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5 筑前国分寺と天満宮


5 筑前国分寺と天満宮


御笠団印出土地から来た道に少し戻り、坂を上っていくと文化ふれあい館に出ました。
館内には御笠団印と遠賀団印のレプリカが並んでいましたが、
撮影禁止なので外の七重の塔だけ御紹介。


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これがこれから向かう国分寺に立っていた塔の十分の一のレプリカです。


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国分寺を目指して坂を下りて行き、開けた所出ると寺跡がありました。



現地説明板より。
国分寺は、奈良時代の中頃、諸国に置かれた官寺で僧寺と尼寺があった。
当時は天然痘の流行や内乱などの社会不安が続いたため、平安を願うべく、聖武天皇は諸国に国分二寺の建立を命じた。世に言う「天平十三年の詔(みことのり)」(741年)で、筑前国分寺は、大宰府政庁西北の見晴らしの良いこの丘陵上に建てられた。しかしその創建についての記録は残っていない。ただ、西海道の国分寺が天平勝宝8年(756)には建てられていた記録があるので、筑前国の国分寺もこの頃までには完成していたと考えられる。

創建当時の筑前国分寺は約192m四方の寺域に金堂・七重塔・講堂などの建物が整然と配置されていたが、律令体制の衰退とともに国分寺の役割も失われていき、っ建物も荒廃していった。
 発掘調査の結果、当時の講堂や塔・回廊の一部が確認され、その構造と規模が判明した。調査後は整備が施され、塔基壇や回廊の基礎部分が平面的に表示されている。

創建の記録がなく、その跡が残されて実態が掴めたという寺院遺跡です。
構造は航空写真の方が分かりますね。




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南の方から遺跡と山を一緒に撮りました。
ピークが大城山でしょうか?大野山、四王寺山とも言います。
(ということでOKでしょうか。異称が多いですね)
チェリーさんは「しおじやま」と言っていたとも。
真鍋は「潮路見山」(しおじみやま)といって、水城の潮の満ち引きを観測していたと言います。



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撮影地点からさらに南に行くと、天満宮がありました。


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敷地計画として、国分寺とセットなのかな、と思われるほど近かったです。



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その境内に万葉歌碑が。


大野山 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯の風に 霧立ちわたる
                山上憶良
(おおのやま きりたちわたる わがなげく おきそのかぜに きりたちわたる)
万葉集巻五 七九九

大意 大野山に霧が立ち渡っている。私が無き妻を想って吐く、深い深いため息で、一面に霧が立ちわたっている。

大宰帥として赴任した大伴旅人は、着任後間もなく愛妻大伴郎女を亡くす。当時筑前守としてこの地にあった山上憶良は、神亀五年(728)七月二十一日、長歌に五首の反歌をつけ、「日本挽歌一首」として旅人に奉った。その反歌の最後に詠まれたもの。背後の大野山(四王寺山)にはよく霧が立ち、旅人の嘆きを現在に伝えている。

大宰府政庁裏の坂本八幡宮近くに旅人の邸がありました。
そこからここまで歩いてくると、写真のように大野山がよく見えます。

異郷の地で妻を亡くした旅人像はリンクしている「磯良の海」さんが切々と描いてあります。

私はそれを読んで、初めて旅人という人物を心に描くことが出来たのですが、
宇佐に行って知った、隼人を滅ぼした旅人像とギャップが大き過ぎて、
とまどうばかりです。


さて、この日、私たちは木簡が出土した松本遺跡の現地に向かいました。
案内してくれたタクさんが行ったことがあるとのことで、
地図を見ながら案内してくれたのですが、どうしても分かりませんでした。

その日はあきらめて蔵司に戻りました。

そこで学芸員さんにバッタリ会ったので尋ねてみると、
マンションが建っていて、遺跡を示す案内板もないので分からないだろうとのこと。
(´・ω・`)
全国版で賑わったあの遺跡の場所も忘れられてしまうのでしょうか?

