ひもろぎ逍遥

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志賀海神社・御神幸祭(3)磯良の舞


志賀海神社

御神幸祭(3)磯良の舞






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神輿がお旅所にやってきました。





三基が並ぶと、ムシロが敷き並べられて、いよいよ神楽が始まります。
と、その時、いきなりの雨。

先程より強い雨がムシロをたたきます。
敷き詰めたムシロを畳み、並べられた椅子も片付けて模様見です。

私も祠の軒先で雨宿りしていると、社人(しゃにん)さんが一人、雨宿りに入って来ました。

「こんなことは初めて。雨が降ったことなど一度も無かったんですがね。もともとおくんちだったのを10日にしたんですが、(十月十日は)特異日だから雨は絶対降らなかった。最近は祝日が動くんで(雨に遭った)」

夜中に降りだした雨は止むのか、先行きは分からない。

それでも、30分すると雨が小止みになり、社人さんが飛び出して行きました。

「夜渡(よど)の祭って、どんなんですか?」
と隣の人に尋ねていると、飛び出した社人さんが立ち止まって振り返って言いました。
「これが夜渡の祭ですよ!」

そうか。今からそれが始まるんだ。

真鍋の書いていた「夜渡の祭」だ。

そして、これこそ神楽の初源とも言えるものでした。




「龍の舞」(たつのまい)

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龍(たつ)の都、志賀島の神、綿津見の神は龍神です。






「八乙女の舞」

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これから海を渡る神功皇后が海神に捧げた八人の神楽舞。
こうして、1800年経っても、その祈りが続けられています。











「磯良の舞」
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最後は磯良の舞です。
鞨鼓を胸に下げ、白布を顔に下げ、右回りで三度回ります。

「まいのうのきしの、ねまつや~」
(舞能の岸の根松や)(子松?)


白い浄衣のアントンイソラ。
シリウスの名を持つ海人族の長。



ついにその歌を聞きました。

「まいのうの岸の、ねまつや」

「舞能」とは勝馬の海。江戸時代には「まいわざ」と言っていました。



「志賀嶋所聞録」ではこう伝えています。

舞能(まひわざ)
昔、息長足姫尊、諸臣を集めたまいて、志賀大神を召し奉り給うに、神は来られなかった。

ここにおいて、諸臣ら怪しみ、かがり火をたいて、賢木(さかき)の枝に白幣を取り掛けて「天の磐の神楽」を奏されると、志賀大神は金色の亀に乗ってあらわれた。

故に、九月八日、神幸の神輿の前に舞能という事、一奏あり。その時の形相(かたち)を表すとはいうなり。
(綾杉、原文を変更)



こうして、志賀島の北端、勝馬の神遊瀬(しんゆうのせ)は舞能ケ浜とも言うようになりました。

ここはイザナギ尊が禊ぎをして神々が生まれた小戸でもあります。





ブログを書き始めて六年です。
思えば、この六年という月日は神代の志賀島の姿を理解するために紡いできた日々でした。

香椎宮から始まり、志式神社の磯良舞を見、高良大社で見せられた高良玉垂宮縁起絵巻。
それを理解するための日々。

そしてようやく舞能の岸の磯良舞を見ることができました。

神功皇后のガイドブックを製作するとき、参考にしたのは『日本書紀』でしたが、安曇族の姿が巧妙に消されていました。

そのため、『神功皇后伝承を歩く』は神功皇后の物語でありながらも、消された大王を復元する物語でもあったのです。


その消された歴史は奇蹟的なシンクロニシティの連続で教えられました。

例えば
「香椎宮史」
「天照皇太神宮史」
「高良玉垂宮神秘書」

これらは、それぞれの人から不思議な御縁で届けられた本です。



今なら、言えます。
安曇磯良は倭奴国に君臨した大王でした。
高良玉垂命、その人でもあります。

しかし磯良の名は巧みに消され、玉垂命の真実も闇に押し込められました。


私が本や講座でお伝えした時代は次の三つです。

神功皇后の時代。
磐井の末裔たちの時代。
斉明天皇と中大兄皇子の時代。

これらが横糸なら、縦糸を紡いで壮大な歴史のタペストリーを織りなす段階に来ているのかもしれませんね。

このブログは明後日、6周年を迎えます。





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by lunabura | 2015-10-23 20:58 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(13)
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Commented by のら at 2015-10-23 21:36 x
るなさん、こんばんは。
パソコンがヤバいそうなので更新は諦めていたのですが神様のお力でしょうか?
夜の御祭は松明の灯りなどワクワクザワザワしますね~♪
太古、夜型人間な日本人の血でしょうか?

