ひもろぎ逍遥

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ひめちゃご16 割り込んできた天智



ひめちゃご16

割り込んできた天智
 


八女市の松尾弁財天を書いているのに、
ず~っと西のみやま市での中大兄皇子の祭祀が
その意味を探る手掛かりとなった。



あれは、伏線だったのか。
そう、思い起こすことがある。


実は「脇巫女」を書いていた頃のことだ。
菊如と崋山の行う結願が一区切りついた時、誰かが割り込んできた。

堂々とした姿に、名を訪ねると「てんじ」と答えた。
「てんじ」とは「天智」。
もちろん中大兄皇子の即位名だ。


まさかの天智天皇の登場に居合わせた私たちは戸惑った。
何故出て来たのか。

呼んだわけでは無いので、用もなかったし、
質問も持ち合わせていなかった。


菊如が私に「質問して」というので
しどろもどろに尋ねた内容の一部を「ことのかたり」に書いた。


今、それを読み返してみた。ここに編集して再掲しよう。

天智天皇?と私の一問一答ということになる (^^;


◇ ◇ ◇ ◇

るな:磐瀬宮に来られたのは?
――我々は遠賀川の磐瀬宮には船で来た。嵐に巻き込まれたのだ。
海から入ってきた。


るな:倭国と日本国はどうなっていたのですか?
――当時の日本のようすか?
三つの大きな部族でできていた。
日本国。
倭国。
青い目をした部族。

日本国がヤマトの国だ。


るな:物部氏の目の色は何色ですか?
――物部は黒だ。


るな:天武天皇とはどんな関係ですか?
――我と天武とは母が違った。腹違いじゃ。


るな:なぜ朝倉に来られたのですか?
――朝倉は重要な所だった。
筑紫にはいろいろな国から船が入って来て、もめておった。
新羅の船も襲って来ておった。


るな:白村江の戦いではどこに布陣したのですか?
――本陣は長崎の諫早にあった。もう一か所は門司~山口あたり。
我らの船団は七艘だ。倭国の船の方が多かった。


るな:船にはマストがありましたか?
――われらの船には3本の帆柱があった。
我は航路をいつも考えておったぞ。


るな:白村江の戦いの時にはどこにいましたか?
――我が船も百済に行った。
が、この地に流れ着き、助けてもらった。


るな:白村江のあと、日本はどうなったのですか?
――新羅の後陣が二回攻撃してきた。
唐は来なかった。



◇◇ ◇ ◇

このあと、私はうっかりと「タリシヒコ」を尋ねてしまったために、
天智が混乱して、対話は終わった。

本当は「サチヤマ」のことを尋ねたかったのに。

この時、私は歴史をきちんと押さえないといけない、
興味ない分野だと切り捨ててはならないのだと反省した。


現実に戻りながら、崋山は、
「天智天皇の頭の中は船の航路のことでいっぱいだった」と言った。

九州の北回りだけでなく、南回りの航路のことも
グルグルと考えていたという。

そんな発想があるとは、思いもよらなかった。

確かに、唐・新羅連合軍が
それぞれ別ルートで襲ってくる可能性だってあったのだ。

長崎・熊本の防衛を挙げた学説をまだ聞いたことはない。


天草に行った時、海の向こうには中国大陸があることを
思わずにはいられなかった。

玄界灘に向かうと、朝鮮半島のことしか思い浮かばない。

文明も難民も王族も、戦いも海の向こうからやってきた。

固定化した発想は真実を見えなくさせてしまう。
柔軟な思考でいたい。




ここ、みやま市の北には風浪宮がある。
その近くの榎津(えのきづ)は国際港だった。
異国の地図にはアルファベットでその名が記されている。

このみやま市の物部の里にも海外の文物と人々が
ダイレクトに流れ込んできただろう。

瀬高(せたか)には古代の祭祀の位置がそのまま伝わっている。

奇跡の太神(おおが)。
なんと愛おしい土地なのだ。

こうして思い起こすと、
「脇巫女」の頃の天智天皇の登場は余りにも突飛に思えたが、
あれは「ひめちゃご」との繋がりを示すキーパーソンだったのか、
とようやくここで思いが至った。





