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ひもろぎ逍遥

佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ

佐賀東部神社と古墳(30) 

吉野ヶ里遺跡

衝撃の天御中主=カペラ

 
天御中主神といえば、記紀の始まりの神です。
「天地が初めて開けたとき、高天原に成れる神の名は天之御中主神。」
これは『古事記』の冒頭の文。

真鍋はカペラ星を日本では天御中主と呼んだと伝えています。
カペラは天の川のほとりにあるので、川原星(かわべらのほし)とも呼びました。

一方で、神道では天御中主神を北辰すなわち北極星と捉えたという歴史があります。北極に星がしっかりと輝きだしたのは天智帝の時代頃からなので、天御中主=北辰説は奈良時代以降に生まれた思想だと考えられます。

神功皇后の時代は北極星がないので、ポラリスとツバーンを見て、その中間に北を想定した話は何度も書きました。この時代は弥生時代の終わりごろです。

吉野ヶ里遺跡は弥生時代の始まりから終わり過ぎまで繁栄したクニですので、やはり北極星を見ることはできませんでした。

しかし、何らかの方法を使って南北を定め、二つの櫓で示したことが分かりました。
佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ_c0222861_21203760.jpg

見事に南北を測量しています。



では、天御中主神がカペラ星だったということはどういうことか。

これまで具体的なイメージを持つことが出来なかったのですが、tatsuさんが、ついに画像で示してくれました。

次はそのコメントです。

真鍋がさらりと記した「カペラは極東に来て、記紀の天御中主神になり、甲斐辨羅神になり、川原星になったと語られている。『儺の国の星 拾遺』(P124)」が気になって、
北内郭から西暦200年12月10日22:15(地方平時)の夜空を見てみました。

天御中主神=北辰のように言われますが、天の中心と言えば、人から見れば、やはり頭の天辺方向ではないのかという素朴な疑問に見事に答えてくれたのが天御中主神=カペラ説です。

天の頂上にすっぽりと収まるぎょしゃ座の五角形。カペラはそのα星として輝いています(画像向かって右肩)。天の川が背景になり、川原星もまさにそのとおりです。



佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ_c0222861_20485812.jpg



佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ_c0222861_20491692.jpg


いかがですか。
私は驚愕しました。百聞は一見に如かず。
本当に天の中心にカペラがぎょしゃ座を控えて輝いているのです。

古代人はこれを見て、すなわちカペラが天頂に達した時、この星を神と呼んだのでしょう。それは特別な時間に限ってではないかと思いました。




この星は高良の星とも呼ばれ、天御中主とも呼ばれた。
この神を祀るのが志賀島の沖津宮です。

ガイドブックの下巻の表紙には天御中主を祀る島を選びました。

佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ_c0222861_2013612.jpg


ここにも高良玉垂命と安曇の深い関わりが見て取れますね。
(高良玉垂命=安曇磯良、高良の神=武内宿禰)



さて、Tatsuさんの続き。
ところでこの五角形、時代が同じなのでデフォルメされて北内郭のモチーフになったようにも思えます。そして内側には熊モン、いや隈モンが仰向けに寝ている・・・
こりゃ、アンドロダメダと思われたら、この話はボツにしてください。



佐賀(30)吉野ヶ里遺跡・衝撃の天御中主=カペラ_c0222861_23463899.jpg

北内郭は「熊もん」ではないですか (/・ω・)/

いやあ、これで、もう「隈もん」にしか見えなくなってしまった。
やばすぎる(+_+)






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Commented by HIKO at 2015-06-24 12:34 x
西暦200年のカペラ、びっくりですね。
冬の夜空の、まさにきら星のごとく居並ぶ一等星の中で、
いまではちょっと地味な?存在ですが。
「隈モン」にもちょっとびっくり(笑)。
Commented by lunabura at 2015-06-24 23:14
ですね。
まさかの隈モンです。足のあたりとか、そっくり (+_+)
Commented by tatsu at 2015-06-27 19:04 x
るなさん、こんばんは。
諸説あふれる古代史は、未だにどれもが正しく思えてしまう見識の無さなんですが、星を見ていると、るなさんの高良玉垂命=安曇磯良説は納得してしまいます。

高良の星とも呼ばれるカペラが率いる五角形は海亀であり、その甲羅紋様です。また天の川の畔にあって川原星(かわべらほし・こうらほし)とも呼ばれ、紀元前から少しずつ高度を増して、磯良の時代には天頂に達していました(カペラ単体が天頂を通過していたのはBC1600年代頃)。

その南の天の川対岸には安曇の長の名となったシリウス(磯良丸)が燦然と輝き、志賀海神社から見れば、スピカを祀るとされる香椎宮古宮がある山の稜線から、黄道を辿ってスピカが昇っていました。現代でも、星の位置がちょっとだけ違うのを我慢すれば、磯良が見上げたであろうカペラ・スピカ・シリウスが並ぶ星空を体験できます。

古代の精神に近づくにはやはり志賀島の沖津宮から見上げるのがベストでしょうが、冬至の頃の夜中2時過ぎです。どなたか行ってみたいと思いませんか。
Commented by lunabura at 2015-06-28 22:11
動く星が理解できると、古代の神々の世界も現代につながる恒常性が感じられ、ずいぶん身近に感じられるようになりました。

でも、冬至の夜中ですかあ (+_+)
昨年は寒すぎた。 (/・ω・)/ .
Commented at 2019-06-02 21:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-06-02 21:43 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2019-06-04 06:57
九州には沢山の歴史が埋もれていますね。
私も驚いてばかりいます^^
by lunabura | 2015-06-23 20:50 | 佐賀東部の神社と古墳 | Comments(7)

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