残念な思いで、水城へと向かいました。

追記
アクアさんからの情報で、国分松本遺跡の現地説明板が立ったそうです。
見てきますね!



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by lunabura | 2014-12-11 22:55 | 太宰府政庁跡・水城周辺 | Trackback | Comments(14)
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Commented by チェリー at 2014-12-13 21:12 x
しおじ山には、30年も前ですが、すごく見晴らしの良い登山道があって、ずっと登る間さえぎるものがなかったです。今は樹木でおおわれているようです。見所がたくさんあって、百間石垣なんて、あんな巨大なものだとは、驚いた覚えがあります。帰りは天満宮の商店街に降りて…いいですねぇ。
写真のピークは最高点の毘沙門堂のあるピークではありませんが(隠れて見えないです)、水城につながる尾根の一部ですね。この尾根にも道があったはずですけど…

ここが海だったなんて、すごい話ですねぇ。lunaさんは、本当に大きな世界を相手にしているんだなぁ…と、過去に書かれた記事を読み始めているのですが、たまたま「まてらふ神社」を見ました。
これが私の性(さが)なのか、調べてみると、何と、ここは「仏頂山(元宝満)」から正確に東南だったのです!神社の位置が確実でなかったので、麻底良山の三角点まで134.96°で、正確な東南との誤差は18mと出ました。これはいいです!境内神社とのつながりも少し説明できるかもしれません。

Commented by lunabura at 2014-12-13 21:49
それでは ニセ頂上なのですね。
山の形は地図と比べてもよく分からない人間です。 (´・ω・`)

麻氐良山の裏手に磐座がある話を聞いたばかりです。
ここは何とも意味深い山ですよね。
麻氐良は右。阿氐良は左。阿氐良は宮地岳(阿志岐)です。
高良山の真北ラインに乗っているという話です。
頂上はずれているので、そこに磐座があるのではと予想しています。
これも一緒に調べていただけたらいいな。
楽しみにしています。
Commented by チェリー at 2014-12-14 01:05 x
ニセ頂上と言っちゃうと身も蓋もないというか、水城につながる大事な尾根のピークのひとつなんですが…まあ、ニセ頂上ですね。山の特定は、本当に難しいです。

麻底良山と高良山の北とは、方向違いになっちゃうので、別の山ではないでしょうか?それとも、他の方角かも?
ちなみに、英彦山から240°の方向に高良大社が位置するのですが、そのラインとも違うようです。とても興味のあるお話なので、また、教えてくださいね!

また長くなっちゃうんで恐縮なんですが、宮地岳って筑紫野市の宮地岳ですよね!この山にも聖山の要素があるんですね!
筥崎宮・四王寺山最高点の毘沙門堂・太宰府天満宮をつなぐラインを重要視しているんですが、これが宮地岳の頂上まで伸びるんです。
太宰府天満宮にこだわるのは、ここが宇佐神宮の真西になるからなんです。ここを屈折点として宇佐神宮と筥崎宮がつながると考えています。
そして、不思議なことに、宮地岳の頂上から真東に大元神社が位置するのですが、宮地岳が信仰されたという形跡がほとんど見つけられなくて…

まだまだlunaさんの記事を拝見させていただこうと、楽しみに思っています。
Commented by lunabura at 2014-12-15 00:04
あ、表現がまずかったですね。
高良大社の真北に筑紫野市の宮地岳が位置するということです。
かつては高良大社は北向きに社殿が建っていたそうです。
「宮地の星」というのは北極星のことで、その「宮地」がついている宮地岳の南を探したら高良大社があったのです。

ですから、高良大社から北に宮地岳が見え、その上に北極星が輝いていたという話になります。

ついでに、宮地岳を阿氐良山と言ったということは、左の山という意味になります。阿氐良(あてら)の星という星があり、それはポラリスを指しています。今の北極星もポラリスです。
麻氐良星はツバーンのことです。3000年前の北極星です。
Commented by チェリー at 2014-12-16 23:17 x
宮地岳には徐福伝説の童男丱女岩(どうなんかんにょいわ)がありましたね。船繋石とも呼ばれるそうです。lunaさんが磐座というのは、ここのことかな?
宮地岳の頂上から1km南西方向の標高160m付近です。西方寺というお寺の400m位東方向ですね。yahooの航空写真で樹木のないところがもやもやっと見えると思います。どれが岩かは、はっきりしませんが…

