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高良玉垂宮神秘書 神紋と鎧 ・玉垂命と覆面


高良玉垂宮神秘書 
神紋と鎧 
玉垂命と覆面


実は御縁をいただいて2012年の臨時の勅使祭の行列に加えてもらい、鎧と甲を載せた車を引かせていただきました。

高良玉垂宮の祭神、三柱にそれぞれ鎧と甲がありますが、御神紋を知らなかったので、どの神の御神宝を引いたのか分かりませんでした。

「高良玉垂宮神秘書」にそのことが書かれていたので、今日はそれを確認したいと思います。まずは御祭神のこと。

一五三条 一、左宮 宇佐八幡大菩薩   (末梢文字)
一五四条 一、中宮 玉垂大菩薩     (末梢文字)
一五五条 一、右宮 住吉大明神     (末梢文字)
一五六条 一、善神王 左本地 或は両部大日 右本地 或は不動毘沙門

中宮が玉垂大菩薩です。左宮に八幡大菩薩、右宮に住吉大明神。それぞれの神に関して説明があったのですが、消されてしまっています。

玉垂大菩薩が誰であるのか。私は「安曇磯良とその奉斎する綿津見の神」という立場を取っています。

一言でいうなら「安曇磯良」となりますが、現在、高良大社では「武内宿禰」とされています。それは江戸時代からの流れです。この神秘書が書かれたのはその少し前、中世末期です。

ここで注目したのは156条の「善神王」です。これこそ武内宿禰ですね。これで、玉垂大菩薩は武内宿禰ではないことが明らかになりました。

多くの宮で祭神が変遷していますが、ここでも、もともと安曇磯良だったのが、武内宿禰に変わったと考えています。

安曇磯良とする証拠も見つかりました。
22条(祭礼の次第の事)一、大菩薩抱き奉る次第の事、覆面の絹一疋、(略)

高良大菩薩に奉納するのが「覆面」の絹です。これこそ安曇磯良の顔を覆う白い布だと思います。

鎧の色が書かれていました。
40条(幸行有る時の次第の事)
一、住吉の御鎧白糸、八幡の御鎧黒糸、大菩薩御鎧緋縅。(略)


祭神の鎧は糸の色で区別が付けられています。住吉は白糸、八幡は黒糸、高良大菩薩は緋縅(ひおどし)。赤色ですね。


c0222861_22202138.jpg

最前には赤い糸!高良大菩薩です。そして、神紋は木瓜(もっこう)。
次に見えるのが黒糸!八幡大菩薩ですね。神紋は巴(ともえ)です。
最後は住吉ですが、よく見えません。



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この写真も駄目だな。住吉神の鎧は何故か上手く撮れていない。これは真横から撮ったものです。背の方に白い糸が編んであります。神紋は「五七の桐」。横向きです。これを「桐の臺(とう)」ともいいます。



それぞれの神紋の由来も書かれていました。
309条【訳】住吉の御紋に桐の薹を使われることは、鵜戸の岩屋でウガヤフキアワセズの命をお生みする時、御産屋に桐の葉を敷かれたことによる。

産屋の傍の板も桐の木である。その桐の木、桐の葉を採った所を桐嶋と名付けた。これにより、異国を攻められた時も桐の薹を御紋として御攻めになった。

住吉と申すはヒコナギサタケの御ことである。

ちょっと説明がいるけど、住吉神はウガヤフキアエズの事だと書かれています。産屋(うぶや)に桐の葉を敷いたことから桐の紋になったと書かれています。

住吉=ウガヤフキアエズ
これは意外な展開になりました。住吉に関してはもっと調べようと思っています。


さて、話を戻しましょう。次。

310条【訳】八幡の御紋は神功皇后が異国追伐の時、八幡を懐妊されていて、御舟の前の水の渦を御覧になって御紋とされたので巴である。


八幡が巴紋だという理由は、神功皇后が八幡をお腹に宿しながら見た水の渦目を見たので渦巻の巴紋になったということです。

そして、高良玉垂命は?
311条【訳】高良の御紋の木瓜(もっこう)のこと。

神功皇后が筑前国四王寺の嶺で大鈴を榊の枝に掛けて七日間、異国の退治を祈られた時、東の空に白雲が現れ、四方に開けて四方に光を放ち、四王寺の嶺に降られた。

四方に開けた白雲は四天王である。御紋の中に四本の鉾を抱えているのは四天王の鉾である。これをそのまま門光(もんこう)と名付けた。

異国追伐の時の高良の御紋はこれである。四方に光を放っているので門の光と書く。高良、四天王に従して天下られる所を四王寺が嶺と名付けた。



c0222861_22221658.jpg

これが高良山の御神紋の木瓜紋で、門光とも書きます。
神功皇后が四王寺山で祈った時、白雲が現れ、四つに分かれて光を放ち、その中央には四天王の鉾が現れたということです。

この文は第一条よりもオリジナルに近いかなと思っています。これが一条では住吉神に変わってしまい、神秘書の中で矛盾が起こります。

このからくりがようやく分かりました。今回は話が逸れるのでまずは紋の話までにしましょう。


で、3年も前の祭だったので、どの神さまのものを引かせていただいたのか、もう記憶がありません (^_^;)

御紋のこと知っていたら、覚えているでしょうけどね。
締まりの無い結果になりました(/・ω・)/ .





