ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

7月7日「神功皇后の足跡をたどる」




「神功皇后の足跡をたどる」







7月7日からの講座のパワーポイントのスタートページです。







c0222861_21371246.png







豊功(とよこと)神社から写した干珠満珠島の画像を選びました。

神功皇后が磯良からもらった干珠満珠を納めたことから
名前がついた島です。

本来、忌宮神社(豊浦宮)はこの海まで境内があったのが、
工業地帯が発展していくなかで、海と分断させられました。

それでも、今でもここでは舟を出して祭祀をしているそうです。

この海が龍宮と繋がっているというのも、
やはり干珠満珠と安曇磯良―海神豊玉彦という
安曇族の信仰があるからでしょう。

海神は「わだつみのかみ」と読みます。
「わだつみのかみ」豊玉彦です。


この宮の対岸の九州島にある和布刈神社では
安曇磯良が神功皇后に授けた干珠満珠を秘法として、
それを和布刈神事にして今尚、伝えています。



神功皇后が羽白熊鷲と戦うときも、この干珠満珠が使われたと
朝倉の宮では伝えます。

朝倉まで有明海の潮が上がっていたからです。

潮が引くということ。
そして潮が満ちるということ。
これを知ることは古代の船の戦いでは絶対条件だったのでしょうね。


新羅戦においては、津波が起こって
引き波の時に、敵軍が船から降りてしまったり、船がひっくり返ったりし、
寄せ波の時には、溺れてしまったといいます。

これが、干珠満珠が神秘の秘法となったゆえんです。


『日本書紀』が、新羅の国の半ばまで潮が上がったというのも、
あながち誇大表現ではなかったのかもしれません。

津波は新羅を洗い、返しては日本の海岸も洗ったことでしょう。


この時、神功皇后の船も危うくひっくり返ろうとしたのを、
船にびっしりとついたニナ貝が助けたということで、
一センチほどの小さなニナ貝が勝利のアイテムとして各地に伝わっています。

コメントで、
船に貝がつくことでバランスが取れるようになるという話をいただいたので、
観察されたことが今でも伝えられているのでしょう。



さて、この干珠満珠は豊玉彦(海神)の二人の姫神、
豊玉姫と玉依姫にもなぞらえられています。

海の長(おさ)は白と青の珠を捧げて祈ったといいます。

潮満珠と潮干珠を象徴する豊玉彦の二人の姫神。
それは北極星のない弥生時代のポラリスとツバーンにもなぞらえられました。

その二つの青と白の星の間の、漆黒の闇を天御中主ともいいました。
その天御中主は志賀島の沖津宮に祀られています。


7月7日は忌宮神社から香椎宮までの、遷宮のお話しです。




歴史と自然をまもる会

シリーズ「神功皇后の足跡をたどる」

福岡市早良市民センター3階
①7月7日(木)10時~or13時~
②8月2日(火)10時~or13時~
③以降は未定





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2016-07-05 21:42 | <神功皇后伝承を追って> | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : http://lunabura.exblog.jp/tb/25765148
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by おっとっと at 2016-07-07 22:15 x
今日は楽しくお勉強させていただきました。ありがとうございました。

「綾杉劇場」は配役がよろしくて、一度でばっちり頭の中に入りましたよ。
歴史もそうあると良いのですが!?

武内宿禰は意外でした。年寄りのイメージしかなかったものですから。うふふ

Commented by lunabura at 2016-07-07 23:05
今日はパワーポイントを使ってのお話しだったので、
やはり私も楽しかったです。
武内宿禰、若いころもあったんですよね。
皆さんの「え~」という表情が毎回、楽しみなんです。
Commented by 岩下 謙吉 at 2016-07-10 11:46 x
 古遠賀湾に関わるくだりは書紀ではほとんど記載がありませんので、講義の内容は勉強になりました。
 伝承をたどり、筑紫の大王と書紀に記された神功皇后(&前後の天皇)の関係がふかめられればと考えています。
 続く講座を愉しみにしています。
Commented by lunabura at 2016-07-10 21:25
確かに、古遠賀湾沿い、また筑後川沿いの伝承が書かれていなくて、苦労しました。
神功皇后の筑紫滞在がわずか3年間だったので、歴史の3年間を切り取れるという稀有な存在となりました。
これを起点にすると、おっしゃる通り、前後の時代が少しずつ見えてくるようです。

line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー