2017年 03月 01日
エジプトの壁画と「吉井」の壁画のつながりが見えてきたかな
エジプトの壁画と
「吉井」の壁画のつながりが見えてきたかな
3月の歴史カフェは、糸島がテーマですが、
二度目の参加の方もあるので、少し変化させて
テーマを絞って、深く切り込むことにしました。
糸島におけるニニギ尊と木花咲耶姫の通婚の話と
真鍋によるエジプト人の渡来についての話の二本立てです。
一年ぶりですが、この間、私の理解がさらに進んだので、
真鍋の解釈のエリアを少し広げることができました。
すると「吉井」の地名が出てきました。
「冬至の日輪」を「ゆつまのひのあかり」と言い、
それが出入りするのを観測する所を、
万葉の頃には「吉日」と書き、平安時代には「日吉」と書いたそうです。
「吉日」はいつしか「よしひ」とも読むようになり
「吉井」という地名になったといいます。
「出入り」ですから、日の出も日の入りも観測するわけですが、
まさに吉野ヶ里遺跡がそうでしたね。
「吉井」の地名は福岡県うきは市吉井町にも残っていますが、
そこから例の珍敷塚古墳の壁画が出ているのです。
「ゆつまのひのあかり」を観測するところが「よしい」
「ゆつま」はルクソールと同じような地形の場所。
こうしてなんとなく繋がりそうです。
ほかに「小郡」「戸畑」など、
いくつかの地名の成り立ちも関連します。
まだまだ理解の途中ですが、みなさんとシェアして、
理解を深めていこうと思っています。
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