2017年 03月 22日
ひめちゃご61 君が代の発祥
ひめちゃご61
君が代の発祥
「君が代」が今でも語り継がれているのが「山誉祭」(やまほめさい)だ。
社人が櫓(ろ)を漕ぎながら語らう中に「君が代」が出てくる。
「君が代」の発祥は志賀島だ。
左手前に正座する三人の後ろ手に持たれた藁は跳ねる魚を現している。
見守る八乙女のまなざしは母のように優しい。
八乙女の発祥もまた志賀島だ。
櫓を漕ぐ二人の社人の語らう神楽の中に、「君」とは誰か、答えが出てくる。
あれこそは「阿曇の君」。
「君が代」とは「阿曇の君」を寿(ことほぐ)語りで生まれた。
この画像は志賀島の北部の勝馬。下馬の浜。
神功皇后が「皇神」(すめかみ)に祈るために馬から降りて歩いていったという。
2番 君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜の居(ゐ)る磯と 現はるるまで
「君が代」の二番では荒磯の鵜が歌われている。
この画像は志賀島の二見岩の磯。
鵜が羽を広げるようすはなんとも心ゆかしい。
明治になって、鹿鳴館で外国の客に日本の歌を紹介するために、
資料を求められたのが香椎宮の宮司・木下美重(よししげ)だった。
多くの神楽が香椎宮に記録保存された中からこの「君が代」が選ばれた。
宮内省雅楽寮の奥好義(おくよしいき)によって作曲されたという。
(『儺の国の星拾遺』より)
この「君が代」は万葉集の時代には旅芸人によって、
節をつけられて広められた。
旅芸人とは傀儡女(くぐつめ)。
放浪する安曇だ。
<2017年3月22日>
『神功皇后伝承を歩く』下巻71 志賀海神社 参照
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