ひもろぎ逍遥

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神馬のヒヅメの跡(馬蹄石)



神馬のヒヅメの跡(馬蹄石)


今日は歴史カフェ。
難解な『高良玉垂宮神秘書』の解説でした。
誰も知らない話ばかりなので、驚かれたかもしれません。

九州年号と言われる元号が高良山ではいくつも使われているので、
その紹介も少ししました。

今回、一つ、理解できない内容がありました。

それは高木の神と高良大明神との会話の意味です。

高良大明神が高良山に初めて来たとき、
高良山に住んでいた高木の神は「神籠石」の所まで降りてきます。

そして、「印」を求めると高良大明神は神馬のヒヅメの跡を付けます。

それを見て高木の神は納得して、一夜の宿を貸すのですが、
その夜の内に高良大明神は「八葉の石畳」をぐるりと築いて結界を張ったため、
高木の神は戻れなくなって、麓に住むようになってしまいます。
(ガイドブックなら26高良玉垂宮の所に書いてます)

「神籠石」とは巨大な岩盤で、「八葉の石畳」を築く間、神々が居た所です。
「八葉の石畳」は考古学者が「神籠石」と名前をすり替えて発表しています。

このように「神籠石」(こうごいし)の名称は高良山が発祥ですが、
今では山城として捉えられてしまい、残念な経過を辿っています。

単なる石畳ですから、防衛機能は全くありません。

で、今回、皆さんに情報をお願いしたのは、
高木の神は「神馬のヒヅメの跡」(馬蹄石)を見て何故、納得したか、
それが分からなかいので、他に類例がないか、ということでした。

一つの例として、安心院の足一騰宮にも馬蹄石があって、
それは玉依姫が神馬に乗って駆け上がる時についた跡となっています。

両者に共通するのは高良大明神(安曇磯良)と玉依姫が同じ安曇族という点です。
もう一つ例が挙がれば、何らかの推測ができる訳です。

そして、早速その場で情報が出てきました。

それは八女の「けほぎ石」も「馬で蹴ってほげた穴」という話です。
それは火明命の馬だったということから、
志式神社に祀られている神でもあるという謎に繋がってきました。

「火明神」は志式神社に祀られている「荒ぶる神」の一柱。
何故なのか、理由がまだ分からなくて、拙著『神功皇后伝承を歩く』でも
上手く説明できていません。

でも、安曇族が祀っている神です。

今日の情報で、少し手掛かりがでてきました。
のちの展開が楽しみです。

さて、『高良玉垂宮神秘書』は同じ内容で9月6日にもう一度話します。
ご希望の方は、メールで申し込みください。

来月の歴史カフェは9月25日(日)です。
場所は「ひふみ」。2時~4時です。

タイトルは「中大兄皇子と朝倉橘広庭宮」を予定しています。
詳しくはまた記事を起こしますが、受け付けは開始します。





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by lunabura | 2016-08-27 22:28 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(8)
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Commented by まお at 2016-08-28 03:01 x
玉依姫の馬蹄石でしたら近場では宝満山にその伝説がありますよ。

宝満山と安曇族の関わりは分かりませんが、宝満川が博多湾まで繋がっていますし、宝満山と高良山は繋がりがあるような気がして…

あと、「豊玉姫が宝満山の神に嫁いだが夫婦仲が悪く離婚した。そのあと宝満山の神がその神座を玉依姫に譲った」と油山縁起に書いてあるそうです。

陸路を挟む形にはなるでしょうが、博多湾→御笠川→宝満川→筑後川→有明海とこの辺りは安曇族とは関わりがありますので宝満山とも無関係ではないかもしれません…

八女の事は探りを入れていますので、面白い事があれば、コメント欄にご報告しますね。宝満山の件、既にご存知かもしれませんね。

失礼しました
Commented by lunabura at 2016-08-28 20:07
宝満の馬蹄石、第四例です!
ありがとうございます。

博多湾から有明海まで、針摺の所に細い水路があって繋がっていたそうですよ。
これからも、情報楽しみにしています。
Commented by 筑後国造 at 2016-08-31 03:13 x
基山町の荒穂神社に、荒穂の神と高良の神が投げ合った伝説の石があり、そのそばには、荒穂の神の馬の蹄の跡が残った石があります。
私のブログにも紹介したことがありますが、写真が鮮明ではありませんでした・・・
高良山と対峙した位置にあり、背後には基肄城。
関係があるでしょうか?
Commented by dostoev at 2016-08-31 14:41
面白そうな話なので参加させてください。馬の絵馬や人形など、馬は神を鎮め、なだめる時に使用されて来たようです。または、穢祓となります。遺跡から発掘される馬に関するものの殆どが、境界や水回りに関係する場所。つまり馬は、神をなだめるだけでなく境界をも定める存在。もしかして穢祓をするからと、神籠石から降りた高木の神は、神から零落した存在になったのでは?そして馬の蹄跡は、禁足地としての境界を示す印となったのかとも思います。安曇磯良は白龍でもあるようなので、水神や雷神は龍神と結び付きますから当然、馬との関係は深いです。どことなく、宇治の道饗の祭りを思い出しました。
Commented by lunabura at 2016-09-01 21:52
筑後国造さん、ありがとうございます。
その記事、見覚えがあります。
荒穂の神と高良の神の対決。第五例です。
大いなるヒントがありますね。

お手数ですが、その記事のリンク先をコメント欄に出してもらえませんか。
もう一度見たいです。
Commented by lunabura at 2016-09-01 21:55
遠野物語さん、解説ありがとうございます。
高木の神は、神だからこそ、あの程度の「八葉の石畳」(現在、神籠石と呼ばれているもの)という結界が越えられなかったんでしょうね。
大いなるヒント、助かりました。
遠慮なく、どんどん書いてくださいませ。
Commented by 筑後国造 at 2016-09-02 15:37 x
荒穂神社の件です。

http://riki82.blog78.fc2.com/blog-entry-354.html

今後の展開、楽しみです。
Commented by lunabura at 2016-09-03 23:57
筑後国造さん、これです。これ。
覚えていますが、改めて見ると大事な伝承ですね。
少しストーリーが見えてきました。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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