ひもろぎ逍遥

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平原遺跡は卑弥呼より少し古い


平原遺跡は卑弥呼より少し古い


資料を片づけたり、整理したり、
あるいは柔らかな春の草を抜いたりして、
グラウンディングの一日を過ごしました。

歴史は研究がどんどん進んでいる分野もあれば、
江戸時代の説のままの分野もあります。

文献が一般人にも手軽に手に入る時代になったので、
考古学的な資料と文献史料が相互に補完し合うようになるといいですね。


3月3日の歴史カフェの遠足バージョン、時系列に回りたかったのですが、
時間の制約があったので、バラバラになりました。

わずか二キロ四方の中でしたが、行ったり来たりしたので、
広い範囲に思えたかもしれませんね。

30分ほどで歩いて行ける範囲だったのです。

そこに歴代の妃、
木花咲耶姫、磐長姫、豊玉姫、玉依姫、奈留多姫が祀られていました。
そして、三雲南小路遺跡も三雲井原遺跡も平原遺跡も、です。

ですから、3月12日の座学では、神社や遺跡も時系列に見て
マップ攻略の時間も取ることにしました。

そうすると、意外にも平原遺跡が一番新しい時代になりました。
中国では後漢が滅ぼうとする頃の墓です。


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平原遺跡の被葬者については、「卑弥呼の時代ですか?」と、
何人からか質問を受けたのですが、
卑弥呼から見ると母か祖母の世代になります。

卑弥呼の死は248年(あるいは247年)とはっきりしています。
お話ししたように、この年を暗記しておくと便利です。
これを以って弥生時代の終わりとする方もいます。
中国では魏の時代となります。

この時代には神功皇后を支えた怡土(いと)国の五十迹手(いとて)もいて、
考古学と中国文献と日本文献がどう結びつくのか、興味深いエリアです。


魏志倭人伝は倭人の風習について、「棺はあるが、槨は無い」と書いています。
ちょうど平原遺跡がそんな感じですが、卑弥呼の墓には盛り土があるのです。

平原遺跡の盛り土は最近、施されたもので、
もともと平坦で果樹が植えられていたそうです。

発掘後は、しばらく木棺のくぼみがそのままだったので、
雨水で消失しないか、心配したものです。

とても広々とした環境でよく整備されていて、とても心地よかったですね。

それでも標高が35メートルほどもあったということで、
弥生人がいかにも好みそうな地形でした。






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by lunabura | 2016-03-04 20:43 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)
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Commented by nonkei7332 at 2016-03-05 03:57
女神巡礼 楽しい 思い出深き一日を ありがとうございました
去年から 山の神は女神 という テーマを追いかけていましたので
今回は とても 有意義でした いくつもの謎が新たに出てきますね
小富士 と言われる 可也山 は本当は 古富士 だったのではないかとか
綾杉さんの言われる 卑弥呼の謎もその一つですね
海を渡って 伽耶国ツアー なんてイイね なんて話も出ていましたよ
綾杉さんの引き出しから 次はどんなサプライズが出てくるのか
楽しみにしています。
Commented by しぐれ at 2016-03-05 14:57 x
平原王墓について改めてご説明頂きありがとうございます。
被葬者と神功皇后たちが同時代の人物だとすると、あれほど手厚く葬られている女性が何故記紀に描かれなかったのか不思議に思えます。名前を伝聞したのみであっても八女津媛のように書き記された例はあるので殊更です。

・王墓の向きや位置
・出土した大鏡と、伊勢神宮の八咫鏡を納めた箱の大きさや文様
・大鏡側面の櫛歯文様が後方(背)・前方(腹)合わせておよそ千五百本
・勾玉と約五百個の玉を組んだ装飾品
・怡土、志摩と伊勢、志摩の地名の近似

糸島の中では新しい王墓ですが、やはり原田大六氏などが指摘されているように記紀神話の太陽神を思い起こさせる要素が偶然と呼ぶにはあまりに多い気がしてなりません。
平原王墓の被葬者を「神功皇后の活躍の片隅で生きた女性Aさん」として片付けるのは私には難しそうです(_ _;)
Commented by lunabura at 2016-03-05 22:04
磯良さん、男性エネルギーも必要でした!

可也山も、活火山だったから、富士と同じなんでしょうね。
火山という意味のカフリが訛ってコフジとなったということで、富士の語源が糸島にあったと真鍋は言いたかったのでしょうね。

伽耶にはかつての倭地があったのでしょうが、
誰か他の方が巡礼してくださることでしょう。
私の引き出しには伽耶は無いのです(´・ω・`)
Commented by lunabura at 2016-03-05 22:14
しぐれさん、こんばんは。
詳しい説明をありがとうございます。

同じような木棺土壙墓は朝鮮半島の南部にも分布しています。
それらの詳細な研究も待たれる所です。

被葬者のイメージは私にはまだ明確ではありませんが、
人それぞれにあって良いのではと思っています。

「神功皇后の活躍の片隅で生きた女性Aさん」とまでは思ってません^^ 

平原遺跡は私の心にもずっと生きていましたよ。

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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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