ここから真南は高良大社の400m程西になります。高良山から尾根続きの「吉見岳」というピーク付近が真南です。

童男丱女岩から高良大社まで179°です。これを真南と言うかどうかですが、一般的には言っていいんじゃないかなぁ。
そして、宮地岳と高良山とは南北関係にあると言っていいと思います。(仏頂山から奥の院まで179.93°というのもお勧めですけど)

また、長くなるけどいいですか?
吉見岳の頂上に「琴平神社」があって、ここからアテラ(宮地岳)とマテラ(麻底良山)は、二等辺三角形になります。アテラが宝満川が平野に出るところ、マテラが筑後川が平野に出るところ、そして、この高良山周辺が川が合うところになります。とても感動的です!

でも、私にはアテラとマテラをつなぐ直線だけで十分です。それは、ライン上に「大己貴神社」を見つけたからです。しかもここは「竈戸神社」と北西・南東の関係にありました。誤差は0.03°です。このラインは強力だと思います。

アテラ(宮地岳)は「聖山」でした。太宰府天満宮も筥崎宮も、アテラと四王寺山を基準のひとつとしていると思います(北西・東南のライン)。筥崎宮は、仏頂山をもうひとつの基準としています(120°・300°のライン)。これで位置は決まります。

よって、三雲南小路遺跡は、筥崎宮から導かれた位置に造られたと思います(高祖山へのライン)。筥崎宮が先にあった…その起源が遡ると思います。

といったことを、ブログにまとめますね!少し後になりますけど…
Commented by lunabura at 2014-12-17 21:05
チェリーさん、それそれ。高良大社から宮地岳のピークが微妙にずれるので、童男丱女岩を引照点にしていないかなと想像したのです。吉見岳は天武帝7年に筑紫大地震で山全体が崩落しているので、ピークがずれ込んでいると思います。(高良大社9高良山神籠石をみてください)
高良大社ー宮地岳ー宝満山の南北ラインが注目されているのですが、少しずれがあるので、気になっているところです。チェリーさんの見解でのラインが知りたいです。

アテラ山とマテラ山が琴平社から二等辺三角形を描くとはすごいですね。あと、久留米市北野の赤司八幡神社からもラインが出ていないか気になっているところです。

ブログ、大変でしょうが、楽しみにしています。
Commented by チェリー at 2014-12-23 02:08 x
あくまでも素人が趣味で調べているお話ですので、その範囲でのことなのですが…
山と山をつなぐ場合、まずは頂上と頂上を直接直線で結ぶ場合があります。アテラとマテラをつないでその線上に大己貴神社を構える例です。
もうひとつは、片方の山頂から方位をとって、相手の山中にポイントを置く場合があります。例えば、伊勢の「朝熊山(あさまやま)」の頂上近くに「金剛證寺」があります。ここから富士山剣ヶ峰までは60°です。誤差のないピンポイントです。これで朝熊山に富士山が加えられたと解釈するようです。そして今度は、朝熊山山頂から発するラインに富士山がいっしょになっている、ということになるようです。
三重県多気郡明和町の斎宮にある「斎王の森」から朝熊山山頂へは120°です。斎王の森に富士山を引っ張ってきているのだと考えています。

同じような考え方から、仏頂山(元宝満)から真南に高良大社の奥の院があります。この「祈るポイント」によって、高良山と仏頂山がつながっていると考えることが可能です。仏頂山は可也山と同じく、灯台のようにラインを発信している山なので、その可能性が強いです。(私が住んでいる地域では、伊吹山や御獄がそうです)