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by lunabura | 2015-07-29 22:26 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(12)
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Commented by チェリー at 2015-07-30 00:33 x
lunaさん、こんばんは。
高良玉垂命が降臨した「四王寺山」は、やっぱ太宰府の四王寺山なんですね?
英彦山の山中「玉屋神社」の上のピークも「四王寺山」と呼ばれるようなので、ひょっとしてこちらかな?などと思ったりしたのですが…
Commented by インドラ at 2015-07-30 20:00 x
lunaさんご無沙汰しています。 四王寺(しおうじ)ですが、宮崎に四皇子が峰(しおうじがみね)というのがあり、鵜鵝草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)が玉依姫(タマヨリヒメ)と結婚されて、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)を含めた四皇子がお生まれになった。 この事をもって神武東征が正しい史実だとされています。 高良大社で四王寺の名前が出るのは面白いですね。
Commented by lunabura at 2015-07-30 22:46
チェリーさん、こんばんは。
「筑前国」と書いてあるので、太宰府で間違いありません。英彦山にもあるんですね。ちょっと驚いてます。山口にもあるのです。忌宮神社から北二キロ強の所に、「四王司山」とあって、気に成っているのです。インドラさんのコメントでは宮崎にもあるそうなので、何か謂れのある山の名ですね。
Commented by lunabura at 2015-07-30 22:49
インドラさん、こんばんは。
宮崎にもあるんですか!
神武天皇の四兄弟という意味なんですね。高良山では四天王という単語から仏教的なものかと思っていました。山口では忌宮神社の北二キロほどに、四王司山もあり、何だか要注意の山名になりました。
Commented by チェリー at 2015-08-01 14:21 x
lunaさん、ありがとうございました。
英彦山の四王寺山は、「英彦山 四王寺山 白岳」で検索すると、皆さんの記事が読めます。英彦山の山中を味わい尽くしている方がたくさんみえるんですねぇ…「四王寺の滝」が少し離れた場所にあるので、四王寺といわれる場所の範囲は、割と広いのかもしれません。
山口の「四王司山」マークしました。ラインはまだ見つけていませんが、すごく見晴らしのいい場所ですねぇ…
Commented by lunabura at 2015-08-02 00:05
面白い展開が始まりそうですね。
「高良玉垂宮神秘書」には英彦山は高良山の神敵だと書いてあります。で、筑前国の四王寺山は高良山、豊前国の四王寺山は英彦山となりますね。意外な展開かも。
「神秘書」やはり少しずつ記事にすると、皆さんの知恵が借りれそうですね。
Commented by こんばんわん at 2015-08-08 12:04 x
こんば、、、こんにちは(^ー^;)
 善神王とは、特定の地域・時代で一人を表す場合もあるかもしれませんが、その名のとおり美称ではないでしょうか?
高良玉垂神秘書を読んだことが無いので、上の記述だけからですが、
一五六条一は「善神王である左宮:宇佐八幡大菩薩の本地は両部大日、善神王である右宮:住吉大明神の本地は不動毘沙門」と読める気がするのですが、いかがでしょう?

 ちなみに、宇佐託宣集では、左善神王:阿蘇嶽権現(健磐竜命)。右善神王:高良玉垂=藤大臣=連保=月天子=ウガヤフキアエズ(ひこなぎさ)の第三子となっており、善神王は阿蘇・高良玉垂・八幡の三人を表しているようです。
 宇佐託宣集は、時代も内容も都合が良すぎるので、あまり好きではありませんが、高良玉垂神秘書と宇佐託宣、類似性が気になります。
Commented by lunabura at 2015-08-08 23:23
こんばんわんさん、お久しぶりです^^
宇佐託宣集、書かれたのを見てびっくりしています。
高良玉垂宮神秘書と似てます。
微妙に差があるようですが、発想がそっくりですね。
神秘書は一条と最後の一条前、550条が他の内容と掛け離れているので、どこからその発想が来たのかと思っていましたが、宇佐が入りこんでいる可能性があるんですね。重要な史料です。

