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豊日別宮・大伴狭手彦と松浦佐用姫の子が祀った猿田彦大神



豊日別宮(草場神社)

大伴狭手彦と松浦佐用姫の子が祀った猿田彦大神
行橋市


朝鮮半島に渡る大伴狭手彦(さでひこ)を見送った松浦佐用姫(さよひめ)は
悲しみのあまり、そのまま石になったと言う。


ところが、コメントで、佐用姫は狭手彦との間に子供を設けている
との情報が入って来た。

その子供の一人が豊日別宮の神官になったという。

佐用姫は死んでいなかった!?
夫と一緒に暮らしていた!

しかも、あの豊日別宮に?
これは驚きだった。

そう、この神社は以前から注目していたのだ。

ずっと前に、ネットで、そこは大伴金村が引退した所という話を拾っていた。
しかし、文献史料が見つからず、前に進めなかった。
ネット情報だけでは、論は立てられないからだ。


大伴金村こそ、筑紫君磐井を死に追いやった黒幕ではないか。
私はそう考えるようになっていた。

だから、金村像を描くことは、磐井の乱の背景を見極めることになると思い、
もう何年も手掛かりを探していたのだ。


大伴金村と大伴狭手彦は親子に当たる。

ということは、松浦佐用姫は大伴家の嫁として迎えられて、
少なくとも三人の子を生んだということになる。

その三男が豊日別神社の神官となった。
名を神牟祢奈里(こう・むねなり)と言う。


ようやく参拝することが出来た。



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福岡県神社誌によると、ご祭神は豊日別命だ。


掲示された由緒書からまとめると、
欽明元年532年、猿田彦大神が老翁の姿で現れて
神官の大伴連神牟祢奈里に託宣して、翌日降臨したとある。

猿田彦は天照大神の分神で、
豊日別大神を本宮とし、猿田彦を別宮としたという。




なお、別の史料では、
猿田彦大神の託宣があったのは欽明天皇2年としている。

欽明天皇の即位年は諸説あるらしく、ウィキペディアによると、
541年となっているので、社伝の532年とはズレがある。


大伴金村の失脚した年を調べると、540年となっている。
ここからは、ウィキペディアの通説の年号で考察していこう。

欽明元年(540)、新羅がついに任那を奪ってしまった。
金村は外交政策の失敗を追及されて失脚する。
かつて512年の任那四県割譲事件の責任も問われた。

これをきっかけに大伴氏は凋落していったという。

しかし、この家系は万葉歌人の大伴旅人、家持を生み出している。
いや、彼らもまた軍人だった。
旅人は隼人の乱を鎮圧している将軍だ。

大伴氏は物部氏と並ぶ武門だった。

また、縁起には書かれていなかったが、史料には
厩戸皇子が587年に社殿を造営させたとある。

聖徳太子が社殿を建立したのだ。
背景を考えると、やはり大伴氏の軍事力が物を言ったのだろう。

朝鮮半島での戦いにおいても重要な位置をしめていたから
この宮を祀ることは格別の意味があったのではないか。

多くの情報に混乱しそうだ。

以下、『日本書紀』などの編年で年表を作ってみた。

●宣化2年(537)大伴狭手彦は松浦佐用姫と別れて渡鮮する。
●欽明元年(540)父・大伴金村は失脚する。
●欽明2年(541)大伴狭手彦の三男・神牟祢奈里に猿田彦大神の託宣があった。
●欽明23年(562)大伴狭手彦は再び渡鮮して高麗に勝利。
●用明2年(587)厩戸皇子が豊日別宮の社殿を造営させた。

ただし、当宮編年によると、
◆欽明元年(532年)猿田彦大神の託宣・降臨
となる。


以下はメモ
△金村の隠居地という文献はまだ確認できていない。
●当宮には勅使が来ていた。
●宇佐宮から朝廷に奉納する鏡は田川の採銅所村で鋳造され、当宮に立ち寄り、
当宮の神輿と共に中津和間の浜に向かった。


この宮は歴史の空白を埋める重要な宮だ。
聖徳太子(厩戸皇子)(574~622)が建立したという点でも
大事な宮である。

しかし、ここも、行橋市観光マップには掲載されていなかった。
当地は行橋市だが、かつては京都郡だった。
福岡県神社誌によると、京都郡祓郷村大字草賀字西の前とある。


この日、帰り道、ナビは猿田峠の道を示した。
そこにもまた、豊日宮と猿田彦神の組み合わせがあるのだ。

これはいったいどういうことだろうか。
またもや迷宮が待っているのか。





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by lunabura | 2016-05-17 21:51 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(7)
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Commented by tukifune83 at 2016-05-17 22:39
凄いですね…(;・∀・)
余りにビックリで言葉が出て来ません…。まさか佐用姫が生きていらっしゃったとは。しかもお子まで…。

Commented by lunabura at 2016-05-17 23:02
そうですね。
私も、とても驚きました。
神氏は今も末裔が伝わってあるそうです。
Commented at 2017-07-11 18:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2017-07-11 18:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-07-11 23:00
非公開さん、コメントありがとうございます。
その本は図書館で見て、いい本だなと思いました。
知らせてくださってありがとうございます。
Commented at 2017-07-14 19:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-07-16 22:41
大伴一族もまた、真実の歴史が隠されているのでしょうか。
書紀とは雰囲気が違いますよね。
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