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(太神宮)


コメントありがとうございます。
返事は後日 m(__)m




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by lunabura | 2016-09-14 22:26 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)
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Commented by まーりん at 2016-09-14 23:19 x
割り込みにも、理由がある。ふむふむ

わたしのブログ記事に「ひもろぎ逍遥」のリンクを張らせていただきましたので、事後報告で恐縮ですが連絡させていただきます。
明日の中秋と2日後の満月の関係を思うと
チェリーさんが見つけた2つの祭祀線の関係が思い出されたものですから、ぜひこちらを紹介したくなりました。

もし不都合がありましたら、削除しますので大変お手数ですがお知らせください。よろしくお願いいたします。
Commented by 筑後国造 at 2016-09-15 07:40 x
釣殿宮の西1.5kmの瀬高町河内の現仁神社(荒仁神社)に、太神さん(太神社)があります。そこに、「天智天皇や東に向って天照太神を拝み」、という記述がありました。
堀切玉垂宮の肥前鳥居を見に行った時、同じ境内にあったものを撮影しただけですが・・・
今は、小さな祠があるだけです。
一応、メールに添付します。
Commented by チェリー at 2016-09-15 22:00 x
まーりんさん、初めまして。
まーりんさんのブログはどちらでございましょうか?

ちなみに私のブログは「地図でつなぐ聖地の旅」というトンデモ話のサイトでして、
現在「海の参道」を公開中です。以上、宣伝でした。
Commented by まーりん at 2016-09-15 23:41 x
チェリーさん、はじめまして。
ごあいさつよりも先に、ブログに載せるとは大変失礼いたしました。
その記事はこちらです。

「まーりんのホメオパシック・ライフ」
中秋と満月、2本の祭祀ライン (追記あり)
http://ameblo.jp/marline358/entry-12199973355.html
(全然ホメオパシーの話じゃないものが多いのですが
わたしは治療家なので)

チェリーさんのブログにもぜひお邪魔させていただきます。ぜひ今度ともよろしくお願いいたします m(_ _)m
Commented at 2016-09-16 20:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by チェリー at 2016-09-17 00:33 x
筑後国造さんのおっしゃる現仁神社(荒仁神社)も、犬岳と東西関係があるようです。犬岳とつなぐと、釣殿宮の社殿の南の端あたりを通ります。
実は小国町の小国両神社までのラインを考えているのですが、現仁神社か隣接している玉垂神社から、小国両神社までが、本当に真東です。誤差がないかもしれません。
これは単純な話ではなさそうですねぇ…
Commented by チェリー at 2016-09-17 00:55 x
まーりんさん、とんでもございません。
こちらこそよろしくお願いいたします。

ブログを拝見いたしました。
私の知らないお話ばかりで、勉強になります。ありがとうございました。よく考えてみます。

lunaさんに載せていただいた太神宮から見た犬岳の日の出の画像、太陽の軌跡の下に平行に白い線があります。
それが月の軌跡です。
月の出・入りのラインがあるのだろうと思っていますが、全然分からないでいます。
カシミールも軌跡は出せますが、それ以上は対応していません。
うーん…複雑だなぁ…
Commented by lunabura at 2016-09-18 22:26
まーりんさん、リンクありがとうございます。
当方はリンクフリーです。
チェリーさん、「まーりん」の所にポインターを当てると、指マークがでます。リンクされているので、すぐに入れますよ^^
Commented by lunabura at 2016-09-18 22:27
筑後国造さん、画像ありがとうございます。
地図と突き合わせてみます。
Commented by lunabura at 2016-09-18 22:29
0916日投稿の非公開さん、情報ありがとうございます^^
思いがけず、重要拠点ですね。
真鍋もその山について重要な所として書いていました。
Commented at 2016-09-19 21:12
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2016-09-19 23:25
『儺の国の星』のページを書いて下さっていると、探しやすくてありがたいです。
周辺の神社も調べたいですね。ありがとうございます。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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