156条の善神王は、省略した156条が「坂本」とあり、同様の記述をしていて、その先も末社、摂社の項目が並んでいるので、独立した項目と考えてよいです。
善神王が武内宿禰だという根拠は「高良御子神社 高良系神社乃分布」に「武内宿禰を祀る神社名は(略)… 善親(神)王…(略)」とあることと、安心院の佐田神社(祭神武内宿禰)が善神社となっていることから、黒殿、白髭などと同様に武内宿禰を指すものとしました。

ただ、宇佐託宣集が仰る通り一般的な美称になっているのは、これも驚きです。高良の神は門番になってしまっていることを考えると、書かれた事情に興味が湧きます。
Commented by こんばんわん at 2015-08-09 23:49 x
こんばんわ(^-^)
るなさんのブログで知った高良玉垂神秘書の内容は、私も驚きでした。とても似通った話であり、どこかの時代で宇佐との関係があるのでしょう。
 この託宣集には、「八幡は香椎(大帯姫)を母とし、住吉を父とする」や、「住吉の縁起にい云く、大帯姫が四王子山で祈った夜、住吉大神形を現し、夫婦となり2人の王子を産み育て、第3の王子の八幡を生み、今の宇佐宮となる」など出てきます。神としての親子関係と物理的な親子関係が自在に使われており、仏教の影響も強く、私の力量ではお手上げです。

 ちなみに、善神王の下りは下記の通りです。
八幡宇佐宮御託宣集「三所宝殿以下の事」より
・二階南楼左右の外の間。
・左善神王
昔霊神兄弟三人、震旦に遊んで、日本に帰りたまふ時、大兄は豊後国高知尾に留る。高知尾明神是なり。次兄は肥後国阿蘇嶽に留まる。阿蘇嶽権現是なり。此の権現、最弟八幡に告げて言く。汝早く花都に至り、十善の帝王(天皇)の子と成り、百王(代々の天皇)守護の誓を遂ぐべし。我は当峯に留り、高知尾を見継ぎ奉り、亦汝が本願を助くべしと云々。
累世の契約を改めず、当宮の守護弥(いよいよ)新なり。

・右善神王
大帯姫霊行の時、異国降伏の刻、地神第5代主彦波激尊(ひこなぎさのみこと)現われ言く。
我は即ち明星天子の垂迹なり。第三の公子有り。月天子の応作(変化)にして、これを授け奉る。大将軍と為り、敵州降伏の本意を遂げられるべきなりと云々。
大帯姫、この公子を賞し大臣の官を授けられる。藤大臣連保是れなり。連保、乾満珠玉を垂さしめ、尊神の本願を扶け奉る。筑後国高良の玉垂大菩薩是れなり。昔は征伐の補佐を改めず、今は垂迹の助化猶新たなり。

Commented by lunabura at 2015-08-10 23:42
これもまた興味深いです。
保連が連保と引っくり返っている点など、筆者の勘違いまで表れています。
保連が武内宿禰のことです。
高良山神秘書と比較してみたいと思います。

この託宣集は書籍として売っているのですか?
原本を一般に手に入れられますか?
Commented by こんばんわん at 2015-08-11 23:53 x
こんばんは。
 宇佐宮託宣集は原本は残っていないらしく、多少異なるいくつかの系統の写本が残っているそうです(それがまた誤解や疑問を生むのですが)。
 以前は、宇佐神宮のHPでもこの託宣集を販売していたと記憶していますが、4万円以上でしたので、私には手が出ませんでした(汗)。
 私が参考にしたのは現代思潮社刊 重松明久校注訓訳「八幡宇佐宮御託宣集」ですが、お金がかからないよう図書館を利用しています(^-^;)
 また、るなさんもご存知かも知れませんが、「国文学研究資料館」のHP内の電子資料館で、古書などの資料を見ることができます(web上です)。どの写本かわかりませんが宇佐託宣集もありますので、こちらが原本に近いものと思います。「八幡宇佐宮御託宣集」で検索され165コマから、善神王の下りとなります。
 自分に漢文・古文の読解力がないため、この電子資料館も時々しか利用しませんが、こうした資料が自由に見れるのは良い時代ですね。

※るなさんの今日のブログにあった「うきはに古代エジプト?」の件で思い出したのですが、この宇佐託宣集では、八幡神達を焼木で打った地元の漆島武宮に対し「汝の子孫皆黒かるべし」とあり、南方系(黒人?)の村があったのかもと想像してしまいます。
Commented by lunabura at 2015-08-12 23:37
こんばんわんさん、ありがとうございます!
宇佐には手を出すまいと思っていたのですが、引用して下さった部分が大きなヒントになるので、少し読まなくてはと思いました。
「国文学研究資料館」の存在は知らなかったので、ありがたいです。

漆島武宮の話も、可能性は高いですね。
異文化の接触話として、興味深いです。

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