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志登神社3・ハレー彗星とカノープス


志登神社3
ハレー彗星とカノープス


志登神社は北に柑子岳、南に雷山が見えるという特殊な位置にあり、しかも夏至ラインには今山の二上山が乗るという驚きの位置でもあります。


糸島市 志登神社




「志登」の意味は「海淵」。波が立たない日には星の観測にもってこいでした。星の観測には空を直接見る方法と、プールに映して観測する方法があります。

ティオティワカンでしたか、ピラミッドにプールがあるのは星の観測のためと考えています。水鏡に写る星は、ステラナビゲータなどとは違う軌跡を描くのを見た事があります。


さて、「志登星」(ハレー彗星)は76年ごとに到来しますが、19年を四度(しど)重ねると76年になることから、「四度」→「志登」となって、ハレー彗星を志登星と呼ぶようになりました。

19年って、メトン周期でしたね。(※メトン周期とは19太陽年は235朔望月にほぼ等しいという周期)

昨年末、朔旦冬至に志賀島に行ったのも、もう遠い過去のようです。ブログに書かなかったら、記憶に留まらなかったかもしれません。

今年、志賀島のお膝元の志式神社では19年に一度のお祭りがあったそうです。お潮井があった事も重ね合わせると、どうやら志式神社にもまた天文観測官がいたのではと思うようになりました。(ガイドブック下巻72)

さて、糸島市志登は単なる湊ではなく、安曇族の天文観測官がいた可能性が出て来たのですが、tatsuさんが、志登から見える志登星(ハレー彗星)の画像を作ってくれました。

すごく感動したので、ご紹介します。


c0222861_1836588.jpg


これを見ると、以下の真鍋の文がよく理解できます。

 
彗星を志登星という。十九歳を四度かさねるを言う。その大なる時、北斗を覆う故とも説かれる。北斗を四三星(しそのほし)というから、その一つの方言でもあった。(拾遺p51)


ハレー彗星が本当に北斗七星を覆っていました。

画像を見ると、星空を6月1日に固定してあります。固定しないと背景の星は動きっぱなしになって分かりづらくなるんですね。グッド・アイデア!


姫古曾神社の所で考察しましたが、「彗星」を倭人はオオゲツヒメ、燕人系は姫子星と呼んでいました。そこに祀られているのが市杵島姫です。市杵島姫は物部氏と通婚しているので、基山の辺りは物部の天文観測となるのかもしれません。


安曇の星祭祀と物部の星祭祀、いつか区別が分かるようになると面白いですね。



さて、tatsuさんはカノープスの画像も造ってくれました。雷山に沿ってカノープスが動いています。


c0222861_18394270.jpg

「這うように」と描写されるカノープスは、諏訪星と呼ばれ、スサノヲの化身とされました。荒ぶる神です。

以上、志登から見えるハレー彗星とカノープスでした。
Tatsuさんのお蔭で解読が進みました。ありがとうございます ^^







 




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by lunabura | 2015-07-11 18:37 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by tatsu at 2015-07-12 16:09 x
ご参考までにとお送りしましたハレー彗星の星図を掲載いただき恐縮してます。全てを試したわけではありませんが、年によって出現方向がばらばらだったり、小さかったりと、彗星の尾が北斗に重なるような出現はあまりなかったのではないかと思います。

真鍋の話はこの西暦218年のことだったのでしょうか。「北斗を覆う」というのは実際に目撃した表現ですし、それが1800年も語り継がれていたとしたら驚きです。「北斗を四三星(しそのほし)という」も、確かに何かの呼名を数詞で表していた近東の文化なのでしょう。まさに筑紫の人々には二千年以上も昔から、近東の文化が浸透していたのだと思います。

真鍋の記述は難解な部分が多いですが、星を通してこそ理解できる謎があると思ってます。
と言ったものの、著作は読むというよりまだ眺めている段階です^^
Commented by lunabura at 2015-07-12 22:31
tatsuさん、こんばんは。
ハレー彗星の画像は出色です。
百聞は一見に如かずとはこのことですね!

出現の方向がバラバラだったりというのも、興味深いです。
真鍋家は特に西暦200年前後は基準年として、語り継いだようです。
218年なら、志登神社の祭神である神功皇后も武内宿禰も見た事でしょうね。
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