ポイントになる「祈る場所」は、とても正確な方位角で測量されていると思います。私は±0.25°までをOKとしていますが、もっと狭いかも知れない。どうも、とても小さな範囲でしか有効でないようなのです。
ですから、アテラと高良山のつながりを考えるには、正確なポイントが欲しいです。それを見つけたいところですねぇ。

四王寺山とアテラとのつながりはOKだと思います。山頂同士が東南・南西の正確なラインになるという、まれな例だと思います。このラインによって筥崎宮と太宰府天満宮の位置が定められたと考えています。

というのが、私が追っかけている「妄想」みたいなものです。
でも、「宮地」が北の方角を意味するのであれば、やっぱ、南北ラインを探したいですね…




Commented by チェリー at 2014-12-23 17:40 x
わおぅ!そういうことじゃなくて、高良大社-宮地岳-宝満山をつないだ場合のラインがどうかということでしたね!これは一直線ですね。ずれもないです。単純に宝満山と宮地岳をつないだ直線の場合と考えてよさそうです。
lunaさんが、「少しずれがある」と言うのは、このラインの方向が真北とずれてるという意味ですね?時計回りで0.62°ですね。
このラインが南北方向にとても近いことをどう考えたらいいか。自然の地形の頂点をふたつ結ぶのですから、正確な方位を取らない方が普通です。でも、できるだけ宝満山の真南に近いピークを探してこの山を特別の山としたということかもしれません。そういった例もたくさんあります。あの三輪山でさえそうだと考えています。
でも、南北関係を重視して高良山までラインを延長するのであれば、高良山に正確なポイントをとると思います。高良大社の位置は、あくまで自然地形の宝満山山頂と宮地岳山頂をつないだポイントの可能性が高いと思います。

でも、星の位置を特定するとしたら、どのタイミングなんでしょうか?北極星(ポラリス)も、天の北極の周りを回っていますよね。最も東側に位置するときは、0.73°になりますよね。この時、高良大社から宮地岳と宝満山のほとんど真上になるはずです。だから、南北線を意識したのではなく、あるタイミングのポラリスを意識したラインだと言えるのかもしれません。

皆さん、いつもいつも長文の訳のわからないコメントを載せてしまって、ごめんなさい!!
Commented by lunabura at 2014-12-23 19:26
一定の角度を祭祀線として気脈を引くような測量技術の一族がいて、その人たちがのちに前方後円墳をデザインするようになったと、聖三角形の著者は言ってましたね。前方後円墳も今では考古学関係の方によって単純な左右対称形に書き換えられてしまっていますが、左右は不揃いというのが本来の姿のようです。
アテラは天山(あまやま)・阿志岐山という名も持っているので、宮地岳という名がついたのはポラリスが北極星になったのちの命名と考えることもできますね。
ちなみに阿志岐(あしき)は大宰府直轄の船を操る人ということで、同じ名前が各地にあるようです。
南北ラインの測定、ありがとうございます^^
Commented by チェリー at 2014-12-25 00:54 x
赤司八幡神社の測定結果です。
私自身はよかったのですが、私以外の方は、なんじゃこの結果はという…

①二至二分の日の出・日の入り
 意味のありそうな場所にヒットしませんでした。

②山当て
 滅多にやらないのですが、アテラとマテラがあるので。二つの山を見たときの、間の角度を測ったのですが、意味のある角度にはなりませんでした。

③ショートレンジ
 平野部とその淵の山くらいの範囲です。豊姫神社と赤司八幡神社と良積石が一直線になるようですが、どうなのでしょう?よくわからないです。やはり、近距離のことは、地元の方じゃないとよくわからないんじゃないかなぁ…私も地元の多治見市をいろいろ調べたのですが、こればっかしは、住んでないとわからないだろうなぁ…と思いました。

