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ひめちゃご11 松尾弁財天3 大穴貴と狭依毘売を祀る宮



ひめちゃご11

松尾弁財天3
大穴貴と狭依毘売を祀る宮
 


八女市の3号線に沿った辺春川からさらに支流の松尾川に入って細い道を走る。





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行き止まりのような所に松尾弁財天はあった。








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鳥居に華麗な彫刻が施されていた。
ウサギということは、大国主を象徴するのか。
ここには大己貴が祀られているという。






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苔むした石段が美しい。








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石段はいくつもいくつもあるが、上りやすい。









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渓流沿いにある道だった。

あとで思えば、石段が作られる前は沢登りをしていたのだろう。








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江戸時代、柳川藩の立花の殿様が参拝して子を授かったということで、
立派な社殿が建てられている。

ここは子宝祈願の社だそうだ。


石段もまたその時に造られたのだろうか。
その前までは、かなり厳しい参拝だったに違いない。



松尾弁財天の正式名は由緒では「厳島神社(弁才天社)」となっていた。
祭神は「大己貴命または狭依毘売」となっている。


不思議な組み合わせだった。
狭依毘売は市杵島姫の別名だと『古事記』には書かれている。


大己貴命の妃はタゴリ姫と多紀理姫(あるいはタギツ姫)なので、
この二女神との組み合わせなら理解できるのだが、
物部に嫁いだイチキシマ姫と一緒だというのだから困惑する。

宮の住所は立花町大字上辺春字松尾となっている。








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この拝殿の神々が日々見ているものは磐座だ。


本来、この磐座が祭祀の始まりだったのだろう。








「ここには白蛇さまがいるという話です」と教えられた。
参拝者は卵を持っていくという。

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木の根が蛇の姿を取っていた。






幼な子が「こっちに来て」と私を川に誘う。
この宮の神縁で授かった子だという。
それなら耳を傾けねば。







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連れられて、川を見ると底が赤かった。
この川は鉄分を含んでいるのだ。

最初にこの川を遡ったのは鉄の民か。
彼らが出雲の神を祀ったのか。
鉄を与えてくれる聖なる川として。

それから、水の神である狭依毘売を祀ったのかもしれない。


思えば狭依毘売を祀った宮を参拝したのは初めてのような気がする。
イチキシマ姫とサヨリ姫は本当に同一神なのか。
そんな思いもつきまとう。



この八女には緑の川と緋(ひ)の川があることになる。

緑の川を辿った民はセオリツ姫とミズハノメを祀り、
赤い川を遡った民はサヨリ姫を祀った。

水の女神でも名が違う。

銅の民と鉄の民と分けてよいのだろうか。
あるいは安曇と出雲。

辺春(へばる)という地名の「春」の字は浮羽(うきは)の山春の字も想起させる。
加茂と物部。




そんな古代の民に思いを馳せた。






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by lunabura | 2016-09-03 21:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(8)
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Commented by まーりん at 2016-09-04 01:20 x
銅と鉄、緑と赤 (たぬきときつね?)
それぞれの民がいたとして、渡来時期も前後するのかもしれませんね。

シュメールの地:ユーフラテス河=ウルドゥ=シュメール語で「銅の河」
ヒッタイトの地:クズルウルマック川=トルコ語で「赤い河」
どんな色分けが可能でしょうか(^_^)
Commented by lunabura at 2016-09-04 23:17
鉄也ですね。彼もかなりの神社通。
で、シュメール語と、トルコ語、すごいです。
ありがとうございます!!
Commented by まお at 2016-09-05 11:26 x
こんにちは。

話はずれますが、矢部川辺釜屋神社周辺の事しか分かりませんがこの辺りに住む人の顔だちについてですね。

今の若い世代は把握してませんが、50代以上のある方々でロシア系少数民族やペルシャ系民族の様な彫りの深いお顔だちの方がおられますよ。見ようによっては、ロシア系アイヌ民族に近い方もいらっしゃる。年齢を重ねられた今をお見受けするにつけ、彫りの深さからくる皺の入りかたなど特徴があるように感じます。

ちょっと昔から感じていた小さな事ですが。どんな事情があったのかと想像たくましく思ってました



Commented by lunabura at 2016-09-05 22:02
日本人のDNAと言っても、対象から九州は外れていると聞きました。九州は多民族なのでしょうか。地名や伝承にその面影を見ることは大いにありそうですね。また、お聞かせください。
Commented by dostoev at 2016-09-06 13:28
九州では「原」を「ばる」という、特異な読み方をしますよね。ただ「春」も「ばる」と読むとは知りませんでした。ただ「原」と「春」の意味は繋がるのでしょうか?それともただ、漢字をあてただけでしょうか?・・・気になります。

ところで京都の松尾三社の一つ櫟谷・宗像神社には、何故か湍津姫神だけが祀られていません。ただ「櫟谷・宗像両神社と渡月橋をはさんだ対岸の大井神社を合はせて宗像三神すべて揃ふと伝へられ…」という伝承がありますが、その大井神社には瀬織津姫の異称神が祀られていました。また鹿児島県の厳島神社でも、また滋賀県の長澤神社でも多紀理毘売命と市寸島比売命が祀られ、多岐津姫命の代わりに瀬織津姫が祀られています。全国の宗形三女神を祀る神社では多紀理毘売命と市寸島比売命が必ず祀られ、仲間外れになっている女神が湍津姫神だけになっています。これは何を意味しているのでしょう。異称の奥津島比売命、中津島姫、狭依毘売に加え、辺津宮・中津宮・沖津宮そのものをもう一度見直す必要があるのだと思います。
Commented by lunabura at 2016-09-07 23:07
遠野物語さん、こんばんは。
「山春」は「やまはる」、「辺春」は「へばる」と読みます。単に濁音化したのかと思っていたのですが、これから気を付けてみてみます。
辺津宮・仲津宮・沖津宮の三女神の配置は、郷土史を見ると、現在と違うものもいくつもあります。また、『日本書紀』でも違うのがありますね。たぶん、分かりやすいように近年統一されたのではないかと想像しています。
全国的な祭神の組み合わせ、興味深く拝見しました。
ありがとうございます。
Commented by まーりん at 2016-09-09 12:55 x
遠野物語さん はじめまして。
横から失礼いたします。

原(ばる)については、久留米地名研究会の古川さんのブログで何度も拝見した記憶があります。確認してみましたら、以下の文を書いておられました(ほんの一部ですので、できれば全体をご覧ください)。
あちこちで勉強させていただいている私がいうのもおかしいですが、ご参考になりましたら幸いです。

「原と書き、「ハラ」、「バラ」と読む地名と、同じく原、春、治…と書き「ハル」「バル」と読む地名は似てはいるものの全く起源は異なり、前者は腹、孕むと関係のある小丘を意味するいわゆる野原 の原を意味している。一方、後者は開墾地(従って新しい居住地という概念も含む)を意味する新興の居住地を意味しています。」

スポット023 五郎丸 朝日新聞2016年1月16日夕刊「福岡県に多い□郎丸の地名」によせて
http://ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-12125860359.html
Commented by dostoev at 2016-09-11 12:00
まーりんさん、挨拶が遅れてすみませんでした。「原」に関して、概念的に理解出来ました。遺跡などは「バル」なんですね。ありがとうございます。
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