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ひめちゃご50 八剱神社 ヤマトタケルと砧姫



ひめちゃご50

八剱神社 

ヤマトタケルと砧姫
 




恋多きヤマトタケル。

その伝承が集中する遠賀川河口域だが、同じ水巻町の立屋敷(たてやしき)に
ヤマトタケルと寵姫・砧姫(きぬたひめ)を祀る宮がある。

八剱神社だ。(やつるぎ)

同じ社号の神社はいくつもあるが、当社は砧姫との恋物語で知られている。

遠賀川の土手の東側、73号線から見える銀杏と鳥居が
気になる人も多いだろう。






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砧姫は讒言(ざんげん)のために都からここに来ていたという。










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二人が結ばれた住まい跡がここだというから、
古来、その史蹟が移っていないことになる。


この仮宮を世話していたのは、小狭田彦たちだろうか。
物部氏だが、後にヤマトタケルから香月姓を賜っている。








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この銀杏はヤマトタケル自身の手植えによるものだという。

この木の遺伝子の研究が行われ、同じ遺伝子をもつものが、
韓国慶尚北道亀尾市や島根県太田市などにも所在することが
証明された。

銀杏といえば、武内宿禰が仲哀天皇をしのんで植えたものが
忌宮神社と織幡神社にある。

織幡神社のものは代替わりしたものだ。

このような植樹もまた深い意味を持つのだろう。

まっすぐ立つ銀杏は遠くからのランドマークとなり、
その銀杏目当てに神社を探し出すこともよくあったのを思い出す。





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これはその気根だ。

この銀杏の話を知ったのは、別の神社で出会った当社の氏子さんからだ。

ようやく参拝できてほっとした。



「水巻昔ばなし」によると、
砧姫には王子が生まれ、砧王と名付けられた。

のちに守護職に任ぜられた砧王は
重広王、末広王、時王、末守王の四王子をもうけて、末永く栄えたという。

そうすると、仲哀天皇の異母兄弟ということになる。
仲哀天皇の遠賀入りの時にも支援者となったのだろう。

なおヤマトタケルの進入路は
周防の海(瀬戸内海)から洞海湾に入り、
ここから江川を通って遠賀入り海に入ったという。

この熊襲討伐は父の景行天皇の命によるもので、
このあと香椎宮に向かう予定で、兵員、兵糧の補給をしたということだ。

<2017年1月25日>




遠賀郡水巻町立屋敷3丁目13-30









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by lunabura | 2017-01-25 22:04 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)
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