛宕神社と野宮(ののみや)神社の神幸祭を見て驚きました。愛宕神社の神紋は「鷹羽」で、野宮のは八尋の剣神社で見たことがあるのとほほ゛同じ「八剣紋」でした。野宮は、斎宮が潔斎する宮でした。 また、昔は野宮と一緒に秋祭りをしていたという阿刀神社は、昧饒田命を祀っています。
Commented by lunabura at 2014-12-05 23:10
鷹羽とは!
驚く話ばかりですね。
Commented by furutsuki at 2014-12-21 15:57 x
久世周辺の山背には、他の氏族も同時期に入ったようです。久世より西北西へ5kmの洛西の大枝が、土師氏が入ったところで、土師氏は桓武天皇に姓を与えられ大枝氏(のち大江氏)となり、同族から菅原氏、秋篠氏が分かれていきます。また,久世より桂川を下って木津川合流地点にいたりますが、木津川流域には息長氏(和邇氏)の荘園があったようです。のちの菅原氏、秋篠氏の呼び名のもとになった字(あざ)は、木津川沿いの京都と奈良の境にある高の原(古名 高野)の神功皇后陵古墳の周辺に菅原伏見、秋篠としてあります。高野は桓武天皇の母の里でもあります。
Commented by lunabura at 2014-12-21 21:23
古代豪族の里がかなり具体的に残っているんですね。
対応させられたら、新たな世界が見えてきそうです。
いつもありがとうございます。
Commented by furutsuki at 2014-12-21 23:32 x
そうですね。学校で歴史の時間に奈良の飛鳥での豪族の配置は習いましたが、山城の豪族配置の伝承や遺跡もいろいろと残っているのでした。高の原周辺には、佐保、登美、中山の地名もあります。この辺りが、長髄彦の本拠で、また日子坐王の子 佐保媛・佐保彦の地元でもあったようで、なかなか濃いところです。ところで、虚空津比売命(そらつひめのみこと)は豊姫ですか?それとも別の方でしょうか?
Commented by lunabura at 2014-12-22 22:49
豊姫と虚空津姫ですね。
同一人物かどうか、いまだに決定打がありません。
印象としては、同一人物の感じがします。
Commented by furutsuki at 2015-03-22 20:39 x
近況です。 昧饒田命(うましにぎたのみこと)を祀っている京都嵯峨野の阿刀神社のお守りをいただきました。 お守りについてた神紋が、鞍手町新分(にのぶ,古くは「にいきた」と読んだそう)の劔神社、宮若市磯光の天照神社(てんしょうじんじゃ)の神紋と同じでした。
『新撰姓氏録』の山城(神別・天神)には 熊野連〔饒速日命孫味饒田命之後也〕とあるので、同じで当たり前なのかもしれませんが・・・新鮮な驚きでした。
Commented by lunabura at 2015-03-22 23:58
hurutsukiさん、こんばんは。
いつも異なる方面からの資料をありがとうございます。
よかったら、直接お話を聞きたいのですが、御都合は如何でしょうか。
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