④ロングレンジ
 福岡市西区の愛宕神社から南東の位置になります。
 愛宕神社から赤司八幡神社まで 135.04°(距離 35.808km)南東との誤差は 0.04°(約 25m)です。
 普通、なんじゃこれは、と思いますよね…
 でも、愛宕神社には他に実績があって、愛宕神社から真東に進むと、鴻臚館南館のすぐ南側を通って、住吉神社の境内を通って、大分八幡宮の北側の岡の頂上に至るのです。仲哀天皇御陵と言われるところの岡ですね。
 愛宕神社から仲哀天皇御陵?まで 89.98°(距離 26.969km) 真東との誤差 0.02°(約 9m)です。

 またしても、北西・南東方向のラインです。うーん、これはすごい!と思うのは、私だけだと思います…


 

 
Commented by チェリー at 2014-12-25 00:56 x
すごく長くなって、ごめんなさい。つづきです。

⑤山からのライン
 これを一番よく調べているのですが、佐賀県唐津市にある作礼山から真東になりました。(ただし、見えません)
 作礼山(西峰)から赤司八幡神社まで 89.86°(距離 50.335km)真東との誤差 0.14°(約 123m)です。
 作礼山は標高887m。山岳信仰の霊山です。頂上直下に自然湧水の大きな池が三つあります。とても珍しいことです。
 すぐ隣にほとんど同じ標高の権現山(東峰)があって、頂上に作礼神社上宮が鎮座します。宗像三女神が祀られているようです。本当は、こちらからのラインの方がいいのかもしれませんが、89.77°と甘くなってしまいますねぇ…宗像三女神は、この三つの池と関係しているのかもしれません。

 作礼山からのラインもどうかと思われるかもしれませんが、この山にも実績がありました。
 作礼山から宇美八幡宮本殿まで、59.99°(距離47.507km)60°との誤差0.01°(約 8m)です。
 私的には、このラインが一番収穫でした(お互いが見えないのですけど)。今まで宇美八幡宮の一番大切なところは上宮だと思っていたのですが、そうではなくて、本殿と上宮は別々に考えた方がいいのかもしれないと思いました。
 
 以上が測定結果ですけど…その、私的にはすごくよかったんですけど、一般の方は、だから何なんだということになると思います。どんなに精度が高くても偶然ということはたくさんありますし…新たなポイントが見つかって、もっと納得のいくラインができましたら、また御連絡しますね。

 これもまた、ブログにまとめますので、えーと、おあとがよろしいようで…
Commented by lunabura at 2014-12-26 20:37
チェリーさん、たった一言の依頼にこんなに詳しく調べてくださってありがとうございます。(T_T)
アテラとマテラという名を付けた場所が赤司八幡神社辺りにないかと思ったのですが、違ったのですね。
やはり高良山から見てネーミングしたと解釈できそうですね。
作礼山が三女神とは、ショックです。
高校生の頃、登りたかった山なのです。
(足がなくて実現しませんでしたが)
三女神つながりで東西だとすると、要チェックですね。
Commented by チェリー at 2014-12-26 23:06 x
lunaさんから教えていただいた場所がヒントになって、私的にはいくつも発見ができました。お礼を言うのは私の方です。また、何でもいいですので、指示してやってくださいね!
作礼山は不思議な山ですねぇ…三つの池とも、形を見ると人工的にせき止められてはいるようですが、大変な量の水が湧き出しているようです。こんなに頂上に近いのに何でだろう?水はどこからくるんだろう?
山塊の最高点でもないのに、ここが信仰されていたのは、この湧水が理由だと想像しています。
赤司八幡神社の周辺のことは、地図を見ただけでは全然わかってないです。このあたりで生活している人じゃないとわからないかもしれません。まだ何が出てくるかわからないですよ!
Commented by lunabura at 2014-12-26 23:34
なんとも、いやはや、登ってみたくなりました。
赤司八幡神社は景行天皇が天壇を置いて、皇子に守らせ、神功皇后もまた妹豊比咩を自分の代わりに置いたというので、よほどの場所なんですね。
三女神が降臨したという場所ですから、もっと何か残っていないかと思われるのです。
これからもよろしくお願いします。
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