2014年 11月 18日
志賀島歴史講座 日程変更のお知らせ
志賀島歴史講座 日程変更のお知らせ
12月14日に予定していた志賀島での歴史講座、
「安曇磯良と神功皇后」の日程が変更になりました。
会場の志賀公民館が選挙会場になったためです。
話し合って、会場が空いている1月11日(日)に延期しました。
歴史講座の時間は1:30から。
これは変更なしです。
予定を組んでいた方、よろしくお願いします。
お友達にも伝えてください。
1月11日は志賀海神社で歩射祭があります。
これは午前中なので、合わせてご覧になれればと思っています。
お昼ごはんは、地元の海鮮料理などが食べられるように、
お店を紹介していただく予定です。
お正月の志賀海神社。
想像するだけでも、すがすがしさが伝わってきます。
さて、この一週間、
志賀海神社に縁が出来た方からメールをいただいたりしています。
海神(わだつみのかみ)に会った方。
この方はナマズの神にも会われたとか。
海亀が現れた方もあります。
対馬で磯良の思いを聞いた方も。
やはり、志賀島は日本の歴史の始まりの地として、
もっと深く掘り下げ、人々に知らせる時が来ているのでしょうね。
真鍋大覚はアヅミのことも、あちこちに書いています。
アズマ人もアヅミから来ている。
安土(アズチ)もアヅミから。
年内は「ありなれ川」を押さえることになりますが、
来年は、前回の記事のような、渡来人たちの出自にもチャレンジしたいです。
その流れの中に安曇族もまた、あるのですから。
志賀海神社からの眺め
あの砂の道を通って島に来たんですね!
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地図などで見ると、僅かなぶれはありますがインドラさんが仰るとおり、四つの地点は並んでいました。現代の暦で言う冬至の日出方位とはずれますが、冬至の日に、ある地点と太陽が顔を出した地点を結べば、それはその場所の「冬至の日出ライン」ですね。
志賀海神社から目標としたのが宝満山山頂なのか、その北東約400mの三角点があるもう少し高い頂なのか、ちょっと迷うのですが、肉眼で見る朝日の見かけの大きさと山頂、稜線との関係は、実際に志賀海神社から見ないとわかりませんね。でも稜線から出る太陽はもう眩しくて見られないかも。
古代人はどうやって至点分点を知ったのでしょうか。何百年も観察を続けた結果なのか、宇宙のリズムの僅かな変動を感知するシャーマンがいたのか、個人的には観察・シャーマン併用説です(ますます不明)。
同じ地域で少なくとも4つの神社が冬至に関わると思われる同一線上に並んで、いずれも祭神が同じというのは古代祭祀と太陽の関係、それに関わった古代部族を考える上で重要な要素のひとつになるのではないかと思います。
漁師さんは漁礁を見分けるのに遠くの山と近くの岩を結んだ線が重なる等を用いておられます。
海神族にはそんな技術があったのだろうと思います。 この神社の山ほめも気になっています。
志賀海神社の元宮は勝馬で、宝満山のイワクラの位置は変わらない等を考えると神社が出来た順番もなんとなく予想されます。 貝原益軒の筑前国続風土記にハコザキ宮の遷宮についてふれていますが、これも面白く感じます。
「志賀海神社 冬至の日の出ライン」
http://lunabura.exblog.jp/23144612/
ありがとうございました (^。^)
1月11日の歴史講座はどなたも自由に参加できます。
予約なしでお越しください。
ただ、スリッパが足りないので、寒くないようにスリッパを持参されたらよいかと思います。
お待ちしています。^^