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ひめちゃご44 狩尾神社 天智天皇の狩



ひめちゃご44

狩尾神社 

天智天皇の狩
 


天智天皇が狩をしたという狩尾岬の山の中に狩尾神社が鎮座する。



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社殿が古くなって壊れてしまったという。









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前回はうっそうとしていたので、入るのがためらわれたが、
今日は天気に恵まれ、鳥の声のにぎやかさに、誘われるように石段を上って行った。










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多くの灯篭や石碑は、戦いのために故郷を離れる人々の祈りが込められていた。










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やはり、神殿あとは何もない。

祭神は中殿に大国主神、右殿に豊受太神、左殿に天児屋根命










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天智天皇もこの山に入って来たのだろう。

この体験が元になったのだろうか、
天智天皇の狩の記録が二回ほど『日本書紀』に綴られている。

天智七年五月五日、蒲生野(かまふの)に縦猟(かり)したまう。
この時、大皇弟(大海人皇子)、諸王、内臣(中臣鎌足)など群臣ことごとく参加する。

天智八年五月五日、山科野(やましなのの)に縦猟したまう。
大皇弟、藤原内大臣、および群臣が従う。

とある。




推古天皇の時代にも五月五日に薬狩というのが行われていて、
薬草を求めて野山に入る行事が行われた。

天智帝の二回の狩もそのならいなのだろうが、
白村江の戦いを経たあとは、やはり軍事訓練の意味合いが強くなったと思う。

この時のメンバーの中に内大臣(鎌足)がいる。

ここ狩尾岬(かりおみさき)の狩にも中臣鎌足がいたのだろうなと
想像された。

左殿に天児屋根命が祀られているのをみて、鎌足と繋がっているような気がしたのだ。








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社殿は無いが、聖なる地のあとをさまよう風情だ。









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帰りの鳥居の向こうに海がキラキラと光っていた。






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by lunabura | 2016-12-23 21:34 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2017-01-13 20:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-01-14 23:48
非公開さん、ありがとうございます。
そうだったんですね。
祭神は、確か福岡県神社誌を見たと思います。
大正時代のものですから、伊藤常足さんの弟さんの時代の方に何か記録があれば、それが先行すると思います。
祭神の組み合わせが珍しいので、何か欠落しているのかもしれません。
ブログ記事読ませていただきました。
感謝です。
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