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船原古墳の被葬者は筑紫君磐井・葛子の一族か


船原古墳の被葬者は
筑紫君磐井・葛子の一族か


古賀市谷山で発見された前方後円墳の側の埋納坑。
そこに埋められていたのは馬具だけでも六領。
一領の一部だけ、新羅のデザインが見られますが、新羅製かどうかは不明。
その他は倭国製だろうとのことです。


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馬具の一部は土の表面に姿を見せた時から黄金のきらめきを発していました。

この「船原古墳」は6世紀末~7世紀初めに造られたといいます。
埋納されていた国宝級の宝物の数々は誰のために奉納されたのでしょうか。

今回はその被葬者像に迫ってみようと思います。
その手掛かりの一つとして、同時代、同じ古賀市美(み)明(あけ)にあった屯倉(みやけ)「鹿部(ししぶ)田淵(たぶち)遺跡」の存在が挙げられます。

この遺跡の重要性は6世紀前半に起こった「磐井の乱」(527年)が関わってきます。

継体天皇に新羅攻撃を命ぜられた筑紫君磐井はなかなか出兵しませんでした。
継体天皇は朝鮮半島からの貢物を横取りしているという言いがかりも付けています。

磐井君は継体天皇の派遣軍と戦ったのですが滅ぼされ、その子・葛子君は連座を恐れて「糟屋の屯倉(みやけ)」を差し出しています。その候補地とされるのが「鹿部田淵遺跡」です。

この遺跡と船原古墳は花鶴川~谷山川という一つの水路で結ばれています。船原古墳の被葬者はこの屯倉の経営に深く関わっていたと考えられます。





被葬者の生きた時代はどんな時代でしょうか。


この時代は朝鮮半島では新羅(しらぎ)が拡大していて、任那(みまな)が滅び、百済(くだら)も危うい状況にありました。百済は何度も筑紫勢に援助を頼んでいます。



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葛子君の子・鞍(くら)橋(じ)君(鞍手郡)が百済王子・余昌と共に戦って王子を助けてもいます。福津の宮地嶽では同じく葛子君の子である勝村(かつむら)・勝頼(かつより)が活躍していました。

古賀市美明の屯倉にはおそらく武器が格納され、この戦いに貢献したと思われます。




一方、被葬者の祭祀環境も手掛かりとなります。
古代より、氏族は自分たちの氏神を祀っていたからです。

被葬者はどこで神祭りをしていたでしょうか。すぐ近くにあるはずです。

船原古墳は舌(ぜつ)状丘陵地帯の突端に築造され、その奥に鎮座する小山田斎宮を守るかのようにみえます。距離はわずか500m。

この古賀市小山田の斎宮(いつきのみや)の始まりは西暦200年。
仲哀(ちゅうあい)天皇と神(じん)功(ぐう)皇后の時代に遡ります。




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仲哀天皇は香椎宮で天下を治め、同市の皇(おう)石(いし)神社の鎮座する鹿部(ししぶ)山から船の軍事訓練を眺めたといいます。

その船はすぐ近くの安曇(あづみ)族の船です。ここは古代の阿(あ)曇(づみ)郷と考えられます。

しかし、天皇は突然崩御しました。神功皇后はその死の原因を知るために小山田に行って神々に尋ねたと『日本書紀』は語ります。

誰が土地勘の無い皇后を小山田まで導いたのでしょうか。

皇后は見知らぬ土地に導かれる時、その人物に全幅の信頼を寄せていたはずです。
その人物はやはり当地の安曇族だと思われます。
その境内には志賀三神も祀られています。綿津見の神ですね。

その末裔が船原古墳に眠ると考えるのが自然です。



安曇族は初代天皇の神武(じんむ)天皇の祖でもあります。その末裔でもある神功皇后が安曇族の船に乗って新羅を討ったのが、いわゆる三韓征伐です。

しかし、戦勝後も新羅との軋轢(あつれき)は400年続き、倭(わ)国は百済と共に新羅と戦うことになりました。

ただ、聖徳太子の派遣した征新羅大将の来目皇子は糸島で亡くなっています。それが603年のことです。船原古墳の被葬者もこの前後に亡くなっていると思われます。

船原古墳の被葬者はこの戦いに貢献していたと思われます。

被葬者が亡くなったあと、各地から宝物が届けられたと思われますが、すでに古墳の入り口が封じられていたために、そばに丁寧に埋葬されたと考えています。

以上から、船原古墳の被葬者は安曇族の一員で、その副葬品のレベルの高さからは磐井・葛子君の一族の可能性が高いと思われます。 




参考 『神功皇后伝承を歩く』掲載神社
24番 香椎宮
25番 皇石神社
36番小山田斎宮

下巻
69番 宮地嶽神社
71番 志賀海神社
72番 志式神社






赤 船原古墳   青 小山田斎宮




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by lunabura | 2015-10-15 20:06 | 船原古墳・古賀市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by こけこま☆ at 2015-10-16 19:38 x
鹿部山はもともと三つあって宅地開発で二つは潰されて
一つは皇石神社保全運動で残ったんでしたよね

工事で見捨てられた遺物もあった筈です

えらく読み仮名入れましたね
たしかに県外の方にはわからないかも
私も気をつけます
Commented by lunabura at 2015-10-16 22:27
鹿部山は、今でもはばかられる山だそうです。
つぶされた二つの山にも古墳がかなりあったそうですよ。
反対運動も無視されたようです。

この文章は、実はある所に提出したものだったので、読みやすいように読み仮名を入れました。
ワードから投稿すると、ルビが自動的に( )入るんで驚きです。
( )が多すぎるので、ぼちぼちと消そうかと思いましたが、多分このままです。(^_^;)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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