先日、深夜のローカル番組に宮地嶽神社の宮司さんが出られてトークしてられました。
安曇の名前を出しておられて、これで定説となっていた古墳の主=宗像氏というのも変わるかもですね。

Commented by lunabura at 2015-10-23 23:13
今日、パソコンを買ってきました。
引越しに時間が掛かりそうなので、それまで動いてくれたらと、それこそ神頼みです。
夜のお祭りは言霊や音曲の響き、闇など、日常を離れた波動が満ちていますよね。

宮地嶽古墳の問題は、ある考古学者が神社の祭祀を無視したことからの判断ミスだと思います。双方から話を聞くことが出来て、神社側の話が真であると、確信しています。
Commented by インドラ at 2015-10-24 18:23 x
るなさん今日は。
志賀海神社の東に伊野天照皇大神宮があります。
倭奴国は猪野と読めそうな気がしています。 奴を「な」と読むのはなんとなく気になるのです。 倭奴を「いと」と読むより「いの」と読んだほうがすっきりします。
天照大神が伊弉諾の禊で志賀島で化生したとすると、日の昇る真東に祭るような気がするのです。 天照大神は伊勢ではなく猪野に祭られたかったのでは、いや古代には先に猪野に祭られていたのではと思ったりもします。
Commented by lunabura at 2015-10-24 19:16
インドラさん、こんばんは。
志賀海神社の東、あわてて地図を見ました。
あの遥拝所から見える山々(日面見山)の中に伊野神社があるんですね。
二上山(立花山)がイザナギとイザナミ夫婦神の宮殿と伝えるので、
祭祀線が仕組まれている感じがしてきました。
天照大御神が猪野に何度も戻ろうとするのも、おっしゃるように、先に祀られていた可能性を示唆しているのかも知れませんね。

倭奴は研究者の間では「ゐぬ」と読むのが主流となってきたと思います。
津屋崎の奴山は「ぬやま」。
「奴」は「大きい」という意味で(黄當時氏)意味的には倭大ということになり、修辞が転ずれば大倭となる。
これが今のところ、しっくりと来ています。
Commented by インドラ at 2015-10-24 21:19 x
るなさん。
猪野の猪は和語ではゐですよね。 今は伊野になって別の字になっていますが。 倭奴は「ゐぬ」だったのが、犬に通じるので「いの」に変わったような気もします。犬鳴峠もありますし。
ところで伊野天照皇大神宮から南東に400メートル位の伊野(五十鈴)川の河原が志賀海神社の真東で宗像大社の真南です。(グーグルアース)
Commented at 2015-10-24 22:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2015-10-24 23:53
インドラさん、五十鈴川の川原は祭祀場の跡のような、独特の空間ですよね。
江戸時代は船着き場になっていたようですが、対岸の方では武内宿禰が井戸を掘ったりしていています。
ちょっと視点を変えて捉えなおしてみたいと思います。
Commented by lunabura at 2015-10-24 23:58
非公開さん、面白いものを読んであるんですね。
結局、安曇の姫、玉依姫の子供が初代天皇となるので、安曇族は天皇家の保護者的な心理があったと思います。
食事担当だったし、天文観測、軍備などで支えたと考えると、伊勢の地も提供したという発想も有りかもしれませんね。
ちょうど、橘広庭宮の敷地を提供したように。

明日は、町内会の草取りをして、遅れて参りますね(^_^;)
Commented at 2015-10-25 19:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2015-10-25 23:37
そうなんですか。
そうそう、例の町史が図書館に届いているんだ。
明日は、図書館休みですね(^^;
Commented by 只野通行人 at 2016-02-01 16:15 x
はじめまして。興味深い記事を楽しく拝見させていただいています。

磯良の舞のご説明で3度回ると書かれているのを読んで、ちょっと思い出すことがありました。
以前、岡山県で葬儀に参列したことがあったのですが、棺を車に載せる際に3度回すように言われたことがありました。そのような風習(?)は初めて聞いたので印象に残っています。

磯良の舞とは関係ないでしょうが、ついコメントしてしまいました。
Commented by lunabura at 2016-02-01 21:41
はじめまして。
三度回り、それだけでも、追求すると面白そうですね。

コメントありがとうございます。
Commented by 星読 at 2016-02-04 19:28 x
じい様のシツギモ3度まわして出棺しました

鞍手の風習か、ばあ様の出身地の風習かはなぞです
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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