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白鳳元年と白鳳二年



白鳳元年と白鳳二年




「白鳳年号」は正史には登場しない。
九州年号と言われている。

現在、『高良玉垂宮神秘書』の抜粋版を推敲している最中だが、
白鳳年号がいくつも出てくる。

白鳳二年に高良山では大事件が起こっていた。

それまで大祝として祭祀を務めていた物部氏の美濃理麿保続に
高良大明神が垂迹し、
「我は発心して高良大菩薩となる。俗体は保続に譲る」
と告げたというのだ。

そして、保続は訪れた修行僧の教訓を受けて出家してしまう。

それまで、仏教を受け入れなかった高良山に、ついに
仏教が入って来たという大事件が起こった年が白鳳二年だ。

この年は癸酉(みずのととり)とも書かれていることから、
西暦673年の事と特定できた。

この673年の事件について、「白鳳二年」と記す条のほか、
「白鳳十三年」と記す条が出てくる。
後者は「二中暦」で書かれていることが分かった。

また、同年を「天武天皇即位二年」と記述する条もあり、
あれこれと調べた結果、どれもが正解で、
673年を寺社暦では「白鳳二年」、二中暦では「白鳳十三年」と計算していた。

高良山では、混乱を避けるために、この年を
天武天皇即位二年「癸酉」とも書き、
表記に工夫をしていることが分かった。



さんざん「白鳳年間」のことを調べた結果、頭に焼き付いていたので、
今日、朝倉の恵蘇八幡宮を読みなおして、
ここにも「白鳳」の年号が出ていたことに驚いた。


その概略は、中大兄皇子がここに天降八幡社を創建したが、
天武天皇白鳳元年に社名を恵蘇八幡宮と変えたという。

ここでも「白鳳元年」という寺社暦が使われていたのだ。



恵蘇というのは恵蘇星といって、シリウスを指すが、
これはベツレヘムの星でもあり、
エソ、ヤソという連想を古代でも持っていたことが真鍋から読み取れる。


当時でもバタ臭い名前に変更したのは誰か。

それが天武天皇の勅命だという。



その翌年、高良山に仏僧が入って、大祝が出家してしまったのだが、
天武天皇の差し金ではないかと、漠然と思うようになった。


つまり、高良山への刺客だ。

神道の山に寺院が建てられるようになった。
この時、安曇と物部の高良山での棲み分けは終了し、
高良山は物部一色となる。

白村江の戦いでの敗戦が大きなきっかけに違いない。

天武天皇はあの竈門山(かまど)に宝満山と名を変えさせてもいる。

戦後処理という言葉ではニュアンスが多少違っているが、
天武天皇が筑紫の古い形態を書き換えようとした
痕跡が見られる「白鳳年間」である。




827の歴史カフェは「高良玉垂宮神秘書」ですが、
主にこの白鳳二年より以前の内容になります。

白鳳二年に関しては、少々触れる程度になります。





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by lunabura | 2016-08-20 22:56 | メモ | Trackback | Comments(0)
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