2015年 01月 20日
姫神の謎を追って 1
姫神の謎を追って 1
比売神についてたくさんコメントをいただきました。
宇佐神宮の比売大神とは誰か。
人々の関心の高さを物語っているようです。
当宮では宗像三女神と同じ神々が比売大神となっています。
比売大神[多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命]
(宇佐神宮 下宮)
今回、理解を共有するために、逍遥しながら出会った筑紫の姫神たちについて
整理してみようと思い立ちました。
1 六嶽に降臨した三女神 物部氏と剣神
2 神武天皇と三女神 宗像は見えない
3 水沼の君と三女神 水沼という巫女
4 景行天皇と三女神 剣神
5 大己貴命と二女神 婚姻
6 龍宮の二女神
こんな感じで書いて行きます。(書きながら少々変更するかも^^)
1 六ケ岳に降臨した三女神 物部氏と剣神
三女神と言えば、宗像大社が知られています。
辺津宮・大島・沖ノ島にそれぞれ祀られていますが、
どの神がどの島に祀られているのかを調べると、実は多種多様の組み合わせがありました。
現在、宗像大社では辺津宮は市杵島姫神、大島は湍津姫神、
沖ノ島は田心姫神となっています。(いちきしま姫・たぎつ姫・たごり姫)
この宗像市の南の山を越えると東南部に鞍手郡がありますが、そこに六ケ岳があります。
三女神がその崎門峰に降臨したという伝承があります。
紀元前700年と縁起に書かれています。
その麓に六嶽(むつがたけ)神社があります。
女神たちのしるしとして、奥宮に青い垂れ下がる玉、中宮に八坂瓊の紫玉、
辺宮に八咫鏡を置いたので、身形(みのかた)郡といい、
後に宗像となったとあります。(鞍手郡までかつては宗像だった)
鞍手郡は物部氏の本貫地とも言われています。
三女神はスサノヲ命の剣から生まれたので、もともと剣神の性格があり、
もののふであった物部氏の育んだ鞍手神話とも言われます。
ここから福津市の神興神社に三女神は遷宮したという縁起があります。
そののち宗像市の宗像大社の高宮へ降臨したのでしょうか。
高宮は古高宮と言って、宗像大社の境内のなかにあります。
三女神の祭祀は宮地岳にもあったという説も見られます。
六嶽神社 ⇒ 神興神社 ⇒ 宗像大社
これがひとまとまりの流れです。
(サイドバーから見てね)
地図 六ケ岳 神興神社 宗像大社
2 神武天皇と三女神
神武天皇社が遠賀川河口にありますが、
そこから自衛隊に入った敷地内の浜に、かつて小さな泉があって、
そこでイワレビコ命(神武天皇)と弟宮が禊(みそぎ)をしたと言われています。
仲哀天皇も神功皇后を伴って禊に来ています。
そこから三女神を遥拝したと言います。
ところが、そこからは宗像の四つ塚といわれる四つの山が視界を遮って、
宗像市は全く見えません。
遠賀川に架かる橋の上から上流を見ると、六ケ岳の山々が見えるので、
仲哀天皇は鞍手郡の方を遥拝したと思われます。
当時の三女神信仰は六ケ岳で、神武天皇や仲哀天皇も剣神として、
祭祀されたと思われます。いずれの天皇も戦いを前にしていました。
地図 神武天皇社 六ケ岳
(つづく)
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