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ひめちゃご 21 八女津媛神社 聖なる地



ひめちゃご21

八女津媛神社

聖なる地
 





昨年、炎のピラミッドからの帰り道。

阿蘇から八女に行くルートを探しながら、山越えが出来ないかと考えた。
古代に阿蘇と八女を行き来する人たちがいたはずだという思いがあった。

松原ダムからの道路標識に八女への矢印が出ているのを見つけた。
ダムが有るほどだから現地は深い山の中だ。

そこから筑後平野に抜けることができることを確認した。

古代の道そのものでなくても、山越えを体感したかった。

そのルート沿いには鯛生金山(たいおいきんざん)があり、
カメルーンのサッカー選手をもてなした中津江村がある。

そして、八女津媛神社もそのルート上にあった。

 矢部(やべ)村に出てひとまず「杣(そま)のふるさと文化館」をめざす。
そこからの道は車が離合できないほど狭く曲がっていた。

しかし紅色の幟が道案内代わりに次々に立てられていたので、
安心して深い山に登っていった。



 逢いたかったのは八女津媛神。





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そう、それは景行天皇の所にその名が出てくる女神だ。

6月には阿蘇にいた景行天皇は
秋7月4日、筑後の御木(みけ・三池)に至って
高田行宮(かりみや)に滞在した。

この高田行宮へ案内したのは宇津羅姫だった。
書紀には書かれていないが、釣殿宮(つってんさん)の傍に眠る女神だ。
(ひめちゃご17)

その三日後、7日には八女県(やめのあがた)に着いた。


それから久留米の藤山を通り、南粟岬(みなみのかたあわのさき)から
はるかに山を眺めた。


景行天皇は水沼県主(みぬまのあがたぬし)の猿大海(さるおおみ)に尋ねた。
「山々が重なってなんと美しい所だ。神があの山にはいらっしゃるのか」
「女神(ひめかみ)がいらっしゃいます。名を八女津媛といいます。
いつも山の中におわします」
と猿大海は答えた。

こうして八女(やめ)国という名がついた。

有名な景行紀のくだりだ。


さて、久留米の赤司八幡神社に屋敷があった水沼の猿大海は
景行天皇を自分の屋敷に連れて来たという。

そこで天皇はみずから祠壇をかまえて三女神を祀った。
三女神を道主貴(みちぬしのむち)ともいう。
これは筑後川の話である。


書紀によると、8月、天皇は浮羽(うきは)に着いている。

そうすると、景行天皇が赤司八幡神社に行ったのは7月のことだろうか。
これも書紀には書かれていなかった。




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八女津媛神社。
「存在」を感じずにはいられない。




手を合わせて境内を離れる時、何かが光った。






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振り返ると、女神像に朝日が当たり始めていた。







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聖域。
そのものが今に伝わっていた。











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by lunabura | 2016-09-29 22:00 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)
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