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「香椎宮に皇居があった頃」の話をします




「香椎宮に皇居があった頃」
の話をします




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来たる2016年6月12日(日)、福岡市東区で
「香椎宮に皇居があった頃」というタイトルでお話をします。



香椎宮に仲哀天皇が住んでいたのは、わずか一年なのですが、
その周辺には沢山の史跡と伝承が残っています。

天皇と皇后が水軍の訓練を見守った所、
また野外陣営の訓練や会議を行った所。

天皇の亡骸を前にして会議を行った古宮、
今も伝わる武内屋敷、不老水。

天皇の死の原因を尋ねた小山田の斎宮。

羽白熊鷲、田油津姫の討伐後、緊急に遷宮した久山の斎宮。

また、皇后が決意を表明するために、海に入って禊をし、
海から上がってミズラを結った島。

安曇水軍のために祈った志賀島。
八乙女が舞い、磯良から干珠満珠を授かった奈多の浜。

軍勢が集まらなかったために祈った大神(おおみわ)神社。

渡鮮する武将たちが名乗りを挙げた島。

皇后が船に棚を作ってもらった浜。

皇子を出産後、皇后の胎盤を埋めた筥崎。

ショウケ越えするまで子育てした久山の斎宮。

などなど、皇居の周辺の伝承を辿ると、
三韓討伐の戦前、戦後のようすがくっきりと描かれます。

また、新羅が上陸して豊浦宮を襲撃してきた時、
宮地嶽の高麿、助麿兄弟が天皇皇后を守って討ち死にしたことは、
安曇族には大きな痛手でした。

ところが、この戦いを『日本書紀』や『古事記』は隠しました。
このために、三韓征伐の原因が分からなくなったのです。


天皇と皇后の足跡を辿って、
「香椎宮に皇居があった頃」の香椎周辺の歴史を描きます。





社会とつながるアカデミック・カフェ
知的好奇心と社会的関心を持つ市民のコミュニティー

http://academic-cafe.blogspot.jp/
社会とつながるアカデミック・カフェ
「香椎宮に皇居があった頃」
講師 綾杉 るな さん
6月12日(日) 2時30分~4時30分
香椎みゆき通り みゆきビル2階
「コミュニティー ギャラリー」
所在地:福岡市東区千早5-14-30
入場無料 30席 予約優先

講演内容

「仲哀天皇は穴門(あなと)の豊浦(とゆら)宮と
筑紫の訶志比(かしひ)宮で天下 を治めた」
と『古事記』は記し、その史跡も各地に残っている。

しかし、記紀 は、豊浦宮が新羅軍に襲撃されたという重大事件を黙して語らず、
神功皇后の三 韓征伐の原因を隠蔽した。

仲哀天皇の豊浦宮から香椎宮への遷宮と、
その崩御後 の久山への遷宮、そして安曇水軍との関わりなど、
各地の神社縁起をもとに、
香椎が都だった頃の香椎周辺の歴史を紐解いていく。


申し込みは以下へ。
社会とつながるアカデミック・カフェ
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by lunabura | 2016-06-12 